2008年3月25日付 聖教新聞  全国代表者会議での名誉会長のスピーチ 上-2

2008年3月25日付 聖教新聞
全国代表者会議での名誉会長のスピーチ 上-2


 戸田大学の誉れ
 一、先生は私のために、亡くなる直前まで、毎朝のように個人教授を行い、万般の学問を授けてくださった。日曜も、先生のご自宅で勉強をした。
 "大作は夜学を断念してまで私を支えてくれた。その分、私が教えられることは、すべて教えてあげたい。すべて、大作に譲り残しておきたい"──そういう深いお心であられた。
 戸田先生と私は、師弟不二であった。
 私は日記に綴った。
 「先生の悠然たる姿。
 余りにも大きい境涯。
 未来、生涯、いかなる苦難が打ち続くとも、此の師に学んだ栄誉を、私は最高、最大の、幸福とする」(昭和26年1月7日)
 私は、誉れある「戸田大学」のただ一人の卒業生である。
 皆様を代表して、全世界の大学などからお受けした名誉学術称号は、230を超えた。
 この「世界一の栄誉」も、すべて、偉大な師の薫陶があったからである(大拍手)。

 牢獄まで一緒に
 一、戸田先生は、戸田大学での講義で、こう語られた。
 「私は、牧口先生の言う通りにやった。師弟の道というのは、そうでなくてはならないのだ」
 先生が、牧口先生に対して、どれほどの思いで仕えておられたか。
 牧口先生が来られると、あの豪放な先生が、土下座するのではというほど、かしこまっておられた。そう、うかがった。
 戦時中、軍部政府の弾圧を受けた時も、戸田先生は牧口先生とともに牢獄まで行かれた。大変な苦しみを受けられた。
 しかし、それでも先生は、"牧口先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださった"と感謝しておられた。
 これが本当の師弟だ。
 私も、大阪事件の際、冤罪で逮捕され、牢に入った。恫喝を受けた。学会の民衆運動を押さえ込もうという、権力の陰謀であった。
 私は戸田先生と学会を守るため、わが身を犠牲にして戦い抜いた。
 あのインド独立の父・ガンジーも、インドの初代首相ネルーも、獄中闘争を経験している。本当に権力と戦った人間というのは、牢に入っているものだ。
 ともあれ、牧口先生、戸田先生、そして私。この「三代の師弟」があったからこそ、今日の学会がある。
 この峻厳なる師弟の精神を忘れたら、根本が狂ってしまう。
 万が一にも、師弟をないがしろにし、学会を自分の思う通りにしようというような人間が出たら、皆で戦うことだ。こうした悪人を絶対に許してはならない。
 「皆のため、会員のために、どこまでも尽くしていく。それが真の学会のリーダーだ。
 裏表があってはいけない。気取ったり、格好つけたりしては駄目だ。ましてや威張るのは、最低である。
 「あの人がいてくれて、本当にありがたい」「あの人と一緒にいると、元気が出る」──皆から、そう言われるような存在であってもらいたい。
 そして、師弟に生き、学会のために戦い抜いたという見事な歴史を残していただきたい。
 断固たる勝利の証しを打ち立ててもらいたい。

 「創価幼稚園」が世界で発展
 一、私はソ連のコスイギン首相と、昭和49年(1974年)9月17日、翌50年の5月訪日と、2度にわたり語らいを重ねた。
 首相は私に対して、「あなたの根本的なイデオロギーは」と問われた。「創価学会」といっても、当時の海外の人には、どんな団体なのかわからない。創価学会の実相を知りたいという、当然の質問であった。
 私は答えた。
 「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」と。
 〈コスイギン首相は、「この原則を高く評価します。この思想を私たちソ連も実現すべきです」と応じた〉
 宗教は、宗教の世界のみにとどまるものではない。必ず、平和、文化、教育へと波及していく。
 この点から見て、世界各地に創立された創価幼稚園もまた、大いなる人間主義の潮流のなかで発展してきた。
 その一端を紹介しておきたい。
 まず、札幌創価幼稚園は、コスイギン首相との2度目の会見の翌年、1976年(昭和51年)に開園した。これまで卒園生は6000人を超え、博士や教員なども数多く誕生している。
 香港創価幼稚園は1992年に開園。香港教育局から「最優秀幼稚園」に選定されている。
 シンガポール創価幼稚園の開国は93年。昨年11月には同園の女性教員(陳桂心(タンクイシン)さん)が、教育省の「2007年度 幼児教育最優秀教師賞」に輝いた。

戸田先生の指導 組織の発展はリーダーの成長で決まる

 また、95年に開園したマレーシア創価幼椎園はマレー語、中国語、英語の3カ国語教育を実施。2001年に開園したブラジル創価学園「幼稚園の部」も、ポルトガル語・英語・日本語の3カ国語教育を行い、どちらも世界市民を育む教育が賞讃されている。
 そして今月15日には、韓国「幸福幼稚園」が開園した(大拍手)。
 こうして、私は着々と手を打ってきた。外にも内にも、邪魔する者が多かった。しかし、ここまで真っすぐに、創価の世界を進展させてきたのである。

 何でも言い合える組織を!
 一、仏法を広宣流布する人を守り、応援していくことが重要である。
 何でも言い合える組織をつくることだ。大事なことを話せない、うわべだけの関係になれば、いい人の存在が死んでしまい、その価値が消されてしまう。
 かつて戸田先生は、若き友に対し、「青年部は、学会の後継者であり、筋金入りの人材である。恐れるな! 師子として堂々と生き抜け!青年諸君よ、大いに奮起しようではないか!」と期待を寄せられた。
 青年が大事である。
 また、どれだけ役職が上の大幹部であろうとも、悪ければ、糾さねばならない。私はこれを実行してきた。
 一、ある時、戸田先生は「会社経営に功績をもたらした者には、必ず『プラスアルファー』を付ける」とおっしゃった。
 学会もそうしなければならない。結果を出した人を讃えなければ、張り合いがなくなる。評価のはっきりしない、いわゆる."悪平等"になってはいけない。よく見てあげるリーダーになっていただきたい。
 一、戸田先生は語られた。
 「今の学会は、幹部の団結によって出来上がったのだ。これからも、第三代会長を中心に、幹部が力を合わせて広宣流布をやりとげよ!」
 またある時、私は日記に先生の指導を綴った。
 「仏法哲理の『源遠ければ、流れ長し』の御金言を引かれ、『幹部の自覚が根本である。一般会員の責任ではない。幹部の信心、成長で全ての組織の発展が決定されるのだ』との、厳しい指導が胸に残る」(昭和33年2月11日)
 戸田先生は、幹部に厳しかった。私も厳しくしてきた。
 皆さんの時代も、頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
    (下に続く)

全国代表者会議での名誉会長のスピーチ 上-2


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