2008年4月9日付 聖教新聞 第2総東京最高幹部協議会でのスピーチ 中-1

2008年4月9日付 聖教新聞
第2総東京最高幹部協議会でのスピーチ 中-1

心とは幸福への行動
御聖訓「一人のために法を説く人は仏の使い」
傍観するな 沈黙するな 正義を叫べ! 語り抜け

 一、組織を発展させていく要諦は、何か。
 それは中心者の一念である。どこまでも「師弟の精神」を根本に、学会とともに、まっすぐに生き抜くことだ。
 そして、大事なのは真剣さだ。行動である。
 リーダーが必死に祈り、動いている組織は発展する。反対に、中心者が内では威張ってばかりいて、外に打って出ないような組織は発展できない。
 自らが率先して、人と会っていく。新しい友情を結んでいく。そして、学会の偉大さ、師弟の素晴らしさを堂々と語り抜いていく。それでこそ、新しい時代は切り開かれていくのだ。
 中心者が本当に真剣に戦って、充実した一日一日を送っていれば、周りにも勢いが伝わる。歓喜の波動が広がっていく。皆も幸せになる。
 組織といっても、中心者で決まる。この一点をあらためて訴えておきたい。
 もちろん「真剣」といっても、怖い顔ばかりしていたら、皆、逃げていってしまう。心には闘志をたぎらせながら、友に会うときはニッコリと微笑んで、温かく励ましていくことだ。
 ともあれ、信心とは「幸福への行動」である。仏法の生命は、どこまでも「行動」の中にこそあるのだ。
 絶対勝利の4原則の第二は「行動」である。

 「道の遠さに志が現れる」
 一、まもなく、立宗の日(4月28日)を迎える。末法万年の全民衆を救うため、日蓮大聖人は大慈悲で立宗宣言をされた。それは、大難と戦い「尊き弘法の歩みを貫く出発点となった。
 この立宗宣言に至るまでの間、若き大聖人は向学の行動に徹していかれた。
 大聖人は述べておられる。
 「随分あちこち走り回り、十二・十六の年から三十二歳に至るまで二十余年の間、鎌倉・京都・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々、寺々をあらあら学んで回った」(御書1407ページ、通解)
 真実の民衆救済の大法は何なのか──。
 それを明らかにするために、大聖人は仏道を志されて以来、立宗宣言の32歳までの間、諸国を回りに回り、研鑽を重ねられたのである。
 御聖訓には、こうも仰せである。
 「天台大師の御弟子の章安という人は、万里の道を踏み分けて法華経を聴かれた。伝教大師は二千里を経て摩訶止観をならい、玄奘三蔵は二十万里も旅して般若経を得られた。道の遠さに志があらわれるのであろうか」(同1223ページ、通解)
 求道と弘通の仏法者たちは、遠き道のりを、ものともしなかった。ただ民衆救済の大法を求めて、万里の道を歩きに歩いた。その道は、仏法探求の大道であり、仏法弘通の大道であった。
 行動なくして仏法は存在しない。広宣流布のために、どれだけ動いたか──そこに本当の信心が現れるのである。
 求道の道、弘通の道。この「道の遠さ」は、そのまま深い「志」の現れである。
 「心こそ大切」(同1192ページ)である。真実の志は、必ず「行動」として現れる。逆に見れば、「行動」なき信心には真の「志」はない。
 役職や立場ではない。「行動」という姿そのものに、その人の信心の厚薄が端的に現れるといえる。
 広宣流布のために現実に行動している人こそが最も尊いのだ。その人を大切にすることを、リーダーは決して忘れてはならない。

戸田先生
 誠意誠実といっても行動が伴わなければ何にもならないぞ

 歩きに歩いた
 一、大聖人は、遠方まで、はるばる御供養をお届けした弟子の信心を、こう讃えておられる。
 「たとえ志はあっても、行動にあらわすことは難しい。そうであるのに、今、あなたが志をあらわされたのを見て、その信心が並大抵でないことが、わかります」(同1554ページ、趣意)
 さらにまた、御書にはこう記されている。
 「一切衆生法華経を誹謗して(不幸の道を)流転するのを見抜いたゆえに、(それをとどめるために)日蓮が日本国を経行して(=歩いて)南無妙法蓮華経を弘通している」(同816ページ、通解)
 釈尊とその弟子たちも、歩きに歩いた。
 大聖人とその門下も、歩きに歩かれた。
 牧口先生も、戸田先生も、歩きに歩かれた。
 「広宣流布のために、常に行動していく人は、まことの大聖人の門下であられる。これこそ、学会にあっては私の真の弟子である」
 この戸田先生の指導のままに、私も、行動に徹してきた。世界中を動き、走ってきた。
 この「行動」によってこそ、太陽の大仏法は、世界190カ国・地域にまで正しく伝えられ、広まってきたのである。
 戸田先生は、「誠意、誠実といっても、行動がともなわなければ、何にもならないぞ」とも、よく言われていた。
 私も「行動」しか信じない。いな、「行動」しか信じられない。
 大聖人は御書の中で、法華経法師品の次の文を何度も引いておられる。
 「よくひそかに一人のためにでも、法華経、乃至はその一句だけでも説くならば、まさに知るべきである。この人は如来の使いであり、和来から通わされて、如来の振る舞いを行じているのである」(同1359ページ、通解)
 妙法を語り、弘めゆく「行動」こそが、仏に連なる道である。これは永遠に変わらざる法理である。

 青春を
  悔いなく飾れや
   自らが
  人間錬磨の
    行動起こして

 清き心で行動を続ける、白蓮グループの友に贈った一首である。
 一、第2総東京の皆様は、新たな広宣流布の拡大の道を開くために、智慧をわき出して、先駆の行動を生き生きと起こしてこられた。
 婦人部と女子部が一体となって『新・人間革命』を研鑽し、友人もともに参加されゆく「コスモス平和大学校」も、まことに素晴らしい。
 また婦人部の「御書アカデミー」も、「行学の二道」の大いなる推進力である。
 女子部時代から、まっすぐに薫陶を受けてきた方々が活躍する、ヤング・ミセスの「マイ・サークル運動」も、さわやかな共感と友情を広げている。
 さらに婦人部の「女性広報部」の人間外交も、なんと清々しいことか。
 愛するわが地域に貢献しゆく、若手の壮年・婦人部の「地域先陣会」の方々も、深く地元に信頼の根を張っておられる。
 さらに、正義と勇気の「教宣部」の皆さま方の健闘も、大聖人は、どれほど賞讃してくださっていることか。

熱原の法難の中大聖人の御伝言「皆、同じ心で」進め
異体同心が勝利の方程式
「城者として城を破る」魔性の根を断て

 広宣流布を妨げる悪に対して、ずる賢く沈黙したり、傍観したりすることは、それ自体が悪に通じてしまう。
 御書には仰せである。
 「法華経の敵を見て、世をはばかり、世を恐れて黙っていたら、釈尊の敵となってしまう。どんな智人・善人でも必ず無間地獄に堕ちる」(同1412ページ、通解)
 この戒めを、ゆめゆめ忘れてはならない。
 仏法破壊の悪人とは、「言論の剣」で、断じて戦い抜いていくことだ。

妙法を持つ人は皆、仏に 互を讃え尊敬し合え

第2総東京最高幹部協議会でのスピーチ 中-2に続く


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