2008年4月23日 聖教新聞 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 1-2

2008年4月23日 聖教新聞
創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 1-2

 一、わが学園生にも、最愛の父や母を亡くした人がいます。
 私も、そうした学園生に出会うたび、全力で励まし、ご両親に代わって見守り続けています。
 8年前、卒業を間近に控えた関西創価学園の友と兵庫でお会いしました。
 私は、「お父さんがいない人?」、そして、「お母さんが亡くなった人?」と尋ねました。
 手を挙げた人に、妻が用意した“お菓子のレイ(首飾り)”を差し上げました。
 その時、2度とも手を挙げた高校3年の女子生徒がいました。彼女は、中学2年の時に、お父さんもお母さんも交通事故で失っていたのです。私もよく知っている、素晴らしいご両親でした。
 二つのレイを首に掛けて、美しい笑顔の乙女。ともに卒業していく同級生たちから、大きな大きな拍手が沸きました。すべてを分かり合っている同級生たちは皆、彼女の“心の応援団”です。
 彼女は、ポケットに両親の写真を入れて、学園生活を頑張りました。おばあちゃんが懸命に面倒をみてくれました。
 彼女のお姉さんと妹さんも、関西創価学園生です。3姉妹とも、立派な後継の人材として、後撃たちの希望の太陽となって、使命の道を歩んでいます。
 私は本当にうれしい。
 「最も深い悲しみ」を乗り越えた人は、若くして「最も深い哲学」をつかんだ人です。
 生命の尊さを知り、人生の意義を思索し、人の心を思いやれる、優しく、深く、そして強い人間に成長できる。
 目には見えなくとも、生命は、生死を超えて結ばれております。亡きお父さんや、お母さんは、わが生命に生きている。一体不二である。
 それを自覚すれば、何倍も大きく豊かな力を出して、この人生を生き抜いていくことができる。
 そして皆さん方が勝つことが、お父さん、お母さんの勝利です。
 皆さん方が幸福になることが、父母の幸福であり、栄光なのです。
 ダンテも、悲観や感傷などに決して負けませんでした。
 すべてをバネにして、雄々しく勉学に挑戦し、何ものにも揺るがぬ自分自身を築き上げていったのです。

 学園は
   意義ある青春
     親孝行

 朝、早く起きるのも戦いだ
 一、ちょうど30年前の昭和53年(1978年)4月、私は、関西創価学園の友に、「この道」の詩を贈りました。
 関西創価学園に向かう「一本の道」。
 四季折々に美しく、田園が広がり、葡萄や梨が実る、豊かな自然の中の通学路。
 そこを、はつらつと登校してくる学園生の姿を見て綴った詩でした。

 この道よ
 この一筋の この道
 ああ 交野の路よ

 君よ
 昇りゆく
 朝日につつまれて
 いついつも あゆみし
 この道を 忘れまじ

 青春の
 あの日 この日を
 乙女の語らいし
 ああ 交野の路

 この時、私は、6期生として入学したばかりの学園生に語りました。
 「今なすべきことは、一生懸命学園生として勉強することです」
 「一番大事な人生の総仕上げの時に勝てる基盤を、今、作っているのです」と。
 そして午後には、自転車に乗って、この一本道を皆で散策しました。
 春光の降り注ぐ中、帰宅途中の学園生と楽しく語り合ったことは忘れ得ぬ思い出です。
 多くの卒業生が、この「一筋の道」を立派に歩み通し、「正しい人生」を、「負けない青春」を朗らかに生き抜いています。
 皆さんも堂々と続いていっていただきたい。
 もちろん、楽しい時ばかりではないでしょう。学校に行くのがつらい時も、あるかもしれない。苦しくて、泣きたくて、道を行く足が、鉛のように感じられる時だって、あるかもしれない。
 また、毎日1時間、2時間と、長い道のりを通学している人もいる。本当に大変だ。
 しかし、朝、早く起きるのも戦いです。雨や雪の中、学校に通うのも戦いです。
 一つ一つが、価値ある人生、勝利の人生を築くための挑戦なのです。
 自ら誓った「使命の道」「勉学の道」。友と励まし進む「友情の道」。この道を歩み抜いていく人は幸福です。
 〈「この道」の詩は、創立者が2000年に、2番、3番を詠み贈った。この折、1番の「乙女の語らいし」が「わが友と語らいし」に改められた〉

 古典は人類の宝
 一、ダンテは振り返っています。
 「私は幼少時代よりして真理に対する愛に絶えず養われた」(中山昌樹訳『ダンテ全集第7巻』日本図書センター。現代表記に改めた)
 真理を求めて、学びに学び抜いてきた誇りが伝わってきます。
 その向学と探究の精神は、学園の校訓の第1項目、すなわち「真理を求め、価値を創造する、英知と情熱の人たれ」にも通じます。
 では、ダンテの青春と学問は、どのようなものであったのでしょうか。
 当時は、今のような印刷機がなかったため、書物は極めて貴重なものでした。一冊一冊、人間が手で書き写したのです。紙も非常に高価なものであった。
 本一冊を買うために、葡萄畑を売ったという話さえあります。
 本は、「宝」です。古典の名作は、人類が力を合わせて護り伝えてきた「財宝」なのです。
 皆さんは、低俗な悪書など断じて退けて、優れた古典を読んでもらいたい。
 本を読み抜くことが、すべての学問の土台です。若きダンテは、徹して「良書」に挑戦します。
 何ごとであれ、「徹する」ということが、人間として一番強い。勉強でも、スポーツでも、芸術でも、徹し抜いてこそ、才能は花開くのです。

 初めは難解でも
 一、とりわけ、ダンテは「死」という人生の根本問題に直面した青年時代、哲学書を読むことに没頭しました。
 なぜ、人は苦しみ、悩み、そして死ぬのか。
 何のために、人は生きるのか。
 この人生を、どう生きれはよいのか──。
 人間の根幹となる問いかけを持ち、その答えを、人類の「精神の遺産」である哲学や文学に求めていったのです。
 ダンテ青年は、“古代ローマの光り輝く英知”である、大詩人ウェルギリウス、雄弁家として名高い哲学者キケロ、政治指導者で哲学者のボエティウスなどの名作を、次々と読破していったといわれています。
 なかでも、ウェルギリウスの詩集について、ダンテは後に『神曲』で、感謝を込めて綴っています。
 「長い間ひたすら深い愛情をかたむけて/あなたの詩集をひもといた」「私がほまれとする美しい文体は/余人ならぬあなたから学ばせていただきました」(平川●弘訳、河出書房新社
 一冊の良書との出あいは、人生を大きく開く力があるのです。
 とはいえ、秀才ダンテといえども、最初から、すべてを簡単に理解できたわけではなかった。
 ダンテは、キケロボエティウスの著作を読んだ時、初めは意味を理解することが難しかったと正直に述べています。
 真剣に学んでいる人は、知ったかぶりはしない。謙虚です。誠実です。そして、知らないこと、分からないことを、貪欲なまでに探究し、理解し、吸収して、自分の心の世界を広げていこうとするのです。
 私が対談してきた知性の方々も、皆、そうでした。
 一、思えば、私も10代のころに、ダンテの傑作『神曲』を読んだが、本当に難しかった。とくに当時は、翻訳の文体も難解でした。
 しかし、何としても理解したいと、何度も何度も読み返した。そうやって、最高峰の文学を自分の血肉としてきました。
 あの残酷な太平洋戦争が終わった翌月、私は向学心に燃えて、夜間の学校(東洋商業)に通い、学び始めました。
 たしか、そのころの教材にも、ダンテの『神曲』が綴られていました。

 若き日に
  難解の神曲
   あこがれて
  読みたる努力が
     桂冠詩人

 どうか、わが学園生は、人類の英知が結晶した「良書」に挑んで、壮大な心の旅を繰り広げながら、旭日のごとく冴えわたる頭脳を磨き上げていってください。
   (2につづく)

創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 1〔完〕



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