2008年5月15日 聖教新聞 創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 4-2

2008年5月15日 聖教新聞
創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 4-2

 ケネディも愛読
 一、アメリカの若き指導者ケネディ第35代大統領も、ダンテの文学を好んでいました。
 大統領は、ダンテの信条を通して、こう語っています。
 「地獄で最も熱いところは、道徳にとって大変な危機の時代に臨んで優柔不断な姿勢をとる人間のためにあけてある」(宮本喜一訳『勇気ある人々』英治出版)と。
 であるならば、正義が貶められている時に、戦いもせずに傍観している者は、地獄の最も熱いところに行くということです。正義の戦いは、絶対に中途半端であってはならない。
 ダンテの正義のペンは「火の筆」といわれるほど、徹底したものでした。
 『神曲』では、先人がダンテを、こう戒めています。
 「おまえの叫びは、さながら疾風のごとく鋭く、/梢が高ければ高いほど激しく撃つがよい」(前掲平川訳)
 邪悪を諌め、正すためには、相手の位(=梢)が高ければ高いほど、強く鋭く撃て!
 これが『神曲』に込められた正義の魂なのです。
 一、実は、私は、ケネディ大統領からの要請もいただき、お会いする予定がありました。
 しかし、日本の政治家から邪魔が入って、会見は中止になった。その後、大統領が亡くなってしまったのです。
 もしも会見が実現していれば、ダンテの文学についても語り合えたかもしれません。
 後に、弟であるエドワード・ケネディ上院議員が、お兄さんに代わって、わざわざ東京まで会いに来てくれました。
 また、私が対談集を発刊した、世界的な経済学者のガルブレイス博士も、ケネディ大統領を支えた一人でした。
 共に敬愛する大統領の信念を偲び、対談にも収めました。
 ガルブレイス博士は、私がハーバード大学で2度目の講演を行った時にも、深い共鳴の講評を寄せてくださった方です。
 一、私は、このハーバード大学の講演で、人間の「生」と「死」を一つのテーマに据えました。
 それは、なぜか。
 「生」と「死」を正しく見つめることを忘れ、「生命の尊厳」を見失ってしまえば、社会は混乱するからです。
 正しい生命観の上にこそ、平和も築かれる。「死」を見つめてこそ「生」もまた輝く──そのことを私は、現代文明の最先端のハーバード大学で訴えたのです。
 幸い講演には、大学関係者や研究者の方々から予想を超えた反響をいただきました。

 悔いなき青春を
 一、ダンテもまた、自らの哲学書『饗宴』の中でこう述べています。
 「すべての非道のうち、最も愚かにして、最も賎しむべく、また最も有害なものは、この世の後に他の世がないと信ずるものである」(中山昌樹訳『ダンテ全集第5巻』日本図書センター)と。
 つまり、死ねばすべて終わりで、何も無くなると信じることはど、愚かで、賎しく、有害なものはないというのです。
 これが、さまざまな書物をひもとき、思索し、探究したダンテの一つの結論でした。
 ダンテは、何よりも、「この現実の世界で、よりよく生き抜くため」に、生死を見つめ、『神曲』を書いたのです。
 一、『神曲』の中で、師匠のウェルギリウスがダンテに繰り返し教えたことは何であったか。
 それは「時を惜しめ」ということでした。
 「いいか、今日という日はもう二度とないのだぞ!」(前掲平川訳)と。
 この師弟の心が、私にはよく分かります。
 終戦後、私は、戸田先生のもとで学び、働き始めました。
 肺病で、いっ死ぬかも分からない体でした。
 30歳までは生きられないと医者から言われたこともあります。
 だからこそ一日一日を、一瞬一瞬を、悔いなく懸命に生きました。
 たとえ今日倒れても、もしも明日死んでも、かまわない──その決心で、戸田先生のため、人々のため、社会のために、死にものぐるいで働きました。
 限りある人生の時間の中で、友に尽くし、わが命を磨きに磨き、死によっても壊されない「永遠に価値あるもの」を求め抜いていきました。
 こうして、戸田先生に薫陶いただいた青春の10年間は、私の人生のすべての土台となる「黄金の10年」となったのです。
 皆さんも、わが学園で断じて学び抜き、体も心も鍛え抜いて、悔いなき黄金の一日一日を勝ち取っていただきたいのです。

 青春を
  我も勝ちたり
     君も勝て

学園生は一生涯私の胸に
若き創価の英雄の誓い
「先生!私は絶対に勝利します」

 一、完全燃焼の「生」──わが学園生の中には、荘厳な生死のドラマを刻んで、「生きる」とは「戦う」ことであると、鮮やかに教え残してくれた若き英雄たちがいます。
 それは1989年(平成元年)の10月のことでした。
 私もよく知る東京校の一人の学園生が、「骨肉腫(こつにくしゅ)」と宣告されました。当時、高校1年生でした。
 骨肉腫とは、骨の悪性腫瘍です。
 「骨肉腫」との診断から5カ月後でした。彼は、右足を太ももから切断しました。
 それでも、弱音なんか吐かなかった。松葉杖で通学も再開しました。
 夢は文学者になることでした。世界一の文学者に。そのために真剣に読書し、学びました。
 肺に「転移」した後は、左肺を3度も切除手術。まさに死闘でした。
 彼は、未来を見つめて頑張った。
 ──偉大な人は皆、大きな難に遭っていると、池田先生がおっしゃっている。僕は世界一の文学者になるのだから、今までの苦労なんて、先のことを考えたら、どうってことない──と。
 私は闘病中の彼に、何度も励ましを伝え、次の揮宅を贈りました。

 生涯 希望
 生涯 勇気
 生涯 文学

 希望とは未来の栄光に生きる心
 一、卒業を4カ月後に控えた1991年(平成3年)の11月。
 創価女子短期大学の白鳥(はくちょう)体育館で、卒業記念の撮影会が行われました。
 "絶対に一緒に参加したい"という同期の22期生たちの祈りに包まれて、彼は、勇んで入院先の病院から会場に駆けつけてくれた。
 私は撮影会場で彼の姿を見つけると、まっすぐに、車椅子の彼のもとへ向かいました。
 「よく来たね」
 「はい、どうもありがとうございます」
 がっちりと握手を交わしました。
 彼の両目から、大粒の涙があふれました。
 きりっと胸を張った、学園生らしい立派な姿でした。
 病魔から一歩も逃げないで戦い抜いた、美しい「勝利の涙」でした。
 それから2週間後の11月25日、彼は、安らかに息を引き取りました。
 約2年間の闘病を越えて、霊山浄土へ旅立っていったのです。
 一、希望とは何か?
 ダンテは答えます。
 「希望は未来の栄光を/疑念をさしはさまずに待つこと」(前掲平川訳)と。
 未来永遠の栄光に生きる者にとって、「絶望」の二字はありません。
 わが友は、断じて負けなかった。
 周囲に無限の「勇気」と「希望」と「決意」の炎を灯してくれた。不屈の青春の大叙事詩を綴ってくれたのです。
 彼とともに学園生活を過ごしたクラスメートは、彼の姿を大切に胸に収めて、それぞれの立場で、立派な結果を示し始めています。
 私の胸には、今も、「先生! 僕、絶対に勝利します!」という彼の生命の叫びが、生き生きと、こだましています。
 一、これまで人生の途上で逝かれた、東西の学園生、創大生、短大生の皆さん方は、一人ももれなく私の胸の中に生きています。何があっても絶対に忘れません。
 それが、創立者の心であることを皆さんに語っておきます。

 健康第一で!
 一、大切な大切な創価の友の健康を、無事故を、私は妻とともに、いつも真剣に祈っています。
 今は病気の人も、決して弱気になってはいけない。何があっても強気で! すべてに意味があるのです。
 どんなことがあっても、微動だにしてはいけない。悠然と進むのだ。生命は永遠なんだから!
 私とともに、断じて生き抜いて、勝ち抜いていただきたい。
 だれ人にも、自分にしかない、大きい使命があるのです。また元気になって、一緒に戦おう!
 皆さんと私は、永遠の絆で結ばれた三世の同志なのです。

 君たちの
  名前を一生
    忘れまじ
   私の心に
      栄光眩(まばゆ)く

 一、ダンテは、「予め労苦し、後代のものらをして富ましめ」(中山訳『ダンテ全集第8巻』同)と語っています。
 自分自身が苦労して、後に続く人々のために、豊かな精神の遺産を残しゆけというのです。
 そのために、若き君たちは、今日も健康第一で、張り切って、学び抜いていただきたい。
   (5につづく)

創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 4-2

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