2008年5月18日 聖教新聞  随筆人間世紀の光 160 わが師の思い出の歌──"五丈原"と"大楠公"-2  山本 伸一

2008年5月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 160 わが師の思い出の歌──"五丈原"と"大楠公"-2  山本 伸一


 再び涙される師を見つめながら、私は誓った。
 ──先生! 私が一切の矢面に立って、必ず広宣流布の勝利の突破口を開きます! どうか、ご安心ください!
 それは、本物の弟子が一人立つ、誓願の歌となった。

 偉大なる
 創価孔明
    立ち上がれ
 勝利の歴史を
    永遠(とわ)に残せや
     ◇
 ところで、土井晩翠が、傑作「星落秋風五丈原」を発表したのは、何歳であったか。
 当時、彼は二十七歳。若き青年詩人であった。
 まことに若さには、偉大な力があり、無限の光がある。
 そして同じころ、彼はもう一つ、不滅の詩を残した。
 「荒城の月」である。
 「春高楼の花の宴………」と始まる名歌である。
 それは──
 福島県会津若松鶴ヶ城址と宮城県仙台の青葉城址に発想を得たものといわれる。
 さらに、滝廉太郎の曲は、大分県の竹田にある岡城址が発想の源泉となった。
 私も、この三つの城を、それぞれ訪れた。いずれも、忘れ得ぬ歴史である。
 ことに青葉城址には、恩師と共に登った。
 昭和二十九年の春四月──晩翠が世を去って二年になろうとしていた。
 「垣に残るはただかづら」と晩翠が詠んだ、牢固たる石垣をご覧になりながら、先生は厳然と言われた。
 「学会は人材をもって城とせよ!」
 かの諸葛孔明も叫んだ。
 「国を治める道は、力を尽くし、優秀な人材を見出し、登用することにある」
 その通りだ。人材を育て、青年を伸ばしていく以外に、永続する勝利はない。
 今、ゆかりの東北の宮城県にも、また福島県にも、そして大分県にも、邪宗門の宗教弾圧を勝ち越えて、揺るぎない人材の大城が築き上げられており、嬉しい限りだ。

 築きたり
   創価の長城
    盤石に
  人材陣列
    世界に揃いて
     ◇
 大正十一年(一九二二年)の十一月、世界的な大科学者アインシュタイン博士が来日した。
 この折、戸田先生は、師・牧口先生とご一緒に、慶應義塾大学で行われた博士の「相対性理論」の講演を聴かれたことを、人生の誉れとしておられた。
 この翌月、アインシュタイン博士は、宮城県を訪問し、土井晩翠とも語り合っている。
 晩翠は、東北を代表する「河北新報」に、博士を讃える長文の詩を発表した。
 「……ああアルバート・アインシュタイン
 ……げに彗星の突として暗夜の旅を照らす如く
 人文の史に一道の光を放つ偉大の名」
 「……天の恩寵は
 永くも君にあれとこそ
 おおいなるもの、高きもの、すぐれしものの踏まむ時
 塵土しばしば清からむ」
 ドイツ語の訳詩を受け取った博士は、「大なる喜びと驚嘆とを以て」、感謝の返事を送ったのである。
 日本の詩人から、世界の知性への贈詩──その心の交流は、後世へ伝え残されていくべき、ゆかしき文化の伝統といってよい。
 詩を贈ることは、心を贈ることである。心を結んでこそ、まことの友誼である。
 ゆえに私も、友情を結んだ世界の識者や指導者に、折にふれ、詩を贈ってきた。
 今回、再会した中国の胡錦濤主席に、漢詩をお贈りしたのも、そうした心情からであった。
     ◇
 今、八王子の東京富士美術館で、「大三国志展」が盛大に開催中である。
 本年は、日中平和友好条約三十周年、私が"日中国交正常化提言"を発表して四十周年に当たる。両国の心を結んできた歴史の上に、新たな意義を刻む展覧会となり、関係の方々へ感謝は尽きない。
 今回の大震災で被災された四川省の研究院、博物館などからもご協力をいただいており、重ねてお見舞い申し上げたい。

大三国志展の絵巻

 三国志
   おお壮大な
    大絵巻
  若き魂
    奮い舞いたり

 熱血の「三国志」がテーマとあって、連日、多くの方々も友人を誘って鑑賞してくださっている。
 展示品の中に、「桃園の契り」で有名な豪傑・張飛が、ただ一騎、橋の上から敵軍に対峙する「長坂坡の戦い」の絵画(山口県光市の三国志城博物館蔵)がある。
 ──壊滅に等しい劉備勢に対し、押し寄せる敵将・曹操の大軍。その前に一人立ちはだかった張飛は、大声で叫ぶ。
 「われと勝負を決するものはないか!」
 その天をも揺るがす大音声に、敵軍は肝を失った。
 三度、張飛の叫びが轟くと、敵将・曹操はじめ、全軍が潮が引くように逃げ去っていった。
 『三国志演義』に「一声好(あたか)も轟雷の震えるにも似て、独り曹家(そうか)百万の兵を退(ひ)かしむ」と謳われた名場面である。
 決死の一人には、万軍に勝る力がある。
 勇気の師子吼には、万人をも動かす力があるのだ。
     ◇
 偉大なる
   母の慈愛の
      新世紀

 このたびの「大三国志展」で、小さいながら、とても印象深い展示品があった。
 「陶哺乳俑──授乳する母の像」だ。高さはわずか十二センチ。後漢時代の作とされる、赤い陶製の素朴な「母子像」である。
 幼子を抱くお母さんの表情は優しく、穏やかで、幸福感にあふれている。
 戦乱に明け暮れた後漢末から三国時代。そのなかで庶民の心は何を求めていたのか。
 それは、平和であり、母と子の幸福であったに違いない。
 本来、これこそ、諸葛孔明の悲願であったろう。
 「(孔明の)その志は乱を安んずることにあった」とは、正史『三国志』に記された言葉である。
 日蓮大聖人は、「立正安国論」に、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を●(いの)らん者か」(御書三一ページ)と叫ばれた。(●=示扁+壽)
 創価の師弟の悲願もまた、「立正安国」であり、「世界平和」の実現にある。
 それは具体的には、母と子が笑顔で暮らせる世界の実現にほかならない。
 そのために、我らは戦う!
 青年は断じて戦うのだ!
     ◇
 昭和三十年の一月、私は、日記に記した。
 「帰路、友と三国志等を語りつつ──。
 曹操の勇を思う。項羽の大勇を念う。関羽の人格。張飛の力。孔明の智。孫権の若さ」
 「王道の人たれ、覇道の人になる勿れ。民衆の王たれ、権力の将になること勿れ。
 大衆の友たれ、財力の奴隷になる勿れ。善の智者たれ、悪の智慧者になること勿れ」
 戸田先生が教えてくださった通りに、私は確固たる平和と正義の陣列を築き上げた。
 この王道に、無数の"創価の正行"が、そして"世界広布の若き孔明"が続いてくれている。
 戸田先生と歌った"大楠公"と"五丈原"は、「広宣流布」即「人類の幸福」をめざす、我らの永遠の勝利への誓願の曲となった。

 大楠公
  世にも偉大な
     師弟不二

 君達も
  広布に指揮執る
    三国志
  断固 勝ち抜け
    世界の王者と

 (随時、掲載いたします)

 土井晩翠アインシュタインに贈った詩は「河北新報」一九二二年十二月三日付=現代表記に改めた。アインシュタインの手紙は土井晩翠著『アジアに叫ぶ』(博文館)。晩翠の事跡は土井晩翠顕彰会編『土井晩翠 栄光とその生涯』(宝文堂)、金子務著『アインシュタイン・ショック』(岩波書店)等を参照。『三国志演義』は小川還樹・金田純一郎訳『完訳三国志3』(岩波書店)。諸葛孔明に関する言及は『諸葛亮集』(中華書局)、『三国志4 蜀書』(中華書局)、井波律子訳『正史三国志5』(筑摩書房)、加地伸行著『諸葛孔明の世界』(新人物往来社)、渡辺義浩著『諸葛亮孔明』(新人物往来社)などを参照。

随筆人間世紀の光 160 わが師の思い出の歌──"五丈原"と"大楠公"〔完〕


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