2008年5月27日付 聖教新聞  新時代第18回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-2

2008年5月27日付 聖教新聞
新時代第18回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-2

 「信心でぶつかってきなさい!」
 一、さらに、戸田先生の指導に学びたい。
 先生は言われていた。
 「指導者に、新鮮な息吹がなくなってくると、学会の組織は弱体化する」
 リーダーは生まれ変わったように、毎日、生き生きと、快活に戦っていくことだ。壮年も、青年も、海外の友も!
 皆に疲れた顔を見せたり、年を取ったからといって、心が退いてしまってはいけない。
 一人一人を全魂込めて励ましていくのだ。その人を支える家族にも、心からの感謝を捧げていくのである。
 「大聖人の説得力は、単なる説得力ではない。よく御書を拝してみなさい。根本が慈悲から発している説得力である。だから偉大なのである」
 これも戸田先生の指導である。
 大事なのは「根本」が何かだ。
 ただ自分が偉くなりたい。皆を思うように動かしたい。そんなことを考える人間が指導者になったら大変だ。
 どこまでも尊き学会員のため、そして広宣流布のため──これがリーダーの根本でなければならない。
 また、戸田先生は語られた。先生の言葉を、そのまま伝えたい。
 「君たちは、私との間に、何か一枚置いている。形式張った感じがする。それは、いけない。大作のように、信心でぶつかってきなさい」
 先生はよく「大作のように」と言われた。
 自分は偉いんだという傲慢や、叱られないようにうまくやろうという要領があってはならない。また、臆病であってもならない。
 信心で、まっすぐにぶつかっていく。これが弟子の姿勢である。

ユゴー あらゆる苦悩をだきしめることから信念がほとばしりでる

 師弟ありて発展
 一、ここで御聖訓を拝したい。日蓮大聖人は仰せである。
 「法華経の大海のような智慧の水を受けた根源の師を忘れて、よそへ心を移すならば、必ず地獄等の六道の迷苦の生死を経巡るという災いにあうこととなろう」(御幸1055ページ、通解)
 師弟こそ仏法の魂である。
 当然、根源の師は日蓮大聖人であられる。
 しかし、現代の社会において、大聖人の教えをどう実践し、世界へと弘めていくか。一つ一つを具体的に、大聖人にうかがうことはできない。
 だからこそ、大聖人に直結して、不惜身命で広宣流布を進めゆく師匠の存在が大事なのだ。創価の師弟が重要なのである。
 かつて日淳上人も、大聖人の遺命を現実のものとした創価学会の偉業を、最大に讃え、学会の師弟の精神を賞讃しておられた。
 〈日淳上人は、創価学会第2回九州総会の講演(昭和33年6月)で述べている。
 「創価学会が何がその信仰の基盤をなすかといいますと、この師匠と弟子という関係において、この関係をはっきりと確認し、そこから信仰を掘下げてゆく、これが一番肝心なことだと思う。
 今日の創価学会の強い信仰は一切そこから出てくる。
 戸田先生が教えられたことはこれが要であろうと思っております。
 師を信じ、弟子を導く、この関係、これに徹すれば、ここに仏法を得ることは間違いないのであります」〉
 こうした先師の教えに違背し、仏意仏勅の学会の破壊を企てたのが日顕宗である。

 「邪師を捨てよ」
 一、きょうは、この日顕宗と戦う真実の同志が参加しておられる。ようこそ! よくいらっしゃいました!(大拍手)〈青年僧侶改革同盟のメンバーが紹介された〉
 同じ人間として、気取らないで、一緒に御本尊の功徳を受けながら、人生の深さを味わっていきましょう!
 誠実に、清らかな信心の風に接しながら、楽しく進みましょう!
 つくられた、形だけの坊主の集まりなど、大聖人の本義とは関係ない。
 皆さんは、今、こうして学会とともに進んでいる。幸せなことです。
 皆さんの戦いは、大聖人が見てくださっている。大聖人の仰せ通りに、新しい時代を切り開いているのです。
 頑張ってください!(大拍手)
 「五老僧の邪義を破折した「五人所破抄」には、日興上人の訴えが記されている。
 「(身延などの大聖人の門下は)宿習のゆえに正しい師匠に会えたというのに、法を正しく持ち伝えているのがだれなのかを、わきまえられないでいる」(御書1616ページ、通解)
 大聖人亡き後、日興上人だけが、大聖人の教えを厳格に貫いた。五老僧は自分が中心となり、慢心を起こして大聖人の仏法を破壊した。今でいえば日顕宗である。
 日興上人は述べておられる。
 「日蓮大聖人の正義に違背する師匠たちを捨てないことが、かえって罪になるというのが、この法門である」(編年体御書1734ページ、通解)
 大聖人に背く邪師は捨てねばならない。これが日興上人の仰せである。
 堕落した日顕宗の坊主と戦ってきた学会は、絶対に正しい。
 遊興と贅沢の限りを尽くした坊主が、大聖人の正統であるわけがない。
 民衆と一体となって戦う。それが本当の仏法者なのである。

女子部・白蓮グループが新出発
使命の青春を生きよ
トルストイ 「人間の生命は幸福へと向かう」

 毎日が勉強!毎日が前進!
 一、ここで少し、ロシアの文豪トルストイに触れたい。
 座談会でも、たまには「トルストイは──」などと世界の知性の話が出れば、来た人も「ああ学会も幅広いんだな」と目を見張る。信行学は不変の軌道だが、「いつもいつも同じ話」と思われるようではいけない。
 毎日が勉強であり、毎日が前進である。私も若き日から、日々の多忙な執務の合間を縫って、良書を繙いてきた。
 ある時、戸田先生が「君は短い時間を見つけては、トルストイを読んできたな」と、私に言われた。
 先生は、何でも、よく知っておられる。読んだ本について、意地が悪いくらいに(笑い)、一つ一つ、私に聞かれる。たとえ、ごまかそうとしても、嘘か本当か、先生にはすぐわかる(爆笑)。
 結婚して、小さなわが家だったが、本だけは、たくさんあった。本に住みついた南京虫には困ったけれども(笑い)。
 本棚を見て、妻が「ああ、トルストイですね」と語っていたことも懐かしい。
 1887年に発表されたトルストイの『生命について』(「人生論」)は、彼の生命観を綴った書である。そこには次のような一節がある。
 「人間の生命はひたすら幸福へと向かうことであり、彼の希求するものは与えられているのである」
 トルストイは強調する。「動物としての生存の法則」だけに則って生きていては、死や苦しみを乗り越えることはできない。
 「自分の中に愛という唯一の真の生命を解放することだけが、人間に幸福をもたらすのである」と訴えている。〈八島雅彦訳、集英社文庫から〉
 「慈悲」を生き方の根底にすえる仏法の哲理とも響き合う。
 幸福になりたい。裕福になりたい。楽しく暮らしたい。偉くなりたい──そうした願いも、生命の法則に則ってこそ、真に勝ち取ることができるのである。
 一、オーストリアの出身で、「ヨーロッパ統合の父」であるクーデンホーフ・カレルギ一伯爵とは、何度もお会いした。
 伯爵は、仏法を基調に平和運動を進める私に関心をもたれ、会見を強く希望された。たびたび足を運んでくださり、書簡もやりとりした。

『民衆は強し』『庶民こそ王者』
欧州統合の父 名声よりも『高貴な精神』を持て
シラー 心は青年!私には勇気がある

 〈名誉会長とクーデンホープ・カレルギ一伯爵は、1967年に東京で初会見。70年にも東京で4回、延べ十数時間にわたって会談。語らいは、対談集『文明・西と東』として発刊されている(『池田大作全集』102巻に収録)〉
 クーデンホーフ・カレルギ一伯爵は、こう述べておられる。
 「高貴な名前のかわりに高貴な精神がなければならない。富裕な懐中のかわりに豊かな心がなければならない。このことが、民主的と呼ばれる発展の精神である」(鹿島守之助訳『クーデンホーフ・カレルギー全集3』鹿島研究所出版会)
 ここに理想の指導者像が見てとれる。
 自分のことしか考えない人間がリーダーになれば、皆が迷惑する。
 わが胸に師弟の魂が燃えていなければ、皆に勇気を贈ることはできない。
 多くの同志から好かれるリーダーであっていただきたい。
 それには気取らないことだ。赤裸々に語ればいいのである。

 迫害に打ち勝ってこそ真の英雄
 一、フランスの作家アンドレ・マルロー氏のことも、ご存じの方が多いだろう。
 実に頭のきれる人であった。フランスを代表する文化人である氏が、私に会いたいと望まれた。
 初めての会見は、1974年5月18日、場所は聖教新聞社であった。
 2度目は、パリ郊外にあるマルロー氏の自宅で、75年5月19日にお会いした。
 当時のことは、今もよく覚えている。
 76年にマルロー氏が逝去された後も、マドレーヌ夫人から、さまざまな貴重な品を頂戴した。
 マルロー氏の画集、氏の小説『王道』の1958年刊の限定本、氏の自重な手稿(演説のための手書きのメモ)などである。
 夫人のご厚情については、つぶさにうかがっている。あらためて、心から感謝申し上げたい。
 〈マドレーヌ夫人は、こう語っている。
 「日本人で、マルローと対談した方は本当に限られた方だけでした。池田会長は、マルローの尊い友人なのです」〉
 マルロー氏は、極悪のナチスと戦った闘士である。フランスの文化大臣も務めた。氏と私の語らいは対談集『人間革命と人間の条件』(聖教ワイド文庫)に結実している。
 マルロー氏は述べておられた。
 「栄光というものは、目にあまる侮辱を通して、その最高の輝きを見出すのです」(ピエール・ガラント著、斎藤正直訳『アンドレ・マルロー──小説的生涯──』早川書房

新時代第18回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3に続く


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