2008年5月27日付 聖教新聞 新時代第18回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3
2008年5月27日付 聖教新聞
新時代第18回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3
正義の英雄は、必ず非難中傷される。されないのは、偽物である。本物の指導者ではない。
非難中傷をもすべて見おろして、断固として戦い、勝利する。これが、真の英雄だ。
マルロー氏の言葉のごとく、圧迫や中傷を受け、それでも断じて前進していくのが、学会の偉大なる栄光である。
「大悪をこ(起)れば大善きたる」(御書1300ページ)との仰せの通りに、学会は大発展してきたのである。
反対に、難に直面しても逃げてしまう。同志が苦しむのを尻目に、自分はうまく敵を避ける。そんな人間が「将」になれば、未来の勝利は開けない。
私は若き日から、あらゆる大難の矢面に立って戦ってきた。戸田先生には「どうかご安心ください」と申し上げ、阿修羅のごとく戦った。
激動の日々であった。朝早くから真夜中まで師匠のために奮闘した。
先生は、どこへ行くにも「大作!」、何があっても「大作!」と信頼してくださった。私は一人立ち、すべてを勝ち越えた。
そうした闘争ありて、今日の学会は築かれたのである。
戸田先生は叫ばれた。
「人間であるならば、恩義に報いずして、それでよいのであろうか。絶対によくない」
先生の遺言である。
責任ある立場の人間は、口先ではなく、命がけの信心で、本当の意味で学会を守り抜くのだ。
学び鍛えよ!
一、幕末の志士・高杉晋作は、獄中で、他の囚人に、このように語っている。
──師・吉田松陰は、私に言われた.。
「正論を叫び、実行すれば、必ず貶(おとし)められ、立場を失う。その時は学び、心を鍛えよ。10年の後に、為すべき大業は必ず成就できる」と。
この10年、自分の行うところは、師の言葉と、まさに符節を合わせるようであった。ゆえに今日の投獄を思えば、まさに師の言われる迫害の時であり、学ばないわけにはいかないのだ──
〈「正論抗議(せいろんこうぎ) 惟道(これい)い、惟、行なえ、しかればすなわち必ず、貶黜恬退(へんちゅつてんたい)の人とならん。しこうして後、讀書陳心、十年の後、大いになすべきあるは必すべしと」「今を隔つるまさに十歳、しこうして余の行なうところ先師の言と眞に符節を合する如し。よって、予の今日の幽囚を憶えば、先師のいわゆる貶黜恬退の時、それ、あに勉強讀書せざるべけんや」(堀哲三郎編『高杉晋作全集下巻』新人物往来社)〉
晋作は、師の言葉通りに、出獄後、歴史回天の大業を成し遂げる活路を開いた。刑死させられた師・吉田松陰の仇を討ったのである。
師匠の仇を討つ──それこそが、本当に偉大な人間の証しである。
戸田先生は広宣流布に立ち上がり、軍国主義と戦って獄死した牧口先生の仇を討った。私は戸田先生の仇を討ち、全世界に平和と幸福の大連帯を築いた。
この真実の師弟の闘争を、絶対に忘れてはならない。
高杉晋作は、獄中で高らかに詠った。
「身は籠の鳥のように繋がれていても 心は流れゆく水のように悠々たり」(冨成博書『高杉晋作 詩と生涯』三一書房)
いかなる権力も、心ま縛ることはできない。何があろうと、未来を見つめて、悠然たる心で進
みたい。
責任は自分が!
一、フランスの文豪ユゴーは綴った。
「あらゆる苦悩をだきしめることから信念がほとばしりでる」(井上究一郎訳『世界文学全集44 レ・ミゼラブル2』河出書房新社)
苦悩から、逃げよう、逃げよう、とするのではなく、苦悩を真正面から抱きしめていくのだ。
何事も、"私が責任をもつ!"と決めることである。
きょうは、ドイツからも、代表の友が駆けつけてくださった。
ドイツの詩人シラーは戯曲の主人公に、こう語らせている。
「わしの場合、いまなお衰えぬ勇気が人生の大波の上をまだまだ元気に勇ましく漂っておる」「自分の精神はまだまだ青年だと思っておる」(濱川祥枝訳『ヴァレンシュタイン』岩波文庫)
学会は「青年学会」である。壮年も、青年の勇気で進むのだ。
牧口先生は、最晩年まで「われわれ青年は」と弟子たちに呼びかけられた。
我らは永遠に「青年の心」で前進しよう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
「人間」で勝負
一、インドネシアでも、わがSGIの同志が生き生きと活躍している。ここで、著名な国民作家プラムディヤ氏の言葉を紹介したい。
「(庶民の)彼らは私より遥かに強靭な人間であり、私からすれば苦しみ以外のなにものでもないものによって鋼鉄のように鍛えられている」(押川典昭訳『プラムディヤ選集4』めこん)
庶民ほど、強靭な人間はいない。
位をもつ人間は、いつ追い落とされるかと思うと、心が安まらない。非難などされたら、もう大変である。
しかし庶民には、位もなければ富もない。人生を切り開くのは、自分の腕だ。度胸である。自分の体一つで、ぶつかるしかない。要するに、勝負は「人間」で決まる。
偉ぶる人間に、お金がないとバカにされ、使われることがあっても、庶民は強い。負けない。
いつもおだてられて偉くなり、お金もある。そういう人間は、いざという時に、もろいものだ。
庶民こそ偉大だ。庶民こそ王者であり、勝者なのである。
学会は、永遠に庶民の団体として勝ち進もう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
一、欧州チェコの代表的な作家にカレル・チャペック(1890~1938年)がいる。
生涯、新聞記者でもあり、哲学的な長編三部作 (「ホルドゥパル」「流れ星」「平凡な人生」)をはじめ、小説、戯曲、随筆、旅行記、童話、政治論など多彩な著作を残した。
ナチスの邪悪と、言論の力で戦って戦って戦い抜き、その最中で死んでいった、反ファシズムの闘士である。
哲人指導者マサリク大統領との対話集も大変に有名である。〈石川達夫訳『マサリクとの対話』成文社〉
そこでチャペックは、「民主主義の真の基礎は宗教である」というテーマで語り合っている。
深き精神性の基盤なくして民主主義はありえない──これは、世界の知性に共通した結論である。
学会が、この正しき道を歩んでいることを忘れないでいただきたい。
一、イギリスの首相チャーチル。
彼もナチスと戦い、そして厳然と打ち破った指導者であった。
ナチスによる空襲の爆弾が降るなか、悠然と空を見上げ、国民を励ました史実は有名である。
チャーチルは述べている。
「諸君は、諸君の油断大敵という気持を決してゆるめてはならない」(チャーチル研究会訳『チャーチル名演税集』原書房)
負けるとしたら油断からだ。相手ではない。勝敗は、自分の心いかんなのだ──これが彼の信条であったに違いない。
創価の精神もまた、同じでなければならない。
高杉晋作 身は籠の鳥のように繋がれても 心は流れる水のように悠々と
いざという時にビクビクするな
一、最後に、戸田先生のご指導を、もう一つ紹介したい。
戦時中、多くの幹部は、軍部権力の弾圧に恐れおののいた。口では、うまいことを言っていた人間が、ビクビクしていた。
そのことを先生は小説『人間革命』に、明確に書き残しておられる。
「日頃の大言壮語が、いざという場合に、どんなものであるか」「それをいやというほど見せられてきている」
「権力の前には、塩を振りかけられた蛞蝓(なめくじ)よりもだらしがない」──
そう言われないように戦おう! 頼むよ!
「いざ」という時が大事だ。
その時にはじめて人間の真価が分かる。
意気地なしであってはならない。圧迫が強ければ強いほど、朗らかに、堂々と正義を語り抜く──これが学会精神である。創価の師弟に流れる魂である。
戸田先生は、牧口先生を一人お守りし、ともに獄中闘争を貫かれた。
私もまた、戸田先生のために、一人、戦った。どんな時も、そして、ありとあらゆる点で、先生をお守りしてきた。
命をかけた闘争の真実を知れば、心ある人は膝を折って、慟哭するであろう。その戦いは、だれも想像できないだろう。
「まさかが実現」と大新聞が報じた、昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」の勝利。
私は、死に物狂いで戦った。味方をつくるために、頭を下げて回った。
戦ってくださる学会員の方々を大事にした。仏のごとくにお迎えし、お送りした。
そんな私を笑う人間もいたが、結果は、だれも想像できなかった大勝利であった。
私は「誠実」で勝った。
反対に、幹部が威張り、いい気になっていたところは負けてしまった。
諸君は絶対に、そういう愚か者になってはならない。
会合での話も、うまく話すことは大事だが、それ以上に、同志を思う真心が大事である。
私には体験があるから、申し上げるのである。
大阪の勝利に、先生は「大作、よく勝ったな」と感激しておられた。
二人きりの時、「大作、ありがたいよ」とも言ってくださった。
先生との思い出は、話せば尽きない。それはそれは、峻厳な師弟であった。
今日まで、私は「師弟の道」を歩んできた。「師弟の道」ありて、学会はここまで発展してきたのである。
戸田先生は書き残された(小説『人間革命』)。
「牧口先生は信仰を指導して下さるだけでなく、人生の学問も教えて下さる」
「先生の言動は、巌(=私)の言動でもある」
まさに師弟一体であられた。
この師弟不二の大精神を忘れずに進んでまいりたいと申し上げ、記念の幹部会を終わります。
来月、またお会いしよう!
戦おう! 楽しく戦おう!
海外の同志、万歳!
長時間、本当にご苦労さま。ありがとう! お元気で!(大拍手)
(2008・5・21)
※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。
新時代第18回本部幹部会での名誉会長のスピーチ〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。
新時代第18回本部幹部会での名誉会長のスピーチ-3
正義の英雄は、必ず非難中傷される。されないのは、偽物である。本物の指導者ではない。
非難中傷をもすべて見おろして、断固として戦い、勝利する。これが、真の英雄だ。
マルロー氏の言葉のごとく、圧迫や中傷を受け、それでも断じて前進していくのが、学会の偉大なる栄光である。
「大悪をこ(起)れば大善きたる」(御書1300ページ)との仰せの通りに、学会は大発展してきたのである。
反対に、難に直面しても逃げてしまう。同志が苦しむのを尻目に、自分はうまく敵を避ける。そんな人間が「将」になれば、未来の勝利は開けない。
私は若き日から、あらゆる大難の矢面に立って戦ってきた。戸田先生には「どうかご安心ください」と申し上げ、阿修羅のごとく戦った。
激動の日々であった。朝早くから真夜中まで師匠のために奮闘した。
先生は、どこへ行くにも「大作!」、何があっても「大作!」と信頼してくださった。私は一人立ち、すべてを勝ち越えた。
そうした闘争ありて、今日の学会は築かれたのである。
戸田先生は叫ばれた。
「人間であるならば、恩義に報いずして、それでよいのであろうか。絶対によくない」
先生の遺言である。
責任ある立場の人間は、口先ではなく、命がけの信心で、本当の意味で学会を守り抜くのだ。
学び鍛えよ!
一、幕末の志士・高杉晋作は、獄中で、他の囚人に、このように語っている。
──師・吉田松陰は、私に言われた.。
「正論を叫び、実行すれば、必ず貶(おとし)められ、立場を失う。その時は学び、心を鍛えよ。10年の後に、為すべき大業は必ず成就できる」と。
この10年、自分の行うところは、師の言葉と、まさに符節を合わせるようであった。ゆえに今日の投獄を思えば、まさに師の言われる迫害の時であり、学ばないわけにはいかないのだ──
〈「正論抗議(せいろんこうぎ) 惟道(これい)い、惟、行なえ、しかればすなわち必ず、貶黜恬退(へんちゅつてんたい)の人とならん。しこうして後、讀書陳心、十年の後、大いになすべきあるは必すべしと」「今を隔つるまさに十歳、しこうして余の行なうところ先師の言と眞に符節を合する如し。よって、予の今日の幽囚を憶えば、先師のいわゆる貶黜恬退の時、それ、あに勉強讀書せざるべけんや」(堀哲三郎編『高杉晋作全集下巻』新人物往来社)〉
晋作は、師の言葉通りに、出獄後、歴史回天の大業を成し遂げる活路を開いた。刑死させられた師・吉田松陰の仇を討ったのである。
師匠の仇を討つ──それこそが、本当に偉大な人間の証しである。
戸田先生は広宣流布に立ち上がり、軍国主義と戦って獄死した牧口先生の仇を討った。私は戸田先生の仇を討ち、全世界に平和と幸福の大連帯を築いた。
この真実の師弟の闘争を、絶対に忘れてはならない。
高杉晋作は、獄中で高らかに詠った。
「身は籠の鳥のように繋がれていても 心は流れゆく水のように悠々たり」(冨成博書『高杉晋作 詩と生涯』三一書房)
いかなる権力も、心ま縛ることはできない。何があろうと、未来を見つめて、悠然たる心で進
みたい。
責任は自分が!
一、フランスの文豪ユゴーは綴った。
「あらゆる苦悩をだきしめることから信念がほとばしりでる」(井上究一郎訳『世界文学全集44 レ・ミゼラブル2』河出書房新社)
苦悩から、逃げよう、逃げよう、とするのではなく、苦悩を真正面から抱きしめていくのだ。
何事も、"私が責任をもつ!"と決めることである。
きょうは、ドイツからも、代表の友が駆けつけてくださった。
ドイツの詩人シラーは戯曲の主人公に、こう語らせている。
「わしの場合、いまなお衰えぬ勇気が人生の大波の上をまだまだ元気に勇ましく漂っておる」「自分の精神はまだまだ青年だと思っておる」(濱川祥枝訳『ヴァレンシュタイン』岩波文庫)
学会は「青年学会」である。壮年も、青年の勇気で進むのだ。
牧口先生は、最晩年まで「われわれ青年は」と弟子たちに呼びかけられた。
我らは永遠に「青年の心」で前進しよう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉
「人間」で勝負
一、インドネシアでも、わがSGIの同志が生き生きと活躍している。ここで、著名な国民作家プラムディヤ氏の言葉を紹介したい。
「(庶民の)彼らは私より遥かに強靭な人間であり、私からすれば苦しみ以外のなにものでもないものによって鋼鉄のように鍛えられている」(押川典昭訳『プラムディヤ選集4』めこん)
庶民ほど、強靭な人間はいない。
位をもつ人間は、いつ追い落とされるかと思うと、心が安まらない。非難などされたら、もう大変である。
しかし庶民には、位もなければ富もない。人生を切り開くのは、自分の腕だ。度胸である。自分の体一つで、ぶつかるしかない。要するに、勝負は「人間」で決まる。
偉ぶる人間に、お金がないとバカにされ、使われることがあっても、庶民は強い。負けない。
いつもおだてられて偉くなり、お金もある。そういう人間は、いざという時に、もろいものだ。
庶民こそ偉大だ。庶民こそ王者であり、勝者なのである。
学会は、永遠に庶民の団体として勝ち進もう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
一、欧州チェコの代表的な作家にカレル・チャペック(1890~1938年)がいる。
生涯、新聞記者でもあり、哲学的な長編三部作 (「ホルドゥパル」「流れ星」「平凡な人生」)をはじめ、小説、戯曲、随筆、旅行記、童話、政治論など多彩な著作を残した。
ナチスの邪悪と、言論の力で戦って戦って戦い抜き、その最中で死んでいった、反ファシズムの闘士である。
哲人指導者マサリク大統領との対話集も大変に有名である。〈石川達夫訳『マサリクとの対話』成文社〉
そこでチャペックは、「民主主義の真の基礎は宗教である」というテーマで語り合っている。
深き精神性の基盤なくして民主主義はありえない──これは、世界の知性に共通した結論である。
学会が、この正しき道を歩んでいることを忘れないでいただきたい。
一、イギリスの首相チャーチル。
彼もナチスと戦い、そして厳然と打ち破った指導者であった。
ナチスによる空襲の爆弾が降るなか、悠然と空を見上げ、国民を励ました史実は有名である。
チャーチルは述べている。
「諸君は、諸君の油断大敵という気持を決してゆるめてはならない」(チャーチル研究会訳『チャーチル名演税集』原書房)
負けるとしたら油断からだ。相手ではない。勝敗は、自分の心いかんなのだ──これが彼の信条であったに違いない。
創価の精神もまた、同じでなければならない。
高杉晋作 身は籠の鳥のように繋がれても 心は流れる水のように悠々と
いざという時にビクビクするな
一、最後に、戸田先生のご指導を、もう一つ紹介したい。
戦時中、多くの幹部は、軍部権力の弾圧に恐れおののいた。口では、うまいことを言っていた人間が、ビクビクしていた。
そのことを先生は小説『人間革命』に、明確に書き残しておられる。
「日頃の大言壮語が、いざという場合に、どんなものであるか」「それをいやというほど見せられてきている」
「権力の前には、塩を振りかけられた蛞蝓(なめくじ)よりもだらしがない」──
そう言われないように戦おう! 頼むよ!
「いざ」という時が大事だ。
その時にはじめて人間の真価が分かる。
意気地なしであってはならない。圧迫が強ければ強いほど、朗らかに、堂々と正義を語り抜く──これが学会精神である。創価の師弟に流れる魂である。
戸田先生は、牧口先生を一人お守りし、ともに獄中闘争を貫かれた。
私もまた、戸田先生のために、一人、戦った。どんな時も、そして、ありとあらゆる点で、先生をお守りしてきた。
命をかけた闘争の真実を知れば、心ある人は膝を折って、慟哭するであろう。その戦いは、だれも想像できないだろう。
「まさかが実現」と大新聞が報じた、昭和31年(1956年)の「大阪の戦い」の勝利。
私は、死に物狂いで戦った。味方をつくるために、頭を下げて回った。
戦ってくださる学会員の方々を大事にした。仏のごとくにお迎えし、お送りした。
そんな私を笑う人間もいたが、結果は、だれも想像できなかった大勝利であった。
私は「誠実」で勝った。
反対に、幹部が威張り、いい気になっていたところは負けてしまった。
諸君は絶対に、そういう愚か者になってはならない。
会合での話も、うまく話すことは大事だが、それ以上に、同志を思う真心が大事である。
私には体験があるから、申し上げるのである。
大阪の勝利に、先生は「大作、よく勝ったな」と感激しておられた。
二人きりの時、「大作、ありがたいよ」とも言ってくださった。
先生との思い出は、話せば尽きない。それはそれは、峻厳な師弟であった。
今日まで、私は「師弟の道」を歩んできた。「師弟の道」ありて、学会はここまで発展してきたのである。
戸田先生は書き残された(小説『人間革命』)。
「牧口先生は信仰を指導して下さるだけでなく、人生の学問も教えて下さる」
「先生の言動は、巌(=私)の言動でもある」
まさに師弟一体であられた。
この師弟不二の大精神を忘れずに進んでまいりたいと申し上げ、記念の幹部会を終わります。
来月、またお会いしよう!
戦おう! 楽しく戦おう!
海外の同志、万歳!
長時間、本当にご苦労さま。ありがとう! お元気で!(大拍手)
(2008・5・21)
※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。
新時代第18回本部幹部会での名誉会長のスピーチ〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。