2008年6月11日付 聖教新聞 広布第2幕第9回青年部幹部会 下-2 全国学生部幹部会での名誉会長のスピーチ

2008年6月11日付 聖教新聞
広布第2幕第9回青年部幹部会 下-2
国学生部幹部会での名誉会長のスピーチ

厳窟王」の言葉
不幸に立ち向かうことで立派な強い人間になれる。その時不幸は幸運となる

 師匠の老神父は、弟子のダンテスに、こう語っている。
 「人智のなかにかくれている ふしぎな鉱脈を掘るためには、不幸というものが必要なのだ」(山内義雄訳『モンテ・クリスト伯岩波文庫
 皆も、苦しみに負けてはいけない。言うに言われぬような苦難と戦ってこそ、「智慧の鉱脈」を見つけることができる。ここに『巌窟王』の大きなテーマがある。
 トインビー博士も「悩みを通して智はきたる」との古代ギリシャの詩人の言を一つの信条とされていた(吉沢五郎著『トインビー 人と思想』清水書院)。博士は戸田先生と考え方が、よく似ておられた。
 「雄々しく不幸に立向かわれたことによって、りっばな、強いお方におなりなのです、こうして、不幸は転じて幸運となります」(同)
 『巌窟王』の忘れ得ぬ一節である。仏法の「難即悟達」「難即仏」の法理にも通じるっ
 妙法を持った諸君は、不屈の創価巌窟王と立ち上がっていただきたいのだ。

 陰謀を見抜け!
 一、『巌窟王』には、こうもある。
 「このわたしは、陰謀の全部をちゃんと見ぬいているのですから。だいじょうぶ。いったんそれを見ぬいた以上、こっちの勝にきまっています」(同)
 一切の悪人の陰謀を見抜くのだ。そして、粘り強く信心を貫いていくのだ。そこに勝利の要諦がある。
 『巌窟王』の物語の最後の言葉は何であったか?
 「待て、しかして希望せよ!」(同)である。
 どんなことがあっても、「希望」を忘れてはならない。
 どんな思うようにいかぬ苦境にあっても、忍耐強く、祈りまた祈り、未来への大道を切り開くのだ。これが『巌窟王』の精神である。
 若き皆さん、希望を持って、勝利を勝ち取ろう!(大拍手)

 南条時光の如く
 一、日蓮大聖人は、広布に戦う青年・南条時光が22歳のころ、次のような御文を贈っている。
 「しばらく苦しみが続いたとしても、最後には必ず楽しい境涯になる。たとえば、国王のたった一人の王子のようなものである。どうして国王の位につかないことがあるだろうかと、確信していきなさい」(御書1565ページ、通解)
 若きあなたは、信心を持った青年は、絶対に偉大になる。勝利者になる。そうならないはずがない──力強い励ましが胸に迫ってくる。
 法難の中で、卑劣な裏切りもあった。
 正しき信仰ゆえに、時光は、権力者から圧迫を受ける。経済も困窮する。
 そして弟の突然の死去。また後には、自身も大病に襲われた。
 "信心をして、どうしてこうなるのか"──そう周囲の人の目には映ったかもしれない。
 しかし、そうしたすべてを勝ち越えて、大聖人の若き弟子として、「勝利の王者の証し」を打ち立てたのが、南条時光の姿なのである。
 戸田先生もよく、「南条時光を見習っていけ」と言われていた。
 皆さん一人一人が、「新世紀の南条時光」になって、何があろうと、強き信心を貫いていただきたい。

御聖訓 法華経を修行するところはすべて常寂光の都に

 環境を嘆くな!
 一、また、大聖人が佐渡で著された御聖訓には、こう仰せである。
 「私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光(仏が住む国土)の都となるであろう」(御書1343ページ、通解)
 たとえ、質素なアパートや借家でも、小さな自宅であったとしても、広布へ戦う場所は、すべてが寂光土である。
 幸福は環境では決まらない。誉れ高く、その場所で、わが人生を生き抜いていくことだ。
 広宣流布の師弟に生き抜くならば、いずこにあっても、また何があっても、今、自らが戦う使命の場所を必ず、本有常住の常寂光土として、光り輝かせていくことができる。これを忘れてはならない。
 自分の運命を嘆く必要などない。人をうらやむ必要も、まったくない。誇り高く、勇んでわが舞台で戦い抜くのだ。
 これを大聖人は教えてくださっている。
 これで勝とう!

 「運命」200周年 新しい道を開け
 一、ドイツの大音楽家ベートーベン。
 今年は、交響曲第5番「運命」の完成から、200周年にあたる。いつも頑張ってくれている、音楽隊、鼓笛隊、合唱団等への感謝を込めて、ベートーベンの青年時代の決意を紹介したい。
 「自分はこれまでの仕事に満足していない。今から新しい道を歩む」(小松雄一郎編訳『新編ベートーヴェンの手紙』岩波文庫
 私たちは、人類の「新しい道」を開いていかねばならない。
 この心意気でいこう!
 次に、19世紀の大音楽家シューベルト
 ベートーベンよりシューベルトのほうが好きな人のために(笑い)。
 シューベルトが作曲した歌「希望」には、こう謳われている。
 「古き世を拒み/人は/新らしき/世を望み 求めて止まず」「希望こそ 人の命」(『世界大音楽全集 声楽篇第4巻 シューベルト歌曲集4』音楽之友社
 希望を胸に進もう!
 一、アメリカの人権の指導者・キング博士は、高らかに宣言した。
 「さあ始めよう。新しい世界を築くための長く苦難に満ちた、しかし美しい闘いに我らの身を捧げよう」(鈴木有郷訳「ベトナムを越えて」、『私には夢がある M・L・キング説教・講演集』所収、新教出版社
 素晴らしい言葉だ。胸から離れない。キング博士の関係者の方々とは、今も、おつきあいさせていただいている。
 そして、ロシアの文豪ゴーリキー
 「諸君のまえには『古き世界との訣別』および新しきものの創造という、完全に明瞭なそして偉大な仕事が立っている」(石山正三・和久利誓一訳「評論」、『ゴーリキー選集5』所収、青木書店)
 青年の力で、新しき人間主義の世界を創っていただきたい。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

 正義と真理が人間の第一の義務
 一、再び、フランスの思想家ルソーの英知の言葉に学びたい。
 先ほど紹介した、名作『エミール』には、こうある。
 「人類を構成しているのは民衆だ。民衆でないものはごくわずかなものなのだ」
 「いちばん人数の多い身分こそいちばん尊敬にあたいするのだ」(ともに今野一雄訳『エミール』岩波文庫
 民衆が大事にされる時代──一歩一歩、そうなりつつある。いな、そうしなければならない。
 さらにルソーは、次のような真理の言葉を記している。
 「正義の人は悪人をけっして許すことができない」(山路昭訳「ボルド氏への最後の回答」、『ルソー全集第4巻』所収、白水社
 悪とは絶対に妥協しないことだ。そうでなければ、バカにされ、そのうえ、悪い方向に引っ張られる。情けないことだ。悪を鋭く見破るのだ。

広布に生きる女性に最敬礼
ルソーの「エミール」「大きな変革はすべて女性から」

 「悪人に対して恐るべき人間になりえないとしたら、どうして彼は善良な人間でありえようか」(同)
 これも、ルソーが書き残した箴言である。
 「わたしは、真理のために受難するということほど偉大で美しいことを知らない」(桑原武夫編『ルソー』岩波新書
 妙法のため、大善のために難を受ける。これ以上に偉大なことはない。
 「正義と真理、これこそ人間の第一の義務である」(西川長夫訳「演劇に関するダランヘール氏への手紙」、『ルソー全集第8巻』所収、白水社
 その通りだ。仏法に通じる。これを胸に刻んで私は生きてきた。
 一、『エミール』で、ルソーは、女性を尊ぶ重要性を指摘している。
 「女性がその影響力を失っている時代、女性の判定が男性になにももたらさなくなっている時代は不幸なことよ。それは堕落の最後の段階だ。よい習俗をたもっていた民族はすべて女性を尊敬していた」「大きな変革はすべて女性から起こった」(ともに前掲『エミール』)
 女性が輝く世界──そうなるように、今、私は全力を挙げている。
 どうしても日本は、島国根性で、男性が威張る傾向がある。命令ばかりで、自分は何もせず、女性に押しつける──そんな男性は最低だ。リーダー失格である。
 男性は、女性に最敬礼して、女性を尊重すべきであると思うが、どうだろうか(大拍手)。
 これを、麗しい伝統にしてまいりたい。
 一、ルソーは、こうも述べている。
 「傲慢さの生む錯覚は現代の最大の悪の源泉である」(樋口謹一訳「エミール(下)」、『ルソー全集第7巻』所収、白水社
 傲慢な人間は、すぐに"自分は偉くなった"と勘違いする。これまで反逆していった人間は皆、そうだった。
 「彼らはわたしの生命をうばうことはできるが、わたしの自由をうばうことはできない。彼らがどんなことをしようと、彼らの束縛、彼らの牢獄のなかでも、わたしは自由を保持するだろう」(前掲『ルソー』)
 どんな状況にあっても私の心は自由だ!──これが、ルソーの大確信であった。
 私がお会いし、親交を結んだロシアの文豪ショーロホフ氏は、「民衆は征服することはできない」(横田瑞穂訳『静かなドン』岩波文庫)と結論した。
 民衆が一番強い。どんな権力者も、民衆にはかなわない。
 この民衆を育てたのが、仏法であり、日蓮大聖人である。仏意仏勅の創価学会なのだ。
 戦おう! 偉ぶり威張る人間を、見おろして生きよう!〈「ハイ!」と力強い返事が〉
 きょうは長時間、ありがとう!(大拍手)
 (2008・6・7)

 ※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。

広布第2幕第9回青年部幹部会 下〔完〕

ブログ はればれさんからのコピーです。