2008年9月号 大白蓮華 巻頭言
「常楽我浄」の喜びの歌を
創価学会名誉会長 池田 大作
鍛えたる
精神王者の
我なれば
いかなる嘆きも
常楽我浄と
生命論の大哲人である、わが師・戸田城聖先生は語られた。「今、ここにいる人たちも、百年たてば、誰一人として残っていない。生老病死は厳粛ではないか。この現実を前に、悠々と生きられる人生であらねばならない。そのための仏法である」
どんなに権力や財宝におごって威張りくさっても、生老病死の苦悩から逃れることはできない。威張った分だけ、最後に苦しむ。
法華経の譬喩品には、人間社会の実像が鋭く描かれている。
「衆苦は充満して 甚だ怖畏す可し 常に生老病死の憂患有り」
とりわけ現代には、尊き命を踏みにじる暴力が渦巻いている。
だからこそ、「生命尊厳」の強き信仰を断じて確立しゆくのだ。
「真の宗教人は生も死も恐れない」とは、人類最高峰の頭脳アインシュタイン博士の言葉であった。
使命ある
広布に生き抜く
君なれば
病魔も死魔も
乗り越え 勝ち抜け
連祖大聖人は、門下の病気の報告を聞かれて、仰せになられた。「御痛みの事一たびは嘆き二たびは悦びぬ」(1009ページ)弟子の病を、御本仏は誰よりも心配され、真剣に平癒を祈ってくださっている。そして、その病と闘い、常楽我浄の大境涯を開いていけるように、厳然と見守り、励ましくださっているのだ。ゆえに病気になったからといって、情けないとか恥ずかしいなどと思う必要は、全くない。仏法の透徹した眼から見るならば、すべてに深い意味がある。すべてを変毒為薬できるからだ。
御書には、「病ある人仏になる」(1480ページ)とも記されている。私の友人である「アメリカの良心」カズンズ博士も、“くよくよせず、病気の挑戦に果敢に反撃せよ!”と叫ばれていた。
いわんや、我らの信仰は、願兼於業の信心である。病魔に負けない誇り高き姿を通して、幾多の人々を勇気づけていくのだ。
偉大なる
世界広府の
わが弟子と
君よ この世を
師弟の生死と
万有は流転する。「小野の小町・衣通姫が花の姿も無常の風に散り」(479ページ)と示される通り、絶世の美も儚く移ろいゆくものだ。
正法正義に生き切るところにのみ、生命の常住の宮殿は開かれ、常楽我浄という崩れざる幸福の都が築かれていくのである。インドの大詩人タゴールは宣言した。
「正義だけが(中略)無限ないのちに生きさせることができる。また永遠なものに向かう成長を助けることができる」
正義の師匠と不二ならば、無限に勝利する人生となる。
私は広宣流布の師と定めた戸田先生に、全青春、全生命を捧げてお仕えした。だからこそ、三十歳までしか生きられぬと言われた病弱な私が、このように更賜寿命できたのだ。絶対に正しい、この師弟勝利の信心に、わが後継の青年部は勇んで続いていただきたい。
連祖は、「我らは生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るのは、そのまま、常楽我浄の四徳の香を吹くのである」(701ページ、通解)と仰せである。どんな時にも、妙法を朗々と唱えながら、法のため、人のため、社会のため、常楽我浄の香風を広げていくのだ。
「生きているのは、すべての障害や苦悩より、はるかに強くなるべきだからだ」。これは、キューバの大英雄ホセ・マルティの師子吼であった。このキューバでも、わが創価の友の活躍が光る。
緑の革命の父スワミナサン博士も、語ってくださっている。
「創価学会のメンバーは、平和を広げ、飢餓を消し、精神の寿命を価値あるものにする人類史上の新たな時代の指導者です」と。
今、各地で、学会歌の合唱が広がっている。明るい歌声の響くところ、希望がある。若さがある。前進がある。異体同心がある。常楽我浄の喜びの歌と共に、青年勝利の大行進を開始しよう!
わが心
常に常楽
楽園と
人生の歌
今日も歌いて
創価学会名誉会長 池田 大作
鍛えたる
精神王者の
我なれば
いかなる嘆きも
常楽我浄と
生命論の大哲人である、わが師・戸田城聖先生は語られた。「今、ここにいる人たちも、百年たてば、誰一人として残っていない。生老病死は厳粛ではないか。この現実を前に、悠々と生きられる人生であらねばならない。そのための仏法である」
どんなに権力や財宝におごって威張りくさっても、生老病死の苦悩から逃れることはできない。威張った分だけ、最後に苦しむ。
法華経の譬喩品には、人間社会の実像が鋭く描かれている。
「衆苦は充満して 甚だ怖畏す可し 常に生老病死の憂患有り」
とりわけ現代には、尊き命を踏みにじる暴力が渦巻いている。
だからこそ、「生命尊厳」の強き信仰を断じて確立しゆくのだ。
「真の宗教人は生も死も恐れない」とは、人類最高峰の頭脳アインシュタイン博士の言葉であった。
使命ある
広布に生き抜く
君なれば
病魔も死魔も
乗り越え 勝ち抜け
連祖大聖人は、門下の病気の報告を聞かれて、仰せになられた。「御痛みの事一たびは嘆き二たびは悦びぬ」(1009ページ)弟子の病を、御本仏は誰よりも心配され、真剣に平癒を祈ってくださっている。そして、その病と闘い、常楽我浄の大境涯を開いていけるように、厳然と見守り、励ましくださっているのだ。ゆえに病気になったからといって、情けないとか恥ずかしいなどと思う必要は、全くない。仏法の透徹した眼から見るならば、すべてに深い意味がある。すべてを変毒為薬できるからだ。
御書には、「病ある人仏になる」(1480ページ)とも記されている。私の友人である「アメリカの良心」カズンズ博士も、“くよくよせず、病気の挑戦に果敢に反撃せよ!”と叫ばれていた。
いわんや、我らの信仰は、願兼於業の信心である。病魔に負けない誇り高き姿を通して、幾多の人々を勇気づけていくのだ。
偉大なる
世界広府の
わが弟子と
君よ この世を
師弟の生死と
万有は流転する。「小野の小町・衣通姫が花の姿も無常の風に散り」(479ページ)と示される通り、絶世の美も儚く移ろいゆくものだ。
正法正義に生き切るところにのみ、生命の常住の宮殿は開かれ、常楽我浄という崩れざる幸福の都が築かれていくのである。インドの大詩人タゴールは宣言した。
「正義だけが(中略)無限ないのちに生きさせることができる。また永遠なものに向かう成長を助けることができる」
正義の師匠と不二ならば、無限に勝利する人生となる。
私は広宣流布の師と定めた戸田先生に、全青春、全生命を捧げてお仕えした。だからこそ、三十歳までしか生きられぬと言われた病弱な私が、このように更賜寿命できたのだ。絶対に正しい、この師弟勝利の信心に、わが後継の青年部は勇んで続いていただきたい。
連祖は、「我らは生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るのは、そのまま、常楽我浄の四徳の香を吹くのである」(701ページ、通解)と仰せである。どんな時にも、妙法を朗々と唱えながら、法のため、人のため、社会のため、常楽我浄の香風を広げていくのだ。
「生きているのは、すべての障害や苦悩より、はるかに強くなるべきだからだ」。これは、キューバの大英雄ホセ・マルティの師子吼であった。このキューバでも、わが創価の友の活躍が光る。
緑の革命の父スワミナサン博士も、語ってくださっている。
「創価学会のメンバーは、平和を広げ、飢餓を消し、精神の寿命を価値あるものにする人類史上の新たな時代の指導者です」と。
今、各地で、学会歌の合唱が広がっている。明るい歌声の響くところ、希望がある。若さがある。前進がある。異体同心がある。常楽我浄の喜びの歌と共に、青年勝利の大行進を開始しよう!
わが心
常に常楽
楽園と
人生の歌
今日も歌いて