2008年8月24日付 聖教新聞  文学随想 小説「芙蓉の人」を語る 下

2008年8月24日付 聖教新聞
文学随想 小説「芙蓉の人」を語る 下

心美しき芙蓉の人
未来を開く貴女を讃えたい!

 厳寒の富士山頂における、夫・野中到との気象観測──この千代子の戦いは、新しい女性の歴史を開く先駆ともなった。
 いまだ、男尊女卑の風潮が強く、理不尽な男女差別が続いていた明治時代である。
 夫を助けるために千代子が富士山へ登頂することも、気象観測に協力することも、人々は、なかなか認めようとしなかった。
 気象学の権威とされていた学者もまた、同様であった。
 千代子は、女性を下に見る男たちの頑迷さとも戦わなければならなかったのである。
 小説の中で、彼女はこう語っている。
 「学問には男も女もないでしょう」「なにかにつけて、女を軽蔑する男は許せません。そういう男の存在は日本の将来に決していいことではありませんわ」
 まったく、その通りである。
 女性の活躍を最大に讃えていくことだ。いずこの組織にあっても、女性が伸び伸びと力を発揮できるようにすれば、どれほど新しい発展の道が開かれていくことであろうか。
     ◇
 富士山頂での戦いを、千代子夫人は『芙蓉日記』として綴った。富士山が「芙蓉峯」と呼ばれることを踏まえたのであろう。
 「芙蓉」は蓮の花の別称でもある。「美しい人」の譬えとして用いられてきた。
 著者の新田次郎氏は述べている。
 「小説の題名『芙蓉の人』は、千代子夫人の芙蓉日記からヒントを得たものだったが、千代子夫人の当時の写真を見ても、『芙蓉の人』と云われてもいいほどの美しい人であり、心もまた美しい人だったからこの題名にした」
 芙蓉の花には、凛とした品格と香気があると讃えられてきた。
 昨年秋、関西を訪問した折、同志から贈られた「芙蓉」の絵が、会館に飾られていた。
 私は、その真心に深い感謝を込めて、和歌を詠み贈った。

 美しき
  芙蓉の花は
    咲き乱れ
   大関西の
     婦人部請えむ

 大勲章
  よりも偉大な
    芙蓉かな
   全関西の
     同志を見つめむ

 なお戸田先生が、私の妻のことを「芙蓉の花は、香峯子だよ」と語ってくださっていたことも、忘れ得ぬ思い出である。

 日本を背負う女性

 野中夫妻が命を賭して取り組んだ富土山頂での冬期気象観測は、のちに国によって、富士山頂観測所が建設される礎となった。しかし、極限の状況で夫を支え、ともに戦った千代子夫人の功績に、光が当てられることは少なかった。
 子息は証言されている。
 「父に褒章の話がありました」「父はもし下さるならば、千代子と共に戴きたい。あの仕事は、私一人でやったのではなく千代子と二人でやったものですと云って、結局、その栄誉は受けずに終ったことがありました」
 作者の新田氏は、こうした心を汲みながら、歴史の陰に隠れていた千代子夫人の活躍を浮かび上がらせていったのである。
 氏は綴っている。
 「野中千代子は明治の女の代表であった。新しい日本を背負って立つ健気な女性であった。
 封建社会の殻を破って、日本女性此処にありと、その存在を世界に示した最初の女性は野中千代子ではなかったろうか。世界中の女性の誰もが為し得なかった、三七七六メートルという高山における冬期滞在記録の樹立は、彼女がその記録を意識してやったことではないから更にその事蹟は輝いて見えるのである」
      ◇
 あの地でも、この地でも、喝采のない使命の舞台で、生命を育み、地域を守り、社会を支え、歴史を創り、未来を開く女性の崇高な献身が、いかに人知れず営々となされていることか。この大功績を、最敬礼して、讃えていくことだ。その限りない智慧と努力から、学んでいくことだ。
 私たちが仰ぎ見るべき「芙蓉峯」の山頂とは、一体、どこにあるのか。
 それは、だれが見ていなくとも、まじめに誠実に、粘り強く、一歩また一歩と歩みを進めゆく女性たちが到達する、「勝利と栄光の境涯」なのである。
 なかんずく、創価の女性たちの尊貴な行動に、各界から限りない賞讃が寄せられる時代に入っている。
 仏法で説かれる「冥の照覧」は絶対である。私の妻も、世界から拝受する栄誉を、全世界の敬愛する創価の女性と分かち合わせていただきたいと、常々語っている。

千代子夫人の励まし
 耐えるのです。頑張るんだわ。今が一番苦しいときなのよ。
私だってもうだめかと思っていたのが、急に好くなったのです

 〈池田名誉会長を支え、女性として平和と文化の発展に貢献してきた香峯子夫人に対して、世界から賞讃が寄せられている。
 中国・冰心(ひょうしん)文学館の王炳根(おうへいこん)館長は、香峯子夫人への「愛心(あいしん)大使」称号の授与の辞で語った。
 「人生における、いかなる困難に直面しても、(池田先生と香峯子夫人の)お二人は、互いに励まし合い、『冬は必ず春となる』との確固たる信念に基づいて、戦う勇気を奮い起こされながら、生き抜いてこられたのです」
 また、ブラジルのサント・アマ一ロ大学のソランジェ・モウラ教授は述べている。
 「近代の女性は、幾多の差別や偏見に苦しんできました。そうしたなか、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長とともに、平和建設に貢献してこられた香峯子夫人が、世界の女性を代表して数多くの顕彰を受けたことは、私たち女性にとって、輝かしい未来の展望が開けてきたという象徴にほかなりません」
 さらに、歌手のアグネス・チャンさんは語っている。
 「香峯子夫人は、大変なご苦労をされてきた方なのでしょう。だから、ただ朗らかでいるだけでなく、周りの人まで朗らかにしてしまう、そんな朗らかさに、多くの人が励まされるのだと思います。
 氷が陽の光を浴びて溶けだすように、香峯子夫人の朗らかさに相手も頑なな心を開いてしまう。香峯子夫人は、私の理想です。そして『心の母』でもあるのです」〉

 自分らしく朗らかに

 小説『芙蓉の人』では、零下二〇度以下にもなる富士山頂での極限状態での戦いが、迫真の筆致で描かれている。
 ──過酷な環境下で重い高山病などのため、心身ともに弱り果てた野中到は、栄養をとるのに不可欠な食べ物さえも、あまり口にしなくなっていった。
 思い詰めた到は、千代子に言う。
 「もはやおれは死を待つしか能のない身体になった。もし、おれが息を引き取ったら、その水桶に入れて、器械室へころがして行って、春になるまで置いてくれ」
 千代子は、毅然と言った。
 「私の野中到は死んだらなどという弱気を吐く男ではなかったわ」
 「そんなことを云うだけの力があったら、粥のいっぱいも余計に食べたらどうなんです。薬でも飲むつもりで食べたら、力が出て来て、病気なんかふっとんでしまいますわ」
 そして、涙ながらに、夫を励ました。
 「耐えるのよ、頑張るんだわ。私たちにとって、いまが一番苦しい時なのよ。私だってもうだめかと思っていたのが、急に快くなったでしょう」
 今も富士山頂にこだまするかのような、必死の女性の叫びである。
 人生には、幾多の試練がある。言語に絶する苦難を前に、「もうだめだ」と思う時もあるかもしれない。

真剣の二字で歴史を創れ"創価の女性ここにあり!"と

 しかし、何があろうとも、決してあきらめてはいけない。希望を捨ててはいけない。
 どんな戦いにおいても、まずは自分が負けないことだ。まずは自分が真剣になることだ。そこから、一切の道が開かれる。
 「芙蓉の峯」──あの富士の山頂を心に仰ぎながら、きょうも、自分らしく、明るく朗らかに、前進の一歩を踏み出していくことだ。
     ◇
 終わりに、蓮祖大聖人が、乙御前の母(日妙聖人)に贈られた御聖訓を拝したい。
 「あなたの前々からの信心のお志の深さについては、言い尽くせません。しかし、それよりもなおいっそう、強盛に信心をしていきなさい。その時は、いよいよ、(諸天善神である)十羅刹女の守りも強くなると思いなさい。その例は、他から引くには及びません。
 日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。
 これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえであったと思いなさい」(御書1220ページ、通解)
 数々の大難を厳然と勝ち越えてこられた、大聖人の絶対の御確信である。
 模範とすべきは、師匠の戦いである。
 「師匠のごとく!」「師匠とともに!」──この一点に徹し、強盛な信心を奮い起こして進む時、諸天は必ず動き、我らを護る。
 全同志のご健康とご長寿を、妻と共に祈り、一人ももれなく幸福者に、勝利者にと心から念願し、私の文学随想を結ばせていただきたい。

文学随想 小説「芙蓉の人」を語る 下〔完〕


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