2008年8月25日付 聖教新聞 8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 1

2008年8月25日付 聖教新聞
8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 1

詩聖タゴール
 "偽りの王は自分だけ偉ぶる"真実の王は皆を王者にする
まずリーダーが人間革命を
 強敵には強く 同志には優しく 師匠を求めぬく

一、未来を開く協議会、ご苦労さま! 役員の皆さんも、ありがとう!(大拍手)
 いよいよ、新しい時が来た。
 いずこにあっても、「地より涌き出でんとする」ごとく、新しい地涌の人材が、生き生きと躍動し、登場している。
 「人材、人材の創価学会でいけ!」とは、わが師・戸田城聖先生の叫びであった。
 先生も、どれほど喜び、見つめてくださっていることか。
 インドの詩聖タゴールは、戯曲の中で、民衆の代表に、こう語らせている。
 「王様はわれわれの一人一人を、王冠をかぶった王になさっているのだ」
 一方、でっち上げの王を、こう戒める。
 「偽りの王よ。あんた自身があんまり尊大ぶりを発揮されたのですよ。あんたの頭はもうすぐ塵にまみれるでしょう」(姥原徳夫訳「暗室の王」、『タゴール著作集第6巻』所収」第三文明社
 真実の王は、民衆一人一人を王にする。
 偉ぶって、自らを飾るのは、偽りの王だ。
 我らは信仰の王者である。折伏をしている人が偉い。それを下に見たら、罰を受ける。
 リーダーは威張ってはならない。本当に偉大な人は謙虚である。外面を繕い、虚栄でわが身を飾る人間が、上に立ったら大変だ。
 仏法者ならば、根底に慈悲がなければならない。その上で、「強敵には強く」「弱者には温かく」「同志には優しく」。そのように私は心してきた。
 これを戸田先生は見逃さず、「それが、お前のいいところだ。ほかのだれにもできないな」と、おっしゃってくださった。
 まずリーダー自身が人間革命するのだ。そこから一切の勝利は始まる。
 明るく朗らかに、誠実に、皆と調和して、守り合い、尊敬し合って、素晴らしい歴史を築いていただきたい。
 何でも語り合い、励まし合いながら、気持ちよく、ともに広布へ前進していきたい。

 平和と文化の城は今、全世界に
 一、御本仏であられる日蓮大聖人は、「諸法実相抄」に仰せになられた。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(御書1360ページ)
 この御聖訓の通り、末法濁悪の現代に妙法を唱え弘めゆく「地涌の菩薩」を、先頭に立って呼び出されたのが、初代・牧口常三郎先生であり、2代・戸田先生である。
 蓮祖が示された「地涌の義」のままに、私は、願い求めた師匠である戸田先生と巡りあって、広宣流布の大願へ、勇猛精進を開始した。
 それは、昭和22年(1947年)の8月のことであった。
 今年で61年となる。
 戦後間もなかった当時、西神田にあった旧学会本部は、木造で3階建ての小さな建物であった。
 それが信濃町に移って、この秋で55周年。日本中、また世界から多くの友が集い来る、喜び光る宝城となった。学会の会館は日本だけでも約1200になり、あの国にも、この国にも平和と文化の城がそびえ立つ。
 これらもすべて、一切をなげうって師匠に尽くし抜いた福運である。尊き同志の信心の結晶である(大拍手)。

戸田先生
 信心も人生も中途半端では何にもならないよ

 師と「同じ心」で
 一、法華経は、「不惜身命」であり、「死身弘法」である。
 牧口先生は、法難の獄中で、殉教なされた。
 戸田先生は、その牧口先生にお供したことを、最大の喜びと感謝された。
 勇んで、その弟子となった私である。「三障四魔」「三類の強敵」との戦いは、もとより存知の上であった。
 仏法のために、師が命がけならば、弟子も命がけで戦う。それでこそ「不二」の境涯となる。師と「同じ心」で戦うから、いかなる障魔をも打ち破っていけるのだ。

 「創価の師弟は世界の人々を鼓舞」
 一、「諌暁八幡抄」には、壮大なる宇宙の運行を踏まえられて、仏法西還が明言なされている。
 「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(同588ページ)
 この未来記の通り、月氏──すなわち仏教発祥のインドまで妙法を弘め伝えたのは、創価の師弟である。
 今やインド創価学会は、3万5000人の地涌の連帯となった。
 釈尊は厳命された。
 「閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」(同505ページ等)
 大聖人は断言なされた。
 「一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」(同816ページ)
 その御金言に寸分違わず、我ら創価の師弟は、世界192カ国・地域に、妙法を私通して、全地球を包みゆく地涌の菩薩の陣列を築き上げたのだ。
 光栄にも、今、世界中で、創価の師弟を讃え、その原点の日、8月24日を祝賀してくださっている。
 インド国立ガンジー記念館館長を務め、私が対談を重ねてきたラダクリシュナン博士は語っておられた。
 「(創価の師弟の精神は)人種・文化・宗教・政治・性別といったあらゆる障壁を超えて、世界中の人々を鼓舞し、共感を得ているのです」と。
 〈ラダクリシュナン博士は「牧口会長から戸田会長へ、そして今、池田博士へと流れる『師弟の精神』は、至る所で多くの人々を奮い立たせている」とも述べている〉
 さらに、南米パラグアイ共和国の名門、コルンビア・デル・パラグアイ大学のエリーアス総長は、こう語ってくださった。
 「仏法の真髄は、『師匠の弟子を高めようとする力』と『弟子の師匠への謙虚な求道の姿』にあります。そして、そこから導き出される哲学は、どこまでも一人の人間の素晴らしき『無限の可能性を信じる』ということであります」
 深い理解に心から感謝したい(大拍手)。

 「師恩」こそ正道
 一、人間として歩むべき正道は何か。
 「開目抄」には、こう仰せである。
 「聖人・賢人といわれる二種の人たちは、孝の家から出ている。まして仏法を学ぶ人が、どうして恩を知り恩を報ずることがないことがあろうか」(御書192ページ、通解)
 仏法においては「師恩」を重視している。
 私自身、戸田先生のために、尽くしに尽くし抜いた。
 先生のおっしゃられる一言一旬に感謝しながら、すべてを前進の力に変えていった。
 先生は、何かあるたびに「大作!」と私を呼ばれた。
 生涯の願業を成し遂げられ、亡くなられる前に先生は「本当に、いい弟子をもった。おれの最高の幸せだ」と喜んでおられた。美しい師弟であった。
 一方、忘恩こそ、人間にとって最も恥ずべき行為である。
 ドイツの文豪ゲーテの指摘は鋭い。
 「冷やかな無関心がしだいに優位を占め、ついには、恩恵者を無縁の者の如くに見、時によっては、自分の益にさえなれば、恩恵者の害になるようなことでも企てかねないようになる。これこそが真の忘恩と呼ばるべきものである」 (山崎章甫訳『詩と真美』岩波文庫
 忘恩は「無教義な人間」が陥る。報恩は「すぐれた人間」だけに生ずる。こうもゲーテは書き残した。
 一、私は青年を信じる。青年が頑張れば、学会は明るくなる。
 戸田先生は、ある時、女子部の友に語られた。
 「信心が中途半端、人生も中途半端であったなら、何にもならないよ」と。
 その通りである。
 中途半端は、絶対にいけない。自分自身が損をするだけだ。
 いったん「やる!」と決めたならば、一生懸命戦う。断じて勝利する。そこに幸福の土台が築かれ、大きな喜びの花が咲く。
 勝つための仏法なのである。

朗々たる勤行で 健康 長寿 勝利を
御聖訓 題目は全宇宙の仏性を呼び覚ます

 強き祈りで勝て
 一、御聖訓には仰せである。
 「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神、乃至、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(御書557ページ、通解)
 妙法の音声は、我らを護る諸天を動かし、全宇宙の仏性を呼び覚ます。
 日本中、世界中に響くような強い一念で、朗々たる勤行をすることだ。弱々しい勤行ではいけない。また、皆で行う場合、あわない勤行ではいけない。
 勤行・唱題は仏の音声である。その声は全宇宙に届く。荘厳なる儀式なのである。
 力強い唱題で、健康・長寿、そして勝利、また勝利の日々を送ってまいりたい(大拍手)。 
 (2に続く)

 8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 2に続く

ブログ はればれさんからのコピーです。