2008年8月28日付 聖教新聞  8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 4

2008年8月28日付 聖教新聞
8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 4

師とともに学んだ「平家物語
傲りを排した所が勝つ
戸田先生 「事を成就してから堕落しやすい」

一、戸田先生のもとで、男子部の「水滸会」でも、女子部の「華陽会」でも、共に学んだ一書がある。それは古典の『平家物語』である。
 その冒頭は、あまりにも有名だ。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ」偏に風の前の塵に同じ」(杉本圭三郎訳注、講談社学術文庫を参照)
 「平家にあらずんば人にあらず」と豪語し、栄華をほしいままにした、平清盛らの権勢は、30年も経たずに、もろくも滅び去っていった。

一国を亡ぼす指導者の共通点

人の諌言を顧みない 民の苦しみに無関心

 宗教弾圧の権力は、必ず滅びる
 一、『平家物語』では、歴史を俯瞰しながら、国を滅ぼす愚かな指導者の共通点が、浮き彫りにされている。 それは──
 「自分が仕えていた主君や皇帝の統治に背く」
 「自らの快楽を求め、人の諌言を顧みない」
 「世の中が乱れることもわきまえず、庶民の憂いや苦しみに無関心である」
 などの点である。
 つまり、「忘恩」であり「背信」である。「傲り」であり「慢心」である。そして「油断」であり「無慈悲」である。
 指導者の心の狂いが、国や組織を滅ぼすというのである。まことに重大な、普遍の法則といってよい。
 あの壇ノ浦の合戦で平家が滅び去ったのは、1185年。
 大聖人が聖誕される37年前のことであった。
 蓮祖は、平家の興亡の歴史を、つぶさに凝視された。御書でも、平家の没落の本質を"傲り"であると喝破されている。
 また、その滅亡の根底には、平家の横暴な宗教弾圧があったことも指摘された。(御書1429ページ)
 「宗教弾圧の権力は必ず滅びる」──これは歴史の鉄則であることを、青年が師子吼していくのである。

 「傲る平家」になるな!
 一、戸田先生は、語っておられた。
 「源頼朝は、平家を滅ぼした後、場所を移して鎌倉に都を築いたのが良かった。そうでなければ、平家と同じく、すぐ滅んだであろう。
 事を成就してから、堕落し、惰弱になりやすいから、気をつけなければならない」
 傲りを排したところが勝つ。
 学会は、永遠に「傲る平家」になってはならない。幹部の堕落・油断を絶対に許してはならない。峻厳に律し、誡めていくことだ。これが、戸田先生の遺誠であられた。
 だからこそ、私心のない、高潔にして絶対に信頼できる、人材の核を固めていかねばならない。その根本は、師弟不二であるかどうか、である。

私心なく!大切なのは『どれだけの仕事を残したか』
民衆は高潔なリーダーを愛す
質素に徹した南米解放の父ボリバル
「彼は自分のすべてを人々に与えた」 研究者

 金銭の緩みが滅びの元凶に
 「19世紀に活躍した、「南米解放の父」シモン・ボリバルが、「最も得るのが難しい」と考えていたのは、どのような人材であったか。
 それは、財政の指導者であった。
 なぜなら、「祖国の命運がかかっている」問題を任せることのできる、立派で有能な人物でなければならないからだ。
 ボリバルは、あのフランス革命を引き起こした主な原因に、“財政の不健全さ”があったと述べている。
 当時の王朝では、累積した赤字、貴族らの悪政、乱費によって深刻な財政難が起こっていた。それが国王の統合力の破綻を引き起こし、王朝の滅亡へとつながっていったのである。
 金銭の緩みは滅びの元凶となる。これは、歴史の重要な教訓だ。
 22歳のボリバルが、欧州ローマの天地で、師匠ロドリゲスのもと、祖国の解放を誓ったのは、1805年の8月15日であった。
 若き日のボリバルには、400万ドルもの財産があったといわれている。彼は、この財産を祖国解放の戦いに捧げ尽くしていった。
 やがて南米各国の独立を勝ち取り、指導者の立場となっても、ボリバルは公費からの収入を得ようとはしなかった。
 むしろ公共の目的のために私財を使い、借金までした。そして赤貧のなかで亡くなっていったのである。〈ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド著、水野一監訳、上智大学イベロアメリカ研究所訳『シモン・ボリーバル』春秋社、神代修著『シモン・ボリーバル』行路社などを参照〉

 「ボリバルの家」の思い出
 一、1993年の2月、私は、テロで揺れるコロンビア共和国へ、多くの反対を押し切って、訪問した。そして平和・文化・教育の有意義な交流を、勇気をもって、誠実に進めていった。
 この初訪問の折、私は、ボリバルボゴタで指揮を執った際、拠点とした「ボリバルの家」へ、お招きいただいた。
 それは質素な館であった。
 聡明な女性リーダーであるトーレス館長が、丁重に館内を案内してくださった。
 この建物は、ボリバルの盟友であったサンタンデル将軍から寄贈されたものである。
 ボリバルが愛好した「図書室」は、4畳半ほどであった。
 居住していたという本館は、平屋で6部屋。
 寝室にも執務机を置き、重要な作戦書や法律の草案もそこで認めた。
 ベッドも小さかった。眠る時も臨戦姿勢であり、十分に体を伸ばすことがなかったからだという。

 「私の願いは祖国の幸福」
 一、この「ボリバルの家」の壁には、亡くなる1週間前に彼が残した「私の最後の願いは祖国の幸福にある」との遺言が留められていた。
 トーレス館長は、凛として語られた。
 「ボリバルは理想主義者でした」
 「南米統一のために、私心なく、人々に尽くし、自分が勝ち得たすべてを与えた生涯でした」
 私は、トーレス館長に申し上げた。
 「(47歳で亡くなったボリバルは)短い一生と言えるかもしれません。
 しかし、人間は、『どれだけ生きたか』以上に『どれだけの仕事を残したか』が大事です。
 私の恩師も、決して長い人生とはいえませんでした。しかし永遠の業績を残しました」と。
 そして、「『世界の宝』を守る大切なお仕事です。大切な人生です」とお伝えしたのである。
 民衆のために、すべてを捧げ尽くしていく指導者の一念は、永遠に不滅である。
 牧口先生も、戸田先生も、そして私も、創価の三代の師弟は、一切を広宣流布のため、学会のために捧げてきた。
 だからこそ、世界に広がりゆく今日の創価学会が築かれたのである。
 この学会を、師弟不二の心で永遠に勝ち栄えさせゆくことを、わが後継の地涌の友に託したい。
   (5に続く)

8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 5に続く


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