2008年8月29日付 聖教新聞  8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 5

8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 5

『一対一の対話』から変革が生まれる
自らが足を運べ! 一人の友に励ましの光を
最前線に打って出よ!
ソクラテス 私は正義と真実の道を行く

 一、先日、アメリカの世界的な教育研究機関である「ジョン・デューイ協会」のガリソン会長とヒックマン前会長が、はるばる長野研修道場を訪問してくださった。
 デューイ博士は、牧口先生、戸田先生が大変に尊敬されていた大哲学者である。両先生の喜びは、いかばかりかと、私は感慨深かった。
 意義深きデューイ協会の「終身名誉会員証」の授与式には、わが信越青年部の代表も、一緒に出席した。
 信越青年部の有志は、その記念として、不滅の名作『ソクラテスの弁明』『クリトン』を届けてくれた。〈大正10年に発刊された貴重な翻訳書〉
 古代ギリシャの大哲学者にして、「人類の教師」たるソクラテス──。
 この二つの作品は、師ソクラテスの人生の最終章を見事に描き切った愛弟子プラトンの著作として、名高い。私は、懐かしく拝見させていただいた。
 この傑作の中で、ソクラテスは語っている。
 「私はむしろ私のいわゆる最大善行を何人にも親しく個人的に行うことの出来る方面におもむいた」(久保勉訳『ソクラテスの弁明』岩波文庫
 大勢の前で演説をするのではない。あくまでも、自らが足を運んで、一人一人のために、哲学の対話を重ねていったというのである。
 ソクラテスを断罪しようとするアテネの人々を前に、彼はこう語っている。
 「(私は)あなたがたの一人一人をつかまえて、自分自身に気をつけて、できるだけすぐれた善い者となり、思慮ある者となるようにつとめ」「その他のことも、これと同じ仕方で、気づかうようにと、説得することを試みていたのです」(田中美知太郎訳「ソクラテスの弁明」、『プラトン全集1』所収、岩波書店
 地道な「一対一の対話」にこそ、哲学の真価がある。
 「一対一の対話」から、大きな変革が生まれる。
 私も、「まさかが実現」した「大阪の戦い」の時、大きな会合に人を集めて話をするよりも、小さな会合を回りに回った。
 最前線へ打って出て、徹底して一人一人と会い、一人一人を励まし続けた。それが、勝利の推進力となり、原動力となったのである。

 世界が舞台だ
 一、私が長野研修道場を初めて訪問したのは、昭和54年(1979年)の8月であった。
 その4カ月前に、私は第3代会長を辞任していた。会長辞任を発表した4月24日、自宅に帰ると、妻がいつもと変わらぬ様子で、微笑んで待ってくれていた。
 そして、“本当にご苦労さまでした”“これでまた、大勢の会員の方に会えますね。海外の同志が待っていますよ”──そう語ってくれたのである。
 5月3日、実質的な会長辞任の総会となった八王子での本部総会の後、私は神奈川文化会館へ向かった。
 “神奈川には海がある。いよいよ、世界を舞台に戦うのだ”──私は、そう深く決意していた。
 神奈川文化会館で、ある幹部が教えてくれた。
 この5月3日何の読売新聞に、日米の国民の意識調査の結果が掲載されていた。
 そこには、日本人が「最も尊敬する」日本人の名前が上位20人まで挙げられており、私の名前も出ているという。
 〈吉田茂野口英世二宮尊徳福沢諭吉昭和天皇と続き、第6位が池田名誉会長であった〉
 学会攻撃の非道な嵐が吹き荒れていた時である。
 こうした形で私の名前が挙げられたことを、わが愛する同志たちは、心から喜び、誇りとしてくださった。
 一方で、創価の師弟に嫉妬し、なんとしても私を追い落とそうとする人間たちの姿は、誠に浅ましい限りであった。
 一、戸田先生と最後の夏を過ごした師弟の天地に、私は長野研修道場を建設した。
 そして深く信頼する信越の同志とともに、正義の反転攻勢の波を起こしていったのである。
 一軒一軒、地域の功労者のお宅も訪問した。周辺のお店へも、足を運んだ。
 研修道場に来訪される世界の識者とも、友情の語らいを深めた。
 長野研修道場を起点として、広宣流布の新たな波動は、大きく広がっていったのである。

弟子プラトンの信念 師匠の偉業を歴史に刻まん!
君よ「わが誓い」に生き抜け

 “どんな権力にも私は屈しない”
 一、ソクラテスが、自らの生涯の栄光としたことがある。
 それは、いかなる苦難や迫害に遭おうとも、断固と正義の道を貫き通したということである。
 ソクラテスは叫んだ。
 「あれほど強大な権力を持っていた政府も、私を威嚇して何らの不正をも行わしめることが出来なかった」(前掲、久保勉訳)
 「わたしは、正義に反することは、何ごとでも、いまだかつて何びとにも譲歩したことはない」(前掲、田中美和太郎訳)
 「私は、決して私の行動を変えないであろう、たとい幾度死の運命に脅かされるにしても」(前掲、久保勉訳)
 正義のためならば、何も恐れない。断じて負けない。絶対に屈しない。
 その金剛不壊の魂を抱いていたのが、ソクラテスプラトンの師弟であった。
 ソクラテスは言う。
 「すぐれた善き人間が、劣った悪しき人間から害を受けるというようなことは、あるまじきことだ」(前掲、田中美知太郎訳)
 いかなる邪悪な企みも侵すことのできない、はるかな正義の高みに到達した、悠然たる大境渥といってよい。

 信念の獄中闘争
 一、ソクラテスは、嫉妬の誹謗と迫害によって、不当に囚われた牢獄にあっても微動だにせず、信念の対話を続けた。
 いな、死を前にした牢獄において、その対話は、いや増して荘厳な光を放っていった。
 牧口先生の獄中闘争も同じである。
 牢獄を訪れた友に対して、ソクラテスは鋭く問いかけている。
 ──正義と不正、美と醜、善と悪などに関して、私たちは多数者の思惑を恐れ、それに従わねばならないのだろうか。
 それとも、もし、ただ一人でも、その道に通じた人がいるならば、それ以外の人全部を合わせたよりも、この先達の意見にこそ、従うべきだろうか?
 そして、ともに問答を進めながら、ソクラテスは結論として言った。
 ──よき友よ、かの多数の者どもが、私たちのことを、どう言うだろうかというようなことには、まったく気をつかわなくてよいのだ。
 むしろ、ただ一人であっても、正義と不正について知悉している、その人が何と言うのか、また真理そのものが何と言うのか、ということの方が、大切なのだ(田中美知太郎訳「クリトン」、『プラトン全集1』所収、岩波書店を参照)。
 深き哲学も信念もない、付和雷同の人間たちが何と言おうが、かまわないではないか。
 大事なことは、ただ一点、正義と真実の道を歩んでいるかどうかだ、というのである。
 ソクラテスは、その通りの人生を生きた。弟子のプラトンもまた、師の教えを胸に生き抜いた。
 無実の罪で刑死させられた師匠の仇を討ち、師匠の正義を人類の永遠の歴史に光り輝かせていったのである。

 大恩を忘れない
 一、創価の三代の師弟も、誇り高き師弟の道を歩み通してきた。
 戸田先生は、日本の広宣流布の基盤を築き、軍国主義と戦って殉教された牧口先生の仇を討たれた。
 私は、戸田先生のために死力を尽くして戦った。先生をお守りするためには、わが身を顧みなかった。
 弟子として、師匠のために何ができるか──ただ、そのことだけを考えていた。
 そして、先生亡き後は、全世界に平和の連帯を広げ、恩師の偉業を宣揚することで、戸田先生の仇を討った。
 これが、本当の「創価の師弟」である。「弟子の道」である。
 私と対談集を発刊した、オックスフォード大学のブライアン・ウィルソン博士は、こう語ってくださった。
 「池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の言葉には、いつも、恩師への敬慕と心からの感謝が、あふれています。戸田第2代会長から受けた恩の深さを、決して忘れることはありません」
 「本当に偉大な変革者や指導者は、先人や過去の業績を讃えるものです」
 私は、今も、胸中の戸田先生と対話をしながら、世界広布への指揮を執っている。
 皆様も、この「師弟の大道」をまっすぐに進み抜いていただきたい。断じて勝利の人生を飾っていただきたい。
 「君よ、生涯、わが誓いに生き抜け!」と申し上げて、私のスピーチを結びたい。
 長時間、本当にありがとう!(大拍手)
(2008・8・20)

8.24記念各部合同協議会での名誉会長のスピーチ 5〔完〕


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