2008年9月10日付 聖教新聞 新時代第21回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下-2

2008年9月10日付 聖教新聞
新時代第21回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下-2

 「民衆への脱帽」
 一、アメリカの詩人ホイットマンは、詩集『草の葉』(初版)の序文に綴っている。
 「大統領に対する民衆の脱帽ではなくて、民衆に対する大統領からの脱帽」(岡地嶺訳『十九世紀英米詩論集』文修堂)と。
 これこそ、真の人間の世界、民主主義の世界である。
 民衆が一番、大事なのである。国民が権力者に頭を下げる必要などない。権力者が民衆に対して脱帽し、奉仕していく──それが本当の民主主義の社会ではないだろうか。
 これと正反対の姿が、戦前の軍国主義の日本であった。真っ先に犠牲になったのは民衆だった。
 私は、8人きょうだいの五男である。4人の兄は全員が軍隊にとられ、戦地に出征していった。
 長兄は、ビルマ(現ミャンマー)で戦死した。その知らせを受けた母が、どれほど悲しみに暮れたことか。
 矛盾だらけの世の中であった。
 だからこそ私は、「最も偉大なのは、庶民の王者である」と叫んできた。
 リーダーは、わが尊き学会員の方々に、最敬礼していくのだ。
 一、作家・横光利一の言葉に、こうあった。
 「人はどうかして他人を軽蔑せずには生きていけない時が多分にある。軽蔑した瞬間に顔面に現れる表情と云ふものはその人間の品性を最もよく表はすものだ」(『定本横光利一全集 第13巻』河出書房新社
 幹部は決して傲慢になってはならない。大切な、仏に等しい同志である。和やかな笑顔で、友に希望を贈っていくのである。

哲学者 崇高な歩みを妨害するのは臆病

 患者の生命の力を引き出せ
 一、ドクター部の皆さん、いつも本当にありがとう! 素晴らしい歌声の御礼に、いくつか言葉を贈りたい。

創価の師弟の道こそ正義の中の正義!

 アメリカを代表するジャーナリストで、医学部の教授も務めたノーマン・カズンズ博士は指摘している。
 「医師の主な役目の一つは、患者自身が持つ、病気撃退のために心身のエネルギーを動員する能力を百パーセント発揮させることである」(松田銑訳『人間の選択』角川書店
 博士は、安心や希望、生きる意欲が人体の「治す力」を最大に働かせていくと論じておられた。
 さらにカズンズ博士は、「いい医師は科学者であるばかりでなく、哲学者でもある」(同)と言われた。
 患者の生命を守るため、最先端の医学を探究するとともに、妙法という世界一の哲学を誇り高く研鑽していただきたい。
 一、ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長のウンガ一博士は、医師の心構えについて厳しく語っておられた。
 「本来は謙譲の精神で奉仕されるべき患者が対象へとなりさがり、尊重されるべき人間としての患者の権利を後になって意識するようになってしまったことは本当にとんでもないことだと思います」「真の医師であれば、自分の患者に奉仕し、患者のために行動します」
 患者の皆さんに対して、どこまでも謙虚に尽くし、一人の人間として尊敬し、心と心を通わせていく。
 慈悲の医療に徹しゆくドクター部の存在がどれほど大切か。
 また、ウンガ一博士は医学界に警鐘を鳴らされていた。
 「現代医学は治寮を優先するあまり、患者の身体的側面のみに目を向けてきました。しかし、人間は身体のみで形成されているのではありません」「その人自身への温かい言葉や働きかけが必要になります」
 仏法では「色心不二」と説く。身体と心は一体であり、切り離すことはできない。
 ドクター部、そして白樺会・白樺グループ(看護者の集い)の皆様は、生き生きと励ましの声を贈っておられる。その希望の響きこそ、健康の太陽を昇らせる大きな力となるにちがいない。

 人間の中へ!
 一、中国の歴史書史記』には、伝説的な名医・扁鵲(へんじゃく)の記録が残されている。
 日蓮大聖人も「中国に黄帝(こうてい)、扁鵲という医師がいました。インド持水(じすい)、耆婆(ぎば)という医師がいました。この人たちは、その時代の宝であり、後世の医師にとって師の存在である」(卿書1479ページ、通解)と記され、深く注目されていた医師である。
 扁鵲は「邯鄲(かんたん)へ行き、そこでは婦人が大切にされていると聞くと、婦人科医として腕をふるった。洛陽(らくよう)へ行き、周(しゅう)の人たちは老人を敬愛すると聞くと、耳が遠くなり、目がかすみ、手足がしびれる老人病の医者として活躍した。咸陽(かんよう)のまちに入ると、秦(しん)国の人たちは小児をかわいがると聞くと、小児科医として腕をふるった。各地の習俗に適応した医療を臨機応変に行ったのである」(青木五郎著『新釈漢文大系91』明治書院)。
 扁鵲は、広い中国の国土を歩きに歩き、民衆の中に分け入るようにして治療に当たったと伝えられている。
 どうかドクター部の皆様は、扁鵲のごとく、民衆のために行動する名医であっていただきたい。

 師子王の如く自身を鍛えよ
 一、いかなる組織であれ、柱となる人間が立派になれば、後輩も皆、立派に育つ。
 要は、自分だ。師子王のごとき自分自身であるかどうかだ。
 若き日より私は、汚れのない、きれいな心で御本尊に仕え、広布の師に仕えるのが学会の姿であると信じ、戸田先生のために戦ってきた。
 先生の行き詰まった事業を守り、財政難を助けるために奔走した。先生から「そばにいてくれ」と言われ、通っていた夜学も断念した。その代わりに「戸田大学」で勉強を教わった。今の私があるのは、すべて戸田先生のおかげである。
 私は生涯をかけ、そのご恩を返している。
 師への尊敬と報恩を忘れてしまえば、その一念に狂いが生じる。
 学会は信心の世界である。大聖人直結の世界である。
 "遊び""威張り""腐敗"がはびこる世界とは正反対の、峻厳なる師弟の世界でなければならない。

 「師と同じ心」で「増上慢」を破れ
 一、師弟あるかぎり、学会は崩れない。
 それを分断し、壊そうとするのが、恐るべき魔の正体である。
 昭和54年(1979年)5月3日、私の実質的な会長辞任の総会となった本部総会が、東京の八王子で行われた。大難の嵐が吹き荒れるなかであった。
 ちょうど、その日の読売新聞に、日本とアメリカの、国民の「生活意識」を調査した結果が掲載された。日本人の「尊敬する人物」が紹介されており、その第6位に、私の名前が出ていた。ある人が笑顔で教えてくれた。〈存命中の民間人では第1位〉
 不思議なタイミングでの出来事であった。
 一、御聖訓には、三障四魔は「紛らわしく入り乱れて競い起こる」(御書1087ページ、通解)と説かれている。
 私たちは、そういう動きを見破る鋭さを持たねばならない。愚かではいけない。
 皆で、素晴らしい学会をつくろう!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 皆が「師と同じ心」で進む。それが三代の師弟の心であり、願いである。大聖人、釈尊の心に連なる「正義」の心である。それが「慢心」を打ち破る力となる。

 信心強き人が最も尊貴な人
 「私はこれまで、広宣流布の前進の、矢面に立ってきた。一日も気の休まることはなかった。生命に及ぶ危険を感じることもあった。
 大聖人が「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448ページ)と仰せになられた通り、難に立ち向かう覚悟なくして、広布の指揮を執ることなどできない。
 このような厳しいことを申し上げるのも、学会が仏法の世界だからである。
 世間の立場や仕事の肩書などは、信心の位とは関係がない。信心強き人が、最も尊貴なのである。
 ゆえに創価のリーダーは、広布へ戦う友に尽くすのである。それができる人が、偉大な人である。できない人には、創価の指導者の資格はない。
 この根本の精神を知り、継承していかなければ、健気な会員に対して威張り、平然としているような、とんでもない人間が出てくる。そして結局、学会自身が損をしてしまうのである。
 ともあれ、どのような状況になろうとも、我々は戦おう! 広宣流布のために! そして勝とう!(大拍手)
 私は、尊き前進を続ける皆さんを讃えて、「創価学会、万歳!」「同志の皆様、万歳!」「海外の大事な同志、万歳!」と心から申し上げたい人大拍手)。〈参加者で勢いよく万歳三唱。続いて、名誉会長を導師に全員で唱題した〉
 長時間、本当にご苦労さまでした。お元気で! 海外から参加していただいた、研修会の皆様もありがとう!
 サンキュー!(大拍手)
 (2008・9・3)

 ※編集部として、名誉会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。

新時代第21回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 下〔完〕


ブログ はればれさんからのコピーです。