2008年11月23日付 聖教新聞  11,18記念代表協議会での名誉会長のスピーチ 上-1

2008年11月23日付 聖教新聞
11,18記念代表協議会での名誉会長のスピーチ 上-1

人と会え! 共と語れ! 心を結べ!
さあ対話の時代だ
われらは「平和の柱」「文化の大船」「教育の眼目」

一、「創立記念日」おめでとう!(大拍手)
 この日を慶祝し、世界の各国、各都市からも、真心あふれる数多くの祝福をいただいている。
 人間革命の哲学を、多くの識者が真剣に探究し始めた。
 国境を超えた民衆の連帯に、大いなる期待と賞讃が寄せられている。
 このことを、どうか誇りとしていただきたい(大拍手)。

 堂々と
  勝利と和楽の
     創価かな

 192カ国・地域の友とご一緒に、創立78周年を晴れ晴れと飾ることができた。
 学会本部にも、多くの来客の方々、そして同志の皆様方が、連日、祝賀にお越しくださっている。
 一年また一年、わが創価学会は「平和の柱」として、「文化の大船」として、「教育の眼目」として輝きを増している。信頼を広げている。
 今、本部周辺の整備も進んでいる。日本中、世界中で、広布の城を立派に総仕上げしていく。すべて大切な同志の皆様のためである。
 見違えるような、壮大なる発展の未来を楽しみにしながら、私とともに、皆、元気で、生きて生きて生き抜いていただきたい。きょうから、いよいよ「創立80周年」へ、全同志が、さらに功徳の陽光を浴びながら、人類の希望のスクラムを、一段と強め広げ、朗らかに、また朗らかに前進してまいりたい(大拍手)。

 創立日
  諸天につつまる
     創価

戸田先生
地域の個人会場こそ 広宣流布の発信地! 人材練磨の偉大な城!

 「幸福博士」を育てる学校!
 一、はじめに、全国、そして全世界の個人会館、個人会場を提供してくださっているご家庭に、改めて心より感謝申し上げたい(大拍手)。
 日蓮大聖人は仰せであられる。
 「心ざしあらん人人は寄合て」(御書961ページ)
 「互につねに・いゐあわせて」(同965ページ)
 独りよがりで、わがままな仏道修行など、あり得ない。
 いつも集い合い、語り合い、励まし合って、広宣流布へ進みゆくことが、正しい一生成仏のリズムである。
 そのために、一番大事な場所が、地域の法城である。
 ここから「勇猛精進」の力が生まれる。
 ここでこそ「異体同心」の団結が深まる。
 御書には、「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所等し」(1578ページ)との法理が示されている。
 妙法の友が喜び集う婦人会館がどれほど尊貴な場所であるか。
 牧口先生も、座談会の会場となるご家庭を、それはそれは大切にされ、心を砕かれていた。
 戸田先生は、地域の拠点である個人会場こそ「大切な広宣流布の発信地」であり「人材錬磨の偉大なる『城』」であると讃えられた。
 勇んで、わが家を広宣流布の法城とされ、同志を護り、人材を育てゆかれる、その崇高な献身に「冥の照覧」は絶対である。
 御書には、伝教大師の言葉「家に讃教(さんきょう)の勤めあれば七難必ず退散せん」(1374ページ)が引かれている。
 いわんや、地域の破邪顕正の城であられるご家庭の福徳は、無量無辺であり、一家一族が厳然と護られていくことは、絶対に間違いない。
 法華経には、明快なる因果律が説かれている。仏法が語られる場で、人に座を勧める真心は、未来に、帝釈天梵天転輪聖王(てんりんじょうおう)という大指導者の座を得る功徳になるのだ。
 個人会場は、三世永遠にわたって、「幸福の博士」を、「福運の博士」を、「使命達成の博士」を、「勝利の博士」を育て広げていく学校でもある。

 戦時中も座談会
 一、私の妻の実家である白木宅も、草創期から個人会場であった。
 牧口先生をお迎えした、戦時中の座談会は、特高刑事から何度も「中止!」と制止されるなか、一歩も退かずに行われた。
 そのなかで、牧口先生は「法華経は日輪(=太陽)のごとし」(御書1114ページ)等と叫び切っていかれた。
 この「死身弘法」「不惜身命」の師子王の姿を、一家は深く強く生命に焼きつけたのである。
 今なお多くの同志が、白木宅では、どんな時でも、「よく来たね。よく来たね」と笑顔で迎えてくれたと、感謝を込めて振り返っておられる。
 宗教社会学の第一人者であられたオックスフォード大学のウィルソン博士は、SGI(創価学会インタナショナル)の運動の魅力として──いわゆる寺院制度から解放された在家団体であること、そして、座談会等を通し、地域の会員が相互に励まし合っていることなどを挙げておられた。
 地域の共同体の再生という点からも、個人会場の存在は、実に大きいと言えよう。

 礼儀を尽くして
 一、御書には明言されている。
 「昼夜に法華経をよみ朝暮に摩訶止観を談ずれば霊山浄土にも相似たり・天台山にも異ならず」(1394ページ)
 法華経の行者であられる大聖人が妙法を唱え、仏法を語るところは、どんな場所であっても、尊極なる仏土なのである。
 御本仏に直結して、妙法をともに唱え、大仏法を学び舎い、広宣流布を推進する会場は、この本義の上から、すべて霊山浄土に通ずる。本有常住の寂光土となる。常楽我浄の宮殿となる。個人会場は、それほど意義深い。
 だからこそ、個人会場を使わせていただく際には、幹部をはじめ、皆が最大に礼儀を尽くしていかねばならない。誠心誠意、感謝を表していくことである。
 トイレなども、心して、きれいに使わせていただくことだ。受験生や病気のご家族への心づかいなども、忘れてはならない。さらに、自転車の駐輪にも気をつけ、出入りの際の私語を慎むなど、近隣に迷惑をかけないマナーが大切である。
 仏法は「人の振舞」が根本であるからだ。

 ペルーに幸の光
 一、先日、南米ペルーSGIのシマ理事長から、うれしい報告があった。
 ペルーでも、首都リマを中心に、同志が福運を積み、個人会場を提供してくださるご家庭が、どんどん増えている。地域の灯台として、明るい信頼と友情の光が、いや増しているというのである。
 法華経には、「仏子の 諸の塔廟を造ること 無数恒沙にして国界を厳飾し」とも説かれている。
 御本尊のもと、妙法の同志が集う個人会場、また会館のあるところ、地域にも、国土にも、希望と安穏と繁栄が広がる。ここに「立正安国」の具体的な実像がある。
 創立80周年へ、あの地にも、この地にも、後世の人が仰ぎ見る、堂々たる創価の人材城を、ともどもに築き、荘厳してまいりたい(大拍手)。

 命をかけてこそ
 一、ともあれ、世界192カ国・地域に広がった学会を、牧口先生、戸田先生が、どれほど喜んでおられるであろうか。
 未来に永遠に残るものは、手抜きや要領では決して築くことはできない。
 人間が命をかけたものだけが不滅の輝きを放つのだ。
 私の好きなお隣の韓国の格言に「精魂こめた塔が崩れるものか」とある。
 わが創価の平和と文化の高き塔は、牧口先生、戸田先生、そして私の三代の師弟が、命がけで築いた、人類の「希望の宝塔」なのである。
 大事なのは創価学会である。この仏意仏勅の組織を、未来永遠に護り抜いていかねばならない。それが、最高幹部の責任であり、使命であることを忘れてはいけない。

 青春の苦闘
 一、私は、わが青春のすべてを捧げて戸田先生をお護りした。
 戸田先生の会社で働き始めたのは21歳のとき。間もなく、経営は悪化し、事業は苦境に陥った。
 連日、押し寄せる借金取り。次々と去っていく社員たち。
 私も体が弱く、肺病を患っていた。無理がたたり、喀血を繰り返した。
 当時、学会を財政面で支えておられたのは戸田先生であった。
 先生の事業を護ることが、広布を護り、学会を護り、同志を護ることになる。そう心に決めて、私は、事業の再建に奔走した。

 どん底の中で
一、あれほど剛毅な先生も、さすがに疲れておられた。
 幾晩も、先生のご自宅に呼ばれた。先生の様子が心配で、家の前に一晩中、立ち続けたこともあった。
 何もかも、先生のため。何があっても先生に、指一本、触れさせてなるものか。先生には大手を振って歩いていただくのだ。
 そう心で祈り、叫びながら、ただただ先生のために、死にものぐるいで活路を開いてきたのである。
 これほどに師匠を護った弟子は世界にいないであろう。それが私の青春の栄光である。
 仏法の真髄は師弟なのである。
 一、戸田先生と二人して、借金を返済しに行った帰り道──。
 車もなく、夕暮れの町を歩いた。
 私は、将来、必ずや先生をお乗せする車を買い、立派なビルも建てることを約束した。
 先生は「そうか、そうか」と、うれしそうにうなずいておられた。
 師匠と弟子の二人きり。誰も助けてくれない。私しかいない。
 そのどん底の中で私は誓ったのである。
 「必ず、先生を世界の先生にします!」「先生に喜んでいただける学会をつくります!」「先生を苦しめた人間とは絶対に戦い抜きます!」と。
 私は真剣だった。言ったことは必ず実行した。最初から容易にできたことなど、何一つなかった。
 現在の学会の驚くべき世界的な大発展も、すべては、偉大なる「師匠の薫陶」と、それに応えんとする「弟子の誓願」の中から築かれてきたのである。
 永遠に光る創価の師弟の満足の姿が、ここにあった。
 これが信心である。
 これが学会である。
 これが仏法である。
 この厳粛な師弟を軽く見て、大変なことは人にやらせ、できあがったものの上にあぐらをかくような幹部には絶対になってはならない。そうしたずるい人間を、断じて許してはならない。
 将来のために強く申し上げておきたい。

 戸田大学の誇り
 一、一から百まで、師弟でつくってきた学会である。師匠と決めた以上、お護りし抜くのが弟子の道である。
 行きたかった夜学も断念して、先生の側でお仕えした。
 その代わり、先生は、死ぬまで私に、万般の学問を個人教授してくださった。
 私は朝一番に出勤した。「朝の勝利」から出発した。
 戸田先生は「大作、早いな」と一言。
 そして会社の始業前の時間を使って、「戸田大学」の授業が始まる。日曜日も毎回、ご自宅で教わった。
 この薫陶のおかげで今の私がある。一言一句が遺言のような講義であった。あらゆる分野の一級の人物と対等に語り合える力をつけていただいた。ありがたい先生であられた。

11,18記念代表協議会での名誉会長のスピーチ 上-2に続く



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