2008年11月24日付 聖教新聞  11,18記念代表協議会での名誉会長のスピーチ 中-2

2008年11月24日付 聖教新聞
11,18記念代表協議会での名誉会長のスピーチ 中-2

 病に打ち勝つ「究極の力」
 一、寒さが厳しさを増してきた。皆、風邪などひかないように、健康第一の一日一日であっていただきたい。
 もちろん、どんなに気をつけていても、病気になることはある。仏法が「生老病死」の四苦を説いているように、一面では、人生は病との闘いといえるかもしれない。
 「信心」は、その闘いに打ち勝っていく究極の力なのである。
 日蓮大聖人は、病気の報告をした門下の太田乗明に対する御手紙の冒頭で、こう記されている。
 「御痛みの事一たびは欺き二たびは悦びぬ」(御書1009ページ)
 あなたが病気になったことを一度は嘆きましたが、それによって、さらに仏法を深く学び、実践していけるのだから、私はむしろ喜んでいます──そうした深い御心からの御言葉と拝される。
 大聖人が、愛弟子の病気を深く案じられ、平癒を祈念してくださったことは、いうまでもないだろう。
 その上で、信心根本に闘うなら、必ず病気に打ち勝っていけると励まされたのである。
 妙法は、何があっても変毒為薬できる、不可思議の法である。
 大聖人は「この病は仏の御はからいであろうか。そのわけは、浄名経、涅槃経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(同一四八〇ページ、通解)と仰せである。
 病気をしたからこそ、求道心を奮い起こしていける。大きく境涯を開くことができる。また、病気の人を力強く励ませるようになる。
 信心の眼で見るならば、すべてに深い意味がある。そして、強き信心に生き抜くならば、必ず宿命転換を成し遂げ、勝利の人生を開いていくことができるのである。

 更賜寿命の功力
 ー、牧口先生は、弟子たちをこう励ましておられた。
 「"この病気を、必ず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ"と確信し、決意して信心を続けていくことが大事だ。そのとき、病気が治るだけではなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」
 私も、若き日から病気との聞いを続けてきた自身の体験に照らして、その通りであると確信する。
 医師から「30歳までもたない」といわれた病弱な私が、このように自在に世界広宣流布の指揮を執れるのは、妙法の「更賜寿命」の功力の証明と思っている。
 ともあれ、これまでも折々に語ってきたが、健康の維持・促進の基本として──
 1 張りのある勤行
 2 無理とムダのない生活
 3 献身の行動
 4 教義のある食生活
 ──等々の日常生活における心がけが重要である。
 健康は深き「祈り」が根本である。「智慧」が大切である。
 大聖人は、「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」(同1015ページ)と宣言なされた。
 一騎当千のドクター部、慈愛輝く白樺の皆様方とともに、全同志の健康長寿を真剣に祈り抜きながら、自他ともに頑健に、創立80周年へ勇躍の前進を決意し合いたい(大拍手)。

新時代を築いた適塾の創設者・緒方洪庵
「安逸や名利を求めるな 庶民のために生き抜け」

 「卑しい人間にはなるな」
 一、激動の幕末期に活躍した医学者・緒方洪庵(1810~1863年)。彼は、門下生への手紙で綴っている。
 「師弟の関係は生涯にとりのぞいてはならぬ大切なこととおもいます」(緒方富雄・梅溪昇・適塾記念会編『緒方洪庵のてがみその五』莱根出版)
 緒方洪庵は、大阪に「適塾」を創設して、日本全国から集った逸材を薫陶した。
 賢明な八重夫人も、青年たちの母代わりとなって親身に世話をした。
 門下の一人・福沢諭吉は、この八重夫人を"私がお母さんのように敬愛している大恩人"と何度も語っていた(梅溪昇著『緒方洪庵適塾大阪大学出版会)。
 この緒方夫妻のもとから、千人を超える愛弟子たちが巣立ち、自らの使命とする場所で、師の精神を体現して、近代日本の医学・学術の発展を大きく開いていったことは、あまりにも有名である。
 私も関西の同志とともに、大阪・北浜の適塾の史跡を訪れた思い出がある(昭和61年=1986年)。
 そこには、塾生の名前、出身地、入塾年日が20年にわたって連綿と記された「姓名録」が厳粛に留められていた。
 師・洪庵は、弟子たちが塾を出た後も、多くの手紙を送り、心を込めて激励を続けた。
 弟子たちもまた、近況や医療に関する質問、御礼の報告等を、師のもとへ送り届けた。
 たとえ、物理的な距離は離れていても、師弟の心は、揺るぎなく結ばれていたのである。
 洪庵は、塾を巣立ちゆく門下生に、「事に臨んで賤丈夫(心のいやしい卑劣なおとこ)となるなかれ」(同)などの指針を贈っている。
 さらに門下生への手紙には、「どうぞあなたは力をつくして道のため、世のためご勉強してくださるよう祈ります」(前掲『緒方洪庵のてがみその五』)等と書き送っている。
 「世のため」「(医学の)道のため」「人のため」──ここに、適塾の師弟を貫く精神がある。

 どこまでも庶民のために
 一、こうした「医学をもって人を救う」という緒方洪庵の思想が表れているのが、12カ条にわたる、有名な「扶氏医戒之略」である。
 その一部を紹介すると──。
 「医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其業の本旨とす。安逸を思わず、名利を顧みず、唯おのれをすてて人を救わんことを希うべし」
 「病者に対しては唯病者を視るべし。貴職貧富を顧ることなかれ」
 「学術を研精するの外、尚言行に意を用いて病者に信任せられんことを求むべし」
 「世間に対しては衆人の好意を得んことを要すべし。学術卓絶すとも、言行厳格なりとも斉民の信を得ざれば、其徳を施すによしなし」(前掲『緒方洪庵適塾』、現代表記に改めた)
 自分のためではない。患者のためである。
 地位や財産ではない。人間のためである。
 どこまでも「人間としての振る舞い」を重要視し、患者からの「信頼」、人民からの「信用」を何より大切にした信念が伝わってくる。

一人一人がかけがえのない存在「皆、仏子」「皆が使命の人」
生老病死の苦悩を常楽我浄の歓喜
妙法は最高の大良薬!
戸田先生 何があっても必ず変毒為薬できる

 自分が礎に
 一、緒方洪庵の著名な門下生の一人に、近代日本の「医療福祉の祖」「衛生事業の創立者」と讃えられる、長与専斎(1838~1902年)がいる。
 健康の保全や、疾病の予防・治療などに取り組むことを「衛生」として世に普及させた人物でもある。
 長与専斎は、神奈川の鎌倉でも、保養所の建設、海水浴場の開設など、人々の健康のために先駆的な事業を展開した。
 じつは、鎌倉のSGI(創価学会インタナショナル)教学会館の敷地には、長与家の別荘があった。
 ここは、専斎の子息で作家だった長与善郎をはじめ、近代日本で人道主義を掲げた「白樺派」の文学者、文化人が集い、対話を重ねた地でもあった。
 ところで、長与専斎は生来、病弱であった。そのため、自分は衛生事業の先駆となって道を開ければよい。あとは、後継の人々が大成してくれるにちがいないとの思いで戦った。
 彼は綴っている。
 「おもうに余は幼年の頃より多病羸弱にして気力も薄かりければ、衛生の事を思い立ちし初めより自らその成功に居らんなどのことは思いもよらず、ただその端緒をだに啓きたらんには、後継おのずからその人ありて大成の功を完うする時もあるべしとて、さては志を起こしたる」(小川鼎三・酒井シヅ校注『松本順自伝・長与専斎自伝』平凡社
 人の労苦の上に、安住するのではない。
 むしろ自分が労苦を一身に引き受けて、道を開く。大成する栄誉は後輩に重ねていく。ここに、人間としての崇高な生き方がある。
 33年前、SGIの発足の際、集った各国の尊き先駆者たちに、私は申し上げた。
 「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
 この一念で、私と世界の同志が戦い抜いてきたゆえに、今日のSGIの大発展がある。
 今、長与家ゆかりの鎌倉のSGI教学会館には、海外から多くの識者や同志が来訪され、千客万来の賑わいである。
 大聖人の御在世を偲びながら、地元の方々と有意義な交流を広げておられる。
 訪れた方々は、皆、心から喜んでくださっている。常に最高の真心で歓迎してくださる、鎌倉の同志に、この席をお借りして、御礼を申し上げたい(大拍手)。

 不可能を可能に
 一、長与専斎は衛生の目的を、端的に「達者で長生きをする」(伊集院弥彦記『中央衛生会長長与専斎君演説筆記』、現代表記に改めた)ことだと語っている。
 しかし、そのための伝染病の予防や、上下水道の整備といった事業は、人々の理解も、資金の確保も簡単には進まなかった。
 長与専斎は、こう述べている。
 「およそ達識遠見ある人の論説行為は、普通凡庸の思想以上に超過するが故に世俗の容るるあたわざるところとなり、意外のところに障害を蒙ること人間の常態にして、文明の世といえどもまた免るべからず」(前掲『松本順自伝・長与専斎自伝』)
 偉大な思想や行動は、俗世に受けいれられるどころか、苦難を蒙る。それが、人間社会の常であるという達観である。
 いわんや、法華経に「一切世間に怨多くして信じ難し(一切世間多怨難信)」等と説かれる通り、広宣流布の戦いは困難の連続である。
 長与専斎は綴った。
 「畢竟 事の成敗は忍耐勇往の如何に存するものと謂うべし」(同)
 「忍耐」と「勇気」──ここにこそ、必勝の鉄則がある。
 破れない壁はない。我らもまた、「不可能を可能とする」不屈の精神で、断じて新たな歴史を勝ち開いてまいりたい(大拍手)。
   (下に続く)

11,18記念代表協議会での名誉会長のスピーチ 中〔完〕


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