2008年12月18日 聖教新聞
2008年12月18日 聖教新聞
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下 山本 伸一
◇
子々孫々
末代までの
功徳をば
父たるあなたの
因果の土台で
波乱万丈の大闘争を越えて築き上げた、わが生命の城は難攻不落である。
釈尊が信頼する弟子であった須達長者は、「七度貪になり・七度長者となりて候いし」(御書一五七四ページ)と言われる。
現実社会において、浮き沈みは避けられない。
特に七度目は、最も苦しい窮地に立たされた。しかし、この一番、苦しい時に、須達長者は夫妻して、身命を惜しまず、すべてを捧げて、師をお護りした。
この時の大福運によって、夫妻は、どん底から立ち上がった。そして、当代随一の長者となり、やがて祇園精舎まで建立寄進する大境涯になったのだ。
日蓮大聖人は、この「師弟不二の信心」で勝った須達長者夫妻の姿を讃えられ、「これをもって万事を弁えなさい」と仰せである。
仏法には、汲めども尽きぬ福徳を積みゆく因果律が明かされているのだ。
仏典には、仏を指して「出世の長者」と言われ、この長者には「魔を降し外を制す」力があるとも示されている(同八一八ページ)。
仏の大力を出せ! 卑劣な魔の蠢動を打ち破り、外にも厳として勝て。そして、健気な婦人部や女子部を護り抜け──これこそ、"男の戦い"である。なかんずく地域や職場で信頼されゆく壮年の戦いだ。
◇
有名なインドの哲学者ラダクリシュナン博士は、私の大切な友人である。
博士の父上は、マハトマ・ガンジーと共に勇敢に戦った非暴力の闘士であった。亡くなられた後も、「地位や権力や金銭にとらわれない、恐れを知らぬ人であった」と賞讃された。
博士は、お仕えする師匠からも、偉大な父上の勇気ある息子として、断じて勝ち誇る人間になれ! と、薫陶されてきたのである。
自らの信念を貫いた、悔いなき勝ち戦の歴史こそ、わが子や後輩に対する最高の遺産となるのだ。
「一人の人間こそすべてである」と、ナポレオンは必勝の将軍学を語った。
広宣流布の勝利も、一人の人間で決まる。
我ら壮年の誉れとは、いったい何か。
それは、わが人生の道にあって、信心を根本に打ち立てた「勝利の旗」の数ではあるまいか。
「誰か」ではない。「自分」である。自分が勝つことだ。自分に勝つことだ。
その姿こそが、常に勇気を波動させていくのだ。
◇
不死鳥か
依正不二なり
君と僕
私が、この句を詠んだのは、入信三十周年を迎えた昭和五十二年の八月二十四日であった。この日は、「壮年部の日」であった。
私は、信頼する全国の壮年部の同志に、共に"不死鳥"の如く前進をと、この句を贈ったのである。
句に詠んだ「依正不二」とは、行為の主体である「正報」と、その依り所となる環境の「依報」が不二だと洞察した、仏法の奥義である。
想像を絶する艱難をも、「法華経の兵法」で勝ち切って、何ものにも微動だにせぬ自分自身を鍛え上げるのだ。
この勝利また勝利の自分に即して、壮大なる栄光の環境が出来上がっていくのである。全部、「依正不二」だ。自分の胸中の制覇が、すべての環境も勝利させていくものである。
日蓮大聖人は、我ら壮年部の大先輩である池上兄弟に厳しく仰せである。
「強盛に歯噛みをして、決して弛む心があってはならない」(同一〇八四ページ、通解)
そして師匠の大聖人が、幕府の権力者・平左衛門尉に向かって威風堂々と振る舞い、破邪顕正を師子吼されたように、少しも恐れる心があってはならないと、励まされたのである。
師の如く、「師子王の心」で戦え──これこそ、師弟不二の壮年部の魂である。
わが弟子よ、師匠が切り開いた「勝利の大道」に、敢然と続け!
◇
一九七四年、日本で開催された、あの至宝の名画「モナ・リザ展」の折、フランス政府の特派大使として来日されたのが、行動する文化人アンドレ・マルロー氏であった。
この折、氏と私は、聖教新聞社で、三時間近くにわたって対話を重ねた。
翌七五年の五月には、パリ郊外のご自宅にお招きをいただいた。文明の未来を見つめ、様々なことを語り合ったことが懐かしい。
このマルロー氏の哲学を凝結した言葉がある。
「なすべきことをなして、コメント(=論評)は人にまかせろ」
まったく、そのとおりだ。
傍観者の戯言(たわごと)などが、なんだ!
傍観者の無責任な態度が、なんだ!
傍観者の勝手気ままな臆病な言動が、なんだ!
我らは"不死鳥"の如き広宣流布の闘士である。我らには"不死鳥"の如き師弟の誓いがあり、久遠からの偉大な使命がある。
戦いはこれからだ。
必ず、勝つのだ。
我らに開けぬ道はない。
我らに破れぬ壁はない。
勝利できぬ戦いはない。
戦おうではないか!
そして勝ちまくるのだ。
勝って勝って、深く大きい歴史を子孫に残すのだ。後世に残すのだ。
勇敢なる凡夫という、最高の俳優となって、今世を生き抜いていくのだ。
わが大切な大切な、壮年の同志よ!
偉大なる道を歩みゆく、わが不二の戦友よ!
私たちを、君たちを、諸天善神は、万歳を叫びながら見守り、喝采しながら未来永遠に護ることを、忘れてはならない。
走り抜け
師子の如くに
勝ちまくれ
師弟不二なる
長者の君なば
(随時、掲載いたします)
ヒルティの言葉は順に『眠られぬ夜のために』草間平作・大和邦太郎訳(岩波書店)、シュトゥツキ著『ヒルティ伝』国松孝二・伊藤利男訳(白水社)、『ヒルティ著作集2 幸福論2』斎藤栄治訳(白水社)。テオグニスは「エレゲイア詩集」(『世界人生諭全集1』所収)久保正彰訳(筑摩書房)。周恩来の話は新井宝雄者『革命児周恩来の実践』(潮出版社)。黄忠は『完訳三国志』小川環樹・金田純一郎訳(岩波書店)、陳寿著『正史三国志5』井波律子訳(筑摩書房)。ナポレオンはオブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳(岩波書店)。マルローは竹本忠雄著『アンドレ・マルロー日本への証言』(美術公論社)。
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-2〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下 山本 伸一
◇
子々孫々
末代までの
功徳をば
父たるあなたの
因果の土台で
波乱万丈の大闘争を越えて築き上げた、わが生命の城は難攻不落である。
釈尊が信頼する弟子であった須達長者は、「七度貪になり・七度長者となりて候いし」(御書一五七四ページ)と言われる。
現実社会において、浮き沈みは避けられない。
特に七度目は、最も苦しい窮地に立たされた。しかし、この一番、苦しい時に、須達長者は夫妻して、身命を惜しまず、すべてを捧げて、師をお護りした。
この時の大福運によって、夫妻は、どん底から立ち上がった。そして、当代随一の長者となり、やがて祇園精舎まで建立寄進する大境涯になったのだ。
日蓮大聖人は、この「師弟不二の信心」で勝った須達長者夫妻の姿を讃えられ、「これをもって万事を弁えなさい」と仰せである。
仏法には、汲めども尽きぬ福徳を積みゆく因果律が明かされているのだ。
仏典には、仏を指して「出世の長者」と言われ、この長者には「魔を降し外を制す」力があるとも示されている(同八一八ページ)。
仏の大力を出せ! 卑劣な魔の蠢動を打ち破り、外にも厳として勝て。そして、健気な婦人部や女子部を護り抜け──これこそ、"男の戦い"である。なかんずく地域や職場で信頼されゆく壮年の戦いだ。
◇
有名なインドの哲学者ラダクリシュナン博士は、私の大切な友人である。
博士の父上は、マハトマ・ガンジーと共に勇敢に戦った非暴力の闘士であった。亡くなられた後も、「地位や権力や金銭にとらわれない、恐れを知らぬ人であった」と賞讃された。
博士は、お仕えする師匠からも、偉大な父上の勇気ある息子として、断じて勝ち誇る人間になれ! と、薫陶されてきたのである。
自らの信念を貫いた、悔いなき勝ち戦の歴史こそ、わが子や後輩に対する最高の遺産となるのだ。
「一人の人間こそすべてである」と、ナポレオンは必勝の将軍学を語った。
広宣流布の勝利も、一人の人間で決まる。
我ら壮年の誉れとは、いったい何か。
それは、わが人生の道にあって、信心を根本に打ち立てた「勝利の旗」の数ではあるまいか。
「誰か」ではない。「自分」である。自分が勝つことだ。自分に勝つことだ。
その姿こそが、常に勇気を波動させていくのだ。
◇
不死鳥か
依正不二なり
君と僕
私が、この句を詠んだのは、入信三十周年を迎えた昭和五十二年の八月二十四日であった。この日は、「壮年部の日」であった。
私は、信頼する全国の壮年部の同志に、共に"不死鳥"の如く前進をと、この句を贈ったのである。
句に詠んだ「依正不二」とは、行為の主体である「正報」と、その依り所となる環境の「依報」が不二だと洞察した、仏法の奥義である。
想像を絶する艱難をも、「法華経の兵法」で勝ち切って、何ものにも微動だにせぬ自分自身を鍛え上げるのだ。
この勝利また勝利の自分に即して、壮大なる栄光の環境が出来上がっていくのである。全部、「依正不二」だ。自分の胸中の制覇が、すべての環境も勝利させていくものである。
日蓮大聖人は、我ら壮年部の大先輩である池上兄弟に厳しく仰せである。
「強盛に歯噛みをして、決して弛む心があってはならない」(同一〇八四ページ、通解)
そして師匠の大聖人が、幕府の権力者・平左衛門尉に向かって威風堂々と振る舞い、破邪顕正を師子吼されたように、少しも恐れる心があってはならないと、励まされたのである。
師の如く、「師子王の心」で戦え──これこそ、師弟不二の壮年部の魂である。
わが弟子よ、師匠が切り開いた「勝利の大道」に、敢然と続け!
◇
一九七四年、日本で開催された、あの至宝の名画「モナ・リザ展」の折、フランス政府の特派大使として来日されたのが、行動する文化人アンドレ・マルロー氏であった。
この折、氏と私は、聖教新聞社で、三時間近くにわたって対話を重ねた。
翌七五年の五月には、パリ郊外のご自宅にお招きをいただいた。文明の未来を見つめ、様々なことを語り合ったことが懐かしい。
このマルロー氏の哲学を凝結した言葉がある。
「なすべきことをなして、コメント(=論評)は人にまかせろ」
まったく、そのとおりだ。
傍観者の戯言(たわごと)などが、なんだ!
傍観者の無責任な態度が、なんだ!
傍観者の勝手気ままな臆病な言動が、なんだ!
我らは"不死鳥"の如き広宣流布の闘士である。我らには"不死鳥"の如き師弟の誓いがあり、久遠からの偉大な使命がある。
戦いはこれからだ。
必ず、勝つのだ。
我らに開けぬ道はない。
我らに破れぬ壁はない。
勝利できぬ戦いはない。
戦おうではないか!
そして勝ちまくるのだ。
勝って勝って、深く大きい歴史を子孫に残すのだ。後世に残すのだ。
勇敢なる凡夫という、最高の俳優となって、今世を生き抜いていくのだ。
わが大切な大切な、壮年の同志よ!
偉大なる道を歩みゆく、わが不二の戦友よ!
私たちを、君たちを、諸天善神は、万歳を叫びながら見守り、喝采しながら未来永遠に護ることを、忘れてはならない。
走り抜け
師子の如くに
勝ちまくれ
師弟不二なる
長者の君なば
(随時、掲載いたします)
ヒルティの言葉は順に『眠られぬ夜のために』草間平作・大和邦太郎訳(岩波書店)、シュトゥツキ著『ヒルティ伝』国松孝二・伊藤利男訳(白水社)、『ヒルティ著作集2 幸福論2』斎藤栄治訳(白水社)。テオグニスは「エレゲイア詩集」(『世界人生諭全集1』所収)久保正彰訳(筑摩書房)。周恩来の話は新井宝雄者『革命児周恩来の実践』(潮出版社)。黄忠は『完訳三国志』小川環樹・金田純一郎訳(岩波書店)、陳寿著『正史三国志5』井波律子訳(筑摩書房)。ナポレオンはオブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳(岩波書店)。マルローは竹本忠雄著『アンドレ・マルロー日本への証言』(美術公論社)。
随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下-2〔完〕
ブログ はればれさんからのコピーです。