2008年12月26日付 聖教新聞 全国代表協議会での名誉会長のスピーチ 上-2

2008年12月26日付 聖教新聞
全国代表協議会での名誉会長のスピーチ 上-2

 当時、女子部の班長だった私の妻は、入会時から多田さんを励しま、仲良き同志として進んできた。
 御本尊を御安置するときにも、妻が駆けつけて、彼女の部屋で、ともに真剣にお題目を唱えた。
 女子部の善き友に囲まれて、多田さんは、生活苦と闘いながらも、明るく活動に励んでいった。
 人生の「労苦」の歳月は、信仰によって、生命の「輝き」に変わっていったのである。
 戸田先生は、両親を亡くした多田さんを大切に見守っていかれた。そして私に、多田さんを、次代の女性リーダーに育てるよう命じられた。
 私と妻は、彼女の成長を祈りながら、どんなときも、陰に陽に支えていった。
 本当に苦しんでいる人、病気の人、経済苦の人──そういう人が幸福になり、勝利していくのが、大聖人の仏法である。その偉大な功力を、わが身で証明していかれた多田さんであった。
 彼女は、学会の大恩を、決して忘れなかった。
 師弟の道を、最後の最後まで、まっすぐに突き進んでいかれた。
 そして、ちょうど8年前の2000年12月、安祥として霊山に旅立たれたのである。
 このとき、多田さんは、私と妻にあてて、遺言の手紙を用意されていた。
 そこに綴られていた、あまりにも清らかな報恩・感謝の心に、私と妻は、合掌し、追善の祈りを捧げたのである。

「若さ」こそ歴史を開く原動力
日々新たに勇猛精進を!!
大誠実で友情を広げよ
「スピードある対応」が信頼の土台

 池田華陽会の大健闘を賞讃

 一、多田さんは、戸田先生が手作りで育てられた「華陽会」のメンバーでもあった。
 偉大な先輩の尊き精神を受け継ぐ、「広布第2幕 池田華陽会1期生大会」が先日、晴れやかに開催された。本当におめでとう!(大拍手)
 今月の衛星中継への女子部の参加者は、先月に比べて、4万7千人も増加したと、うかがった。大変なことである。
 全国の女子部の皆さんの大健闘を心から讃えたい。本当にご苦労さま!(大拍手)
 戸田先生は言われた。
 「幹部は、全会員を懇切に指導して差し上げることだ。そして、『信心してよかった』という喜びを味わえるようにしてあげていただきたい」と。
 どうか、女子部の皆さんの祈りと行動で、「信心してよかった!」という「喜びのスクラム」を、若き世代に一段と大きく広げていっていただきたい。
 一、今、私は、アメリカの教育界に光を放つデューイ協会の会長であるガリソン博士と対談を進めている。
 博士は、SGIの推進する「人間革命」の運動の意義について、こう語っておられた。
 「『人間革命』とは一人一人が、かけがえのない可能性を現実の中に開発する作業であると、私は理解しております。そして、『人間革命』を通して、一人一人が社会全体に貢献していくのです」
 「この『人間革命』の理念を掲げるSGIは、"どこまでも成長する宗教"であると私は思っています」一流の人物は、私たちの運動の重要性を、正しく理解してくださっている。
 〈ガリソン博士は、こうも語っていた。
 「私は、成長する宗教の証しを、今年の8月、池田博士とお会いしたとき、目の当たりにすることができました。それは、師匠である戸田会長について語られる80歳の池田博士の眼に、19歳の青年の輝きを見たときでした。この眼の輝きがあれば、この宗教は、絶対に衰退することはないと実感したのです」〉
 博士は言われた。
 「師匠という原点、伝統を正しく踏まえ、若々しさを堅持していくかぎり、そしてまた、成長し、価値創造を続けるかぎり、この宗教は、1000年の繁栄を築くであろうと実感したのです」
 世界中で頑張ってくださっているSGIの皆様へのエール(声援)として紹介させていただいた。
 私たちは、1000年先までの人類の「幸福の大道」を切り開いている。
 堂々と胸を張って、この大道を進んでまいりたい(大拍手)。

戸田先生 「信心してよかった!」この喜びを同志に
米の教育者 
 人間革命を掲げるSGIは無限に成長
 師匠という原点があれば千年先も繁栄

 真心の伝言

 一、このほど、中米ドミニカ共和国コマツ婦人部長から、うれしい報告をいただいた。
 本年、同国の著名な教育者が来日され、八王子市の東京牧口記念会館を訪問された。私と妻も、多くの同志とともに真心から歓迎させていただいた。
 じつは、この教育者のお嬢さんが、帰国したお父さんから、さまざまな話を聞き、SGIの理念と運動に心から共感して、SGIと一緒に進んでいきたいと語っておられたというのである。
 この報告を聞いて、私は、即座にお嬢さんに伝言を託した。「お父さんに親孝行を」と。また、妻からは写真集を贈らせていただいた。
 こうした伝言や、やりとりは、スピードが大事である。すぐに反応して、行動するから、借用が増すのだ。
 誠実には大誠実で、真心には、それ以上の真心で応えていく。そこに本当の友情が広がる。学会は、それで勝ってきたのである。
 〈名誉会長から「親孝行を」との伝言を受け取った令嬢は、こう語っていたという。
 「こんな私にまで配慮してくださる池田先生ご夫妻に、心から感謝申し上げます。先生のご伝言通り、今まで以上に親孝行をしてまいります」「先生と奥様を知ることができ、私は本当に幸せです。先生、本当にありがとうございました」
 また、父親も大変に喜び、自分も名誉会長の人間主義と慈悲に感銘を受けた一人なので、皆と一緒に進んでいきたいと共感を寄せておられるという〉

 広布の全責任を青年が担い立て

 一、かつて戸田先生は指導された。
 「戦時中、学会は、外部に対して、渉外の力がなかった。魔を乗り切っていく力をつけよ! 外部に学会の正しさを認識させていく力を持て!」と。
 戸田先生は、昭和29年(1954年)の12月、当時、26歳の私を、初代の渉外部長に任命された。
 ベテランの幹部は大勢いた。しかし、先生は、若い私を指名された。
 未曾有の広宣流布の歴史を開くには、積み重ねられた「経験」も必要だが、やはり、「若さ」が大事だと、戸田先生は確信しておられたのである。
 私は、広布の全責任を担って奔走した。
 師匠や学会を批判・中傷する者とは、言論の力で断固として戦った。
 「私の師匠は、ここに書かれているような人ではありません。一体、どこに証拠があるのですか」
 私は、一つ一つ検証して、誤りや嘘は訂正させた。その真剣さに、相手も驚き、感心して、学会への認識を新たにしていった。
 私は不惜身命で戦った。自分のことは、どうなってもいいと覚悟していた。それが青年である。
 青年部、頼むよ!
 〈「ハイ」と参加者から勢いよく返事が〉
 また全員が青年の心で進んでまいりたい。
 一、戸田先生は、30歳近く年の差がある私を深く信頼してくださった。
 大事なことは必ず、「大作に聞け」と言われた。
 外部の重要な人との交渉にも、「大作を行かせますから」と私を派遣された。
 私は、外交戦で鍛え上げられた。多くの人と会い、語り、目には見えない底流の部分で信頼関係を結び、学会を護り、同志を護ってきた。
 現実は厳しく、多くの宗教が衰退を余儀なくされている。その中で、戸田先生が後継の一切を託した弟子の奮闘によって、学会だけは、大発展を遂げてきたのである(大拍手)。
 一、戸田先生は峻厳に言われた。
 「学会に反逆すれば、必ず、ひどい仏罰がある。覚悟しなければならない。仏法は、生きた証拠が必ずある。それを見ていくのだ」
 戸田先生の時代にも、学会にお世話になりながら、幹部になると慢心を起こし、師匠に嫉妬して、裏切っていった人間がいた。
 御聖訓には仰せである。
 「日蓮を信ずるようであった者どもが、日蓮がこのような大難(=佐渡流罪)にあうと、疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、自分のほうが賢いと思っている。このような歪んだ心の者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちたままになることは、不憫としか言いようがない」(御書960ページ、通解)
 増上慢の人間が仏法を破壊するのである。
 愚かな歴史を断じて繰り返してはならない。将来のために強く申し上げておきたい。
   (下に続く)

全国代表協議会での名誉会長のスピーチ 上〔完〕

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