2008年12月29日付 聖教新聞  各部代表者会議での名誉会長のスピーチ 下-2

2008年12月29日付 聖教新聞
各部代表者会議での名誉会長のスピーチ 下-2

御聖訓 「わざわいも転じて幸となる」
妙法の剣は無敵

 ヨーロッパでも、この11月に21カ国で教学試験が行われ、約1万人もの友が受験した。試験は、英語、ドイツ語、ポルトガル語など9言語で実施された。
 人間主義の大仏法を、世界の民衆が学び、実践している。
 大聖人の御遺命は、仏意仏勅の学会によって現実のものとなってきたのである。
 一、戸田先生は、御書全集「発刊の辞」の冒頭で、「諸法実相抄」の「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ」(御書1361ページ)の御聖訓を拝され、こう述べられた。
 「創価学会は初代会長牧口常三郎先生之を創設して以来、此の金言を遵奉して純真強盛な信心に基き、行学の二道を励むと共に如説の折伏行に邁進して来たが、剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴となっている」
 学会は、どこまでも御書根本である。
 御書は、全人頬に「冬は必ず春となる」(同1253ページ)と示し切った「希望の経典」である。
 御書は、「命こそ第一の財なり」と断ずる「生命尊厳の経典」である。
 〈「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり」(同1596ページ)〉
 御書は、「立正安国」の道を開いた「平和の経典」である。
 そして御書は、「道理は権力に勝つ」「正義は邪悪に勝つ」ことを説き切った「勝利の経典」なのである。
 〈「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(同1169ページ)、「悪は多けれども一善にかつ事なし」(同11463ページ)〉
 御書を開けば、希望の光線を浴びる。
 御書を学べば、勇気が出る。智慧がわく。
 大聖人の大精神が、わが生命に脈打つからだ。
 そこにこそ「難を乗り越える信心」の炎が燃えあがる。

 日々、御書を拝せ

 一、私の妻は、幼き日、自宅の座談会で、特高警察の監視の中、御書を拝して師子吼される牧口先生のお姿を生命に刻みつけた。
 そして戸田先生のもと、「女子部は教学で立て!」と薫陶を受けた。ゆえに、どんな時でも、御書を真剣に拝読し続けてきた。
 婦人部となってからも、時には台所の片隅で、寸暇を惜しんで御書を拝していた。
 いわゆる言論問題の嵐の渦中、ある新聞記者が、取材のため、私のもとに来た。そこで偶然、妻が黙々と御書を研鑽している姿を目の当たりにした。
 その記者は"こんな時にも、仏法の教えを学んでいるのか"と驚いたという。
 だから、妻は負けなかった。婦人部は揺るがなかった。大難の中にも泰然自若として、微笑みながら、同志を励ましていった。
 その勝利の源泉こそ、「唱題」であり、「御書」なのである。
 一、戸田先生は、御書研鎖の姿勢について「一行一行、拝しながら、『その通りだ。まったく、その通りだ』と深く拝読していくべきだ」と教えられた。
 御書の一節だけでもよい。日々、拝読しながら、実践していくことが大切だ。
 全国各地で、男女青年部の教学部長も立ち上がっている。
 「青年・勝利の年」は「行学・勝利の年」でもある。どうか、大いに学び、大いに実践して、仏法勝負の金字塔を堂々と打ち立てていっていただきたい。

勝利へ!行学の二道を

 「学会の躍進が日本の発展の力に」

 一、現在、私は、フランスのナポレオン家の当主であり、実業家、歴史作家として活躍するプランス・シャルル・ナポレオン公と対談を行っている。
 その中でナポレオン公は、終戦後の日本に思いをはせた、幼き日の出来事を紹介してくださった。
 「私が幼い頃、地元の教会の神父が、チョコレートを包んである銀紙を持ってくるよう、子どもたちに呼びかけていたことを思い出します。その銀紙を売ったお金で、日本の貧しい人に食糧援助をするのだ、というのです」
 当時の日本の窮状をご存じだからこそ、ナポレオン公は、大変な苦難を乗り越えて、見事な経済成長を成し遂げてきた日本の発展に刮目されていた。
 ナポレオン公は、こうも語っておられた。
 「そうした目覚ましい貴国(日本)の発展の土台に、創価学会の躍進があったことに、私は深い意義を感じずにはいられません」
 〈ナポレオン公は「幾多の苦難を越えて、平和のための傑出した民衆運動を築かれた、戸田会長、池田会長の偉大なる労苦に、心から敬意を表したいと思います」とも述べている〉
 学会の歴史は、戦争の惨禍に苦しみ抜いた民衆の、大いなる宿命転換の劇であったといってよい。
 民衆を高め、民衆を賢くし、民衆を強くする創価学会の前進が日本の発展を大きく牽引してきたことを、世界の識者は、正視限で評価してくださっているのである。
 今また、時代の乱気流を突き抜けた時に、私たちの信心は、前にも増していっそう鍛えられ、ますます力強くなっていくことは間違いない。
 御聖訓には仰せである。
 「一閻浮提(全世界)がひどく乱れたならば、法華経に説かれている『閻浮提の内に広く流布せしめる(世界広宣流布)』の文が実現することは、よもや疑いないでしょう」(御書1467ページ、通解)
 動乱の中で苦しむ人類を、希望の方向へ、幸福の方向へ、平和の方向へ、繁栄の方向へ、向かわせていくのが広宣流布である。
 どうか、この大使命に燃えて、祈りに祈り、勝ちに勝ち、見事なる一大実証を厳然と示していっていただきたい(大拍手)。

 歓喜に燃えて

 一、御義口伝には仰せである。
 「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経歓喜の中の大歓喜なり」(同788ページ)
 私たちの生命には最高に強く、尊い仏の生命が厳然と具わっている。胸中にこの仏界が輝く時、いかなる魔性も、私たちを苦しめることはできない。
 嘆いてばかりの仏はいない。宿命に負けてしまう仏などいないのである。
 真実の幸福を築くための仏法だ。
 「衆生所遊楽」のための信心である。
 天人が満ちあふれ、常に妙なる音楽が奏でられており、天空からは、めでたい曼陀羅華が降り、仏やその他の衆生の頭上にそそいでいる──法華経寿量品には、衆生が遊楽する仏国土について、このように記されている。
 強き信心で生き抜く私たちの境涯は、常に喜びに満ちている。和楽が広がっている。これが、創価の世界なのである。

 友情の根本は尊敬と信頼

 「全世界の多くの友人から、真心と友情あふれるグリーティング・カード(あいさつ状)をいただく時期となった。
 哲人指導者であられる、統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領からも、丁重なカードを頂戴した。
 大統領とは、1991年の6月、ライン川のほとりの大統領府で1時間にわたって親しく語り合った。
 大統領は、その後、ドイツSGI(創価学会インタナショナル)のヴィラ・ザクセン総合文化センターにも来訪してくださった。
 大統領は述べておられる。
 「いつまでも持続する人間関係は、どのようなものであっても、常にただ、互いに真実に尊敬しあっているかどうかにかかっている」(加藤常昭訳『ヴァイツゼッカーのことば』日本基督教団出版局)
 互いの尊敬と信頼があってこそ、友情は永続的なものとなる。
 私たちは、こうした連帯を社会に世界に、さらに広げてまいりたい。
 また、大統領は「より確信を得るまで行動することを控えていたのでは遅すぎる」(同)と述べ、「行動」することの大切さを訴えておられた。
 大事なのは行動だ。何もしなければ、何も変わらない。
 祈り、そして一歩を踏み出して、行動を起こしていくところから、すべてが始まる。智慧が生まれ、諸天が動く。状況も好転していくのである。

 常楽我浄の軌道

 一、とくに「死」という人生の総決算の時、問われるものは、いったい何か。
 ヴァイツゼッカー大統領は、それは「あなたがその人生から何を得たかではなく、人生において、何を与えたかなのである」(同)と論じておられる。
 真っ赤に燃え上がる夕日のような、そしてまた金色に輝きわたる大銀杏の黄葉のような、わが創価の友の荘厳なる人生の総仕上げの姿が、私には思い起こされてならない。
 妙法を唱え、友に希望と勇気の励ましを贈り、地域社会に貢献しゆくわが同志は、「生も歓喜、死もまた歓喜」の生命の軌道を、どこまでも進んでいくことができる。
 三世永遠に、常楽我浄の人生を歩むことができるのである。

 晴れやかな新年のスター卜を

 一、結びに、権力悪と戦った、文豪トルストイの若き直弟子グーセフの信念の叫びを、わが後継の青年部に贈り、私の本年最後のスリピーチとさせていただきたい。
 彼は綴っている。
 「人生を砂上ではなく、岩盤に築くべきである。雨や嵐がより強いところで揺るがぬ人生を生きていくべきだ」
 1年間、本当にありがとう!
 「勝って兜の緒を締めよ」で、明年もまた、勝利、勝利の1年としてまいりたい。
 皆、風邪をひかないように!
 金同志の健康とご多幸を、妻とともに祈りに祈ります。
 世界192カ国・地域の同志とともに、最高に素晴らしい新年をお迎えください。
 そして、新年勤行会から、「青年・勝利の年」の晴れやかなスタートを切りましょう。
 役員の皆様には、大変にお世話になりますが、一切無事故で、全同志が喜び勇んで出発できるよう、よろしくお願いいたします。
 きょうは長時間、本当にありがとう! また、お会いしましょう!(大拍手)
(2008・12・26)

各部代表者会議での名誉会長のスピーチ 下〔完〕


ブログ はればれさんからのコピーです。