小説「新・人間革命」  12月29日 新世紀35

『潮』での連載が終わった、この一九七六年(昭和五十一年)の秋、井上靖文化勲章を受けた。

 山本伸一は、ささやかなお祝いとして松の盆栽を贈った。ところが、これが、ふみ夫人に心労をかけてしまうことになったようだ。

 彼女は、随筆集『風のとおる道』のなかで、この盆栽について、こうつづっている。

 「……見事な松の大盆栽は、大そう手入れが難しいようだ。二百年も経っているであろうという老木を、高松からフェリーに載せて、特製の大きな鉢を積んだトラックには、数人が付き添って来られた。

 枯らしては申しわけない。靖とあれやこれやと方法を考えてみたが、なかなか名案が浮かばない。私には、枯らさずに、守りをする自信はとてもない。

 植木屋に相談して、直接、庭に降ろすことになった。水捌けをよくするために、土を小高く盛り上げて、その上に植えた。昔、出雲へ行った時に頂戴した小さな石灯籠を傍に供えた。庭の格が一段と上がった」(注1)

 伸一は、それを読んだ時、自分の贈り物によって、井上夫妻を、あれこれ悩ませてしまったことに、少々、心が痛んだ。また、その盆栽を、大切に守ろうとする、ふみ夫人の懸命な心遣いに、胸が熱くなった。

 夫人は、解剖学の世界的権威である足立文太郎博士の長女である。彼女は、四人の子どもを育てながら、徹して夫の健康管理に心を砕き、原稿の清書も手伝った。気骨と優しさの人であった。

 <井上靖氏は、一九九一年(平成三年)一月、八十三歳で逝去。そして、ふみ夫人も今年十月、九十八歳で逝去された。心より、哀悼の意を表したい>

 夫妻は、誠実そのものであった。

 「誠意は必ず実を結ぶ日が来る」(注2)とは、韓国の大教育者・安昌浩の言葉である。

 誠実な心、誠実の対話――そこに、友好の信義の絆が生まれる。人間主義とは、誠実を貫く、人間の王道のなかにある。



引用文献



 注1 井上ふみ著『風のとおる道』潮出版社

 注2 金素天著『韓国史のなかの100人』前田真彦訳、明石書店