2008年1月12日付 聖教新聞 新時代第25回本部幹部会 上-2 広布第2幕第13回全国青年部幹部会 名誉会長のスピーチ

2008年1月12日付 聖教新聞
新時代第25回本部幹部会 上-2
広布第2幕第13回全国青年部幹部会 名誉会長のスピーチ

 1月8日は原点の日
 一、きょう1月8日は、創価の師弟の原点の日である。
 昭和20年(1945年)、獄中闘争を続けておられた戸田先生が、牧口先生の獄死を知らされた日だからである。〈牧口先生は、前年の11月18日、すでに逝去されていた〉
 戸田先生は、この日、妙法の巌窟王となって、牧口先生の正義の仇討ちを、固く誓われた。今年は、牧口先生の殉教から65年である。
 一、初代会長の牧口先生と、第2代会長の戸田先生が、日蓮仏法の生命尊厳の理念を貫き、軍部権力に逮捕されたのは、昭和18年の7月であった。
 この軍部の大弾圧で、当時の学会の幹部21人が逮捕された。過酷な取り調べに次々と正義を曲げていった。
 最後まで信念を護り抜いたのは、牧口先生と戸田先生だけであった。
 戦後、戸田先生は、小説『人間革命』を執筆され、非道な獄中の様子も書き残された。
 刑事の取り調べに対して、戸田先生が、こう言い放ったことが記されている。
 「牧口先生を粗末に扱ってはいまいな」
 「(学会のことは)理事長のぼくが全部切廻していたんだ。ぼくのいうことを聞きさえすれば、なんでも判るんだ。牧口先生もほかの連中も帰した方がいい」と。
 獄中で、戸田先生は、ひたすらに祈っておられた──一切の罪は、若い私に集まればいい。ご高齢の牧口先生が一日も早く釈放されますように、と。
 これが師弟である。これが真実の弟子である。

 平和な社会を!
 一、先師・牧口先生は獄死された。
 しかし、不二の弟子たる戸田先生は、生きて牢獄を出られた。
 昭和20年の7月、敗戦直前の東京の焼け野原──。
 そこに、戸田先生は、決然と一人立って、深く心に誓われた。
 「牧口先生の志を受け継いで、平和な社会をつくるのだ。それが、牧口先生の仇を討つことだ!」と。
 2年間の獄中闘争によって、戸田先生の体は衰弱の極みにあった。しかし、胸中には、師弟の黄金の誓いが光を放っていた。
 広宣流布という、全人類のための「平和革命」「幸福革命」そして「人間革命」に、わが一身を捧げていかれたのである。

 師弟の魂で勝ち進め!
 一、広布に戦い抜けば、必ず、大きな障魔が立ちはだかる。
 「如説修行抄」に仰せである。
 「真実の法華経の如説修行の行者として、師となり、その弟子となるならば、三類の敵人が必ず現れるのである」(御書501ページ、通解)
 この御聖訓通りに、三類の強敵と戦い、勝ってきたのが、創価の三代の師弟である。
 戸田先生は、牢獄までもお供して、牧口先生にお仕えした。
 私は、青春のすべてを捧げて、大難と戦う戸田先生に尽くし抜いた。
 嘘や中傷で、先生を貶(おとし)める人間がいれば許さなかった。ただ一人で、どこにでも出ていって、正義を叫んだ。
 ただ師匠のために動き、師匠のために祈り、師匠のために生きた。私は厳然と師匠を護ってきた。
 何の悔いもない。わが人生は師弟不二であった。
 烈風の青春時代を、私は、この師弟の魂で勝ち進んできたのである。

 人類史に輝く勝利の劇を!
 一、牧口先生、戸田先生を、平和と正義の大偉人として、第3代の私は、全世界に宣揚してきた。
 牧口、戸田両先生の直弟子として、各国各地の最高峰の大学や学術機関から、数多くの名誉学術称号を拝受してきた。世界中から顕彰される時代となったのである。
 〈これまで名誉会長に贈られた、海外からの名誉学術称号は「246」を数える。さらに決定通知も届いており、本年、「250」を超える予定である。世界一の知性の宝冠である。
 また、国家勲章は「27」。
 世界の各都市からの名誉市民称号は、台湾の龍崎(りゅうき)郷からの「名誉郷民証」(5日)を含め、「610」。その代表をあげると、アメリカのサンフランシスコ市、イタリアのトリノ市、ブラジルのサンパウロ市、チリのサンティアゴ市、ペルーのリマ市、キューバハバナ市、オーストラリアのオーバン市、中国の西安市、台湾の台北市、韓国の釜山広域市、ネパールのカトマンズ市、トルコのイスタンブール市などである。
 さらに、パラオ共和国トンガ王国ミクロネシア連邦からは「名誉国民」の称号を受けている〉
 こうした世界からの栄誉は、すべてが、広宣流布に殉じられた牧口、戸田両先生が偉大であった証しにほかならない。
 そしてまた、この栄冠は、創価の師弟に連なる全国・全世界の同志の皆様の大福運となって、子孫末代にまで流れ通っていくことは、御聖訓に照らして間違いない。
 創価の三代の師弟は、尊き同志の皆様とともに、堂々と、人類史に輝く勝利の劇を飾ったと、私は高らかに宣言したい!(大拍手)
 一、戸田先生は、ある日の手紙の中で、こう綴っておられた。
 ──私の信仰は天下の正義である。この信仰の『信』『行』『学』を、私は、師匠である牧口先生のおかげで得ることができた。ゆえに私は、若人の情熱を失わないのだ──
 先生の胸中には、仏法の真髄を教えてくださった師への感謝の念があふれていた。
 信仰への確信。
 師匠への報恩。
 その心が一切の勝利の原動力であった。

 新成人に期待!
 「きょうは、新成人のメンバーも参加している。おめでとう!(大拍手)
 今年は、皆様方の「新成人の木」として、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)のフロリダ自然文化センターに、「樫の木」が植樹される(大拍手)。
 樫は、「森の王」と呼ばれる堅固な樹木である。「勇気」「力」「長寿」などの象徴とされている。
 大文豪ゲーテは語った。
 「風や嵐から安穏に守られて育つと、樫の木もだめになる。しかし、自然と戦うこと百年にも及べば、まことに強く堂々たるものとなって、その伸びきった姿を目のあたり見ては、誰しも驚嘆せざるをえないのだ!」(エッカーマン著、秋山英夫訳編『ゲーとの対話』社会思想社
 戸田先生は、ある青年部員に次のように指導された。
 「難にあった時に、"賢者は喜び、愚者は退く"のです。愚か者になってはいけない。難をきっかけに、自分を見つめなさい。
 みっちり信心してごらん。今の10倍の功徳を受けられるよ」と。
 私は、限りない期待を込めて、新成人の皆さんに呼びかけたい。
 "学会の創立100周年を創りゆく君たちよ! 試練の嵐を恐れるな! 強く堂々たる大樹と育ちゆけ!"
 私自身、そのようにして自分を鍛えてきた。微塵も後悔はない。
 戸田先生という師匠のもとで、いかなる嵐も勝ち越えた。"これ以上は、だれもできない"というほどの、ご奉公をさせていただいたつもりである。「本当の師弟の道」を生き、「真実の仏法の世界」をつくりあげてきた。
 一人の「青年」が立ち上がったのである。

 仏法の正邪を決する1年に
 一、建治2年(1276年)の正月の11日。大聖人は御手紙にしたためられた。
 「今年は殊に仏法の邪正たださるべき年か」(御書893ページ)と。
 今年は、特に、仏法の正義と邪悪が明確にされるべき1年であろう、との仰せである。
 1年また1年、正邪を明快に峻別する。そして、正義の勝利の証しを、堂々と、厳然と、打ち立てていくことだ。この「破邪顕正」「仏法勝負」の魂こそ、学会精神の真髄である。
 大聖人は「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(同762ページ)と仰せである。
 唱題に励み、広布を進め、さらに、人々を不幸に陥れる悪を責めてこそ、自分自身の生命の悪を滅することができる。それが功徳である。悪と戦ってこそ、功徳が生じるのである。
 一、16・17世紀スペインの劇作家ローぺ・デ・ベーガは、ある戯曲のなかで、王に、こう語らせている。
 「余としては、仁慈(じんじ)を第一とすべきであるが、正邪をただすことも、また、なおざりにしては居らぬと知るがよい」「成敗の正しきを失わしめて、慈悲を行うは誤りである」(永田寛定訳「上なき判官これ天子」、『世界古典文庫36』所収、日本評論社
 正邪を決しゆけ!
 この明快なる文学者の叫びを、天高く「正義の旗」を掲げゆく、勇敢なる青年部の諸君に贈りたい。
    (下に続く)

新時代第25回本部幹部会 上〔完〕

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