2009年2月22日付 聖教新聞 随筆人間世紀の光 182 「青年・勝利」の回転軸-1

2009年2月22日付 聖教新聞
随筆人間世紀の光 182 「青年・勝利」の回転軸-1

広宣流布の原点! 我らの座談会運動
 心を結べ!「偉大なる 庶民の力は 大波と」

集い合おう! 語り合おう!
地域と社会に輝く 快活な勇気の対話

 この世をば
  偉大な友と
    久遠より
  楽しく語れや
   愉快に生きゆけ

 私の好きな音楽の大英雄ベートーベンに、「人生の幸福」という歌曲がある。
 そのなかで、高らかに友情が歌い上げられている。
 「分かちあう楽しみは
     二倍になり
  分かちあう悩みは、
     消え失せる」
 「力を呼び覚まし、
  勇気を励まし
  ただ善き行為に
  向かわすは、友情」
 不信と不安が渦巻く世にあって、共に信じ合える友情の語らいは、何という魂の宝の名曲であろうか!
    ◇
 この二月も、日本列島の津々浦々で、座談会という心と心の交響曲が、明るく楽しく有意義に奏でられている。
 とりわけ、今月は「青年・勝利座談会」だ。一段と生き生きと賑やかに、若き人材が躍動している。
 今や、「ザダンカイ」は世界の共通語となった。
 ルネサンスの天地イタリアでは、毎月、あの「永遠の都」ローマをはじめ、全国の四千三百カ所で座談会が行われている。
 若きオバマ新大統領の誕生に沸く全米の各地でも、2・27「アメリカ婦人部の日」を記念する地区座談会が花盛りだ。
 深刻な経済危機の今だからこそ、信心で立ち上がり、不況をはね返そうと、懇切な家庭訪問と対話の拡大で、快活に勇気と希望の声を響かせている。
 南米のペルー共和国では、富士山よりも高い場所にある湖・チチカカ湖の畔など、標高三千八百メートルに及ぶ高地でも、我らの座談会は意気天を衝く勢いである。
 最近は、ペルー未来部の伸びゆく友たちが、日本の小学生文化新聞に連載されている「ライオンキング(獅子王)御書」の翻訳を学んで、座談会で立派な研究発表を行い、皆が喜んでいると伺った。
    ◇
 昨年の七月、聖教新聞に、千葉県袖ヶ浦市の長浦支部若草地区の笑顔はじける座談会の写真が掲載された。
 私は妻と共に、出席された方々のご多幸を祈りつつ、手にした聖教新聞に赤ペンで綴った。
 「座談会は
   広宣流布
     列車なり」
 そして、代表として地区部長のお名前を書き添えて、贈らせていただいた。
 尊き地区部長、健気な地区婦人部長、またブロック長、白ゆり長等の皆様方こそ、多くの友を乗せて走る
 「希望列車」の偉大な推進力であられる。
     ◇
 実は、仏教の出発点それ自体が「座談会」であったといってよい。
 釈尊の「初転法輪」(初めての説法)──それは、大きな集会などではなかった。小さな座談会であった。
 五人の旧友と座を共にして、膝詰めで語り合うなかで、最初の弟子が生まれた。
 座談会によって「師弟の絆」が結ばれた、この瞬間こそが、記念すべき仏教の誕生なのである。
 「広宣流布」という人類を照らす精神革命の旭日は、座談会から昇った。
    ◇
 人類の教師ソクラテスが少人数の対話を自在に繰り広げたことも、有名である。
 ある時は、老いも若きも集い、「どのように育てれば青年が立派な人間に成長するか」などのテーマをめぐる座談となった。
 体験あり、主張あり、質問ありの生き生きとした対話が続いた。そのなかで、「善とは何か。悪とは何か」について知ることの大切さを確認し合っていった。そして青年の成長を応援しながら、皆が共に学び成長していこうと、語らいは結ばれるのだ。
 ソクラテスは、皆に呼びかけた。
 「人ができるだけすぐれた人間になろうとしているときに、加勢しようとしないのであれば、それこそ恐ろしいことでしょう」「われわれ自身とこの若者たちとの面倒を、いっしょにみることにしましょう」
 このソクラテスの言葉を受けて、一人の年配者が決意を語った。
 「いちばん年をとっているだけ、またいちばん熱心に、この若者たちといっしょに学びたいと思います」
 若き人材をもり立てながら、皆が「青年の心」「向学の心」「求道の心」で、正義を掲げゆく座談こそ、人類の希望を開く広場だ。
 すなわち「青年・勝利」の座談会である。
    ◇
 かのレオナルド・ダ・ピンチが残した寓話がある。
 ──うぬぼれて、心驕った杉の木が、周りの草木を軽蔑して、みんなをその場から立ちのかせてしまった。すると、何も遮るものがなくなり、風は、その杉を根こそぎにし、地面に叩きつけた──と。
 傲慢な人間は滅びる。
 孤立した人間は倒れる。
 良き友との連帯が、いかに大切であるか。
 力は結合から生まれる。創造には、人との切磋琢磨が不可欠だ。
 日蓮大聖人は──
 「このような濁世には、たがいに常に語り合って、ひまなく後世を願うようにしなさい」(通解、御書九六五ページ)と仰せられた。
 その通りの実践が、毎月の座談会のリズムである。
 釈尊がそうであられたように、大聖人御自身が、広宣流布のための座談を重ねておられたことが、御書から種々に拝察される。
 文永六年(一二六九年)の六月には、在家の弟子の富木常忍への御手紙に、こう記されている。
 「『大師講』の会場は、今月は明性房の所の予定でしたが、差し障りがあり、他に可能な方がいれば、そちらでお願い申し上げたい、とのことです。
 あなた(富木常忍)のご都合はいかがでしょうか。もし、あなたに差し障りがあれば、他の人にお願いします」(通解、同九四九ページ)
 「大師講」とは、法華弘通の天台大師の命日に行われる法座である。
 それは、蒙古の襲来など、激動を深める時代にこそ、活発に行われていった。形式や儀式ではない。広宣流布を目的として」社会に、時代に、開かれた正法の宣揚の集いであったからだ。
 その会場は、閉ざされた権威の伽藍などではない。折々に、在家の弟子の自宅などで行われていたのだ。
 そして、その会場等を確保し、決定するために、大聖人が御自ら心を砕かれていた。一人一人の状況をこまやかに思いやられながら、一つ一つ連携を密に、丁寧に手を打たれていたことが、御文から拝されてならない。

 会場提供者に感謝

 今、創価の友が、座談会に先立って地区協議会を行い、真剣に準備をしている姿は、この大聖人の御心に、まっすぐに連なっている。ゆえに、功徳も絶大なのだ。諸天も加護する。
 特に、会場を提供してくださるご家庭は、何よりも大聖人から「善哉。善哉」と誉め讃えられ、無量無辺の大福運が積まれることは、絶対に間違いない。
 座談会は、法華経霊鷲山会にも通ずる尊き会座である。その会場のお宅に、最大の感謝を忘れてはならない。礼儀正しく、近隣にも気を配り、心して綺麗に使わせていただくことだ。

 仏勅の
  地涌の菩薩の
     集いける
  創価の城は
    永遠に栄えむ
    ◇
 現在、私は、アメリカ教育界を代表するデューイ協会のガリソン会長、ヒックマン前会長と、新たな対話を重ねている。
 今年は、デューイ博士の生誕百五十周年。創価教育の創始者牧口常三郎先生も、戸田城聖先生も深く尊敬されていた、この大教育者の思想と行動に、新たな光を当てる対談である。
 デューイ博士は九十歳の誕生日で、スピーチした。
 「民主主義は、対話から始まる」
 まことに至言である。
 「対話」を忘れたとき、人間であれ、宗教であれ、独善となり、偏狭となる。
 それでは、もはや、新たな活力は望めない。
 「対話」を閉ざした邪宗門の末路を見れば明らかだ。

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