2009年2月22日付 聖教新聞  随筆人間世紀の光 182 「青年・勝利」の回転軸-2

2009年2月22日付 聖教新聞
随筆人間世紀の光 182 「青年・勝利」の回転軸-2

 あの狂った軍国主義の嵐が吹き荒れる時代にあっても、牧口先生は勇敢に座談会に徹し抜かれた。
 「人生に関する問題は、対話でなくては通じない。『立正安国論』も、問答の形式ではないか」とは、牧口先生の信念であった。
 戦時中、蒲田支部の座談会に出席された牧口先生は、厳然と言われた。
 「大善人になるには、強くならねばならぬ。女性も強くなるのだ。強くなることが、成仏の道である」
 私の妻は、幼き日、この牧口先生の手を引いて、蒲田の自宅での座談会にご案内した。
 特高警察の監視の目が、陰険に光る時代であった。
 創価の師子王の手から、一人の少女の手に伝わった勇気と誇りは、百九十二カ国・地域の広布の華のスクラムヘ受け継がれている。
 世界の知性から絶讃される、我らの座談会運動の最優秀の「対話博士」は、なんといっても、婦人部の皆様方なのである。
    ◇
 偉大なる
  庶民の力は
   大波と
  権威の丘をも
    笑顔の嵐で

 戸田先生は、ある質問会の折に語られた。
 「座談会に三人、五人と集まって、語り合うなかから、今日の創価学会は、できあがってきたのですよ。
 真面目に、真実を語る。そして心にあるものを訴えていく。
 そして相手も理解し、こちらも理解させて、満足して帰ってきたのが、我々の創価学会め発祥の原理である。
 これが、広宣流布の原動力なんです」
 師が示された、この原理を、不二の弟子である私は寸分違わずに実践し、証明してきた。
 戸田先生の事業を一人、支えて、悪戦苦闘していた昭和二十五年も、毎週のように座談会を行った。
 自分のアパートの青葉荘の小さな一室でも、幾たびとなく座談会を開いた。
 昭和二十六年の七月、男子部が結成された直後には、東北・仙台に走って、座談会から、人材城を築き上げていった。
 あの蒲田支部の「二月闘争」も、座談会が発火点となり、起爆力となった。
 文京でも、札幌でも、大阪でも、山口でも、荒川でも、葛飾でも、勝利また勝利の回転軸は、座談会であった。
 座談会の勝利が、広布の勝利を開いたのである。
 第三代会長に就任してからも、自ら率先して座談会に出て、広布の歓喜と決意の渦を巻き起こしてきた。
 リーダーは勇んで座談会へ走れ! 最前線で勇気の波動を起こせ!
 これが、学会の誉れある伝統である。
     ◇
 幸福の
  共和の国は
   此処なりと
  花の香の
    王国 築けや

 戸田先生は、よく言われた。
 「あなた方も幹部になった以上は、もう肚をきめて、本当の仏道修行を座談会でしてください。
 そして本当に苦労して、本当に磨き上げた指導者に一人一人がなっていただきたい。お誉めくださるのは大聖人であり、御本尊であられる」
 座談会こそ、自分自身を最高に鍛え上げてくれる、生命錬磨の道場である。
 座談会で、人間指導者の実力を磨き抜いた人には、誰も敵わない。
 座談会の歴史こそ、わが人生の「今生人界の思出」、となって、三世永遠に光り輝くのだ。
 私の胸の奥深くにも、座談会で出会いを結んだ、すべての方々が思い出深く刻まれて、離れることはない。

 広布の"七人の侍"

 昭和三十一年、ある大田区の座談会に伺うと、開会の前から、既に会場には七人の壮年部の方々が来られていた。控えめに後ろにおられる、その方々を、私は「こちらにどうぞ」と、前にお招きして申し上げた。
 「題目は七文字です。
 皆さん方は、広宣流布の『七人の侍』となってください。どうか、中心者を盛り上げて、立派な組織に発展させていってください」
 あの地にも、この地にも、「三烈士」がいる。「四天王」がいる。「十勇士」がいる。この尊き庶民の英雄たちこそが、異体同心で地域の広宣流布を開拓してこられたのだ。
 私の妻も、女子部時代から座談会に奔走してきた。
 銀行の仕事が終わってから、蒲田支部の地区があった千葉県の船橋市などにも足繁く通った。その地に、昨年の師走、立派な広布の講堂が完成したことを、それはそれは喜んでいた。
 なお、ある遠くの座談会に行った帰り道では、何匹もの野犬に追われて、本当に怖い思いをしたようだ。
 ともかく、世相は乱れている。女子部、婦人部の皆様方は、決して帰宅が遅くならないように! 細心の注意を払い、絶対無事故であれ! 健康第一であれ!
 妻と私は、真剣に題目を送り続けている。
     ◇
 我らの座談会は時代の最先端だ。
 アメリカの高名な仏教研究者ストランド氏も論じてくださった。
 「座談会に慣れ親しんでいる学会員は、それが一般社会でどれほど凄いことなのか、よくわかっていないのではないか、と感じることがある」
 「座談会には、宗教に応えるための人生ではなく、人生に応えられる宗教がある」
 昨年、アメリカの「ニューズ・ウィーク」誌に、私のよく知る青年医学者が携わった貴重な研究が紹介された。
 それは、約千組の双子を対象に行われた分析である。同じ環境で育った双子でも、成長してから、地域に根づき、友人や近隣の人びとと深い交流を持った人の方が、より健康な状態にいることがわかったという。
 つまり、遺伝子の特性や、子ども時代の環境にかかわらず、人は地域へのより積極的な関わりを通して、精神的にも身体的にも、健康を向上させていけることが、科学的に証明されたのだ。
 座談会運動は、「健康の拡大」であり、「幸福の拡大」であり、「希望の拡大」なのである。
    ◇
 世界広宣流布も、私たちは座談会で開いてきた。
 一九六〇年の十月、最初の北南米訪問の折には──ハワイでも、サンフランシスコでも、シアトルでも、シカゴでも、ニューヨークでも、ワシントンでも、ロサンゼルスでも、またカナダでも、さらにブラジルでも、行く先々、座談会と懇談、対話の連続闘争であった。
 「一方通行」の冷たい説法など一度もない。全部、対話であり、懇談であり、質問会であり、総じて座談会であった。
 「人が集まる」ところに、力が生まれる。
 座談会に意気軒昂に集まり、意気軒昂に散っていく。これが、連続勝利のリズムだ。
 何の歓喜も決意もない、何の希望も満足もない、坊主が威張り散らすだけの愚劣な遊戯雑談など、学会の座談会には無縁である。
 座談会で、皆に「何を伝えるか」「いかに感動を贈るか」、そして共々に「いかに深く決意を固めるか」──中心者の祈りと誠実と工夫が勝負である。
    ◇
 座談会は、心広々と未来を開く世界市民の平和と友情の花園だ。
 つい先日も、アフリカの同志たちから、「以前、日本の交流座談会の折、少年少女の素晴らしい合唱などで大歓迎してくれた、第二総東京・小金井の友に呉々もよろしくお伝えください」との熱いメッセージが届けられた。
 座談会を要に、地域に世界に、黄金の心の連帯は幾重にも深く結ばれている。
    ◇
 戸田先生は戦後、再建の最初の座談会で、法華経の「在在諸仏士常与師倶生」の文を踏まえて語られた。「師弟は、必ず共に生まれる。牧口先生と私は、牢獄まで師弟であった。来世も共である。
 我々は、永遠に共に戦い勝つのだ!」
 さあ、共々に──
 広宣流布の座談会を!
 幸福和楽の座談会を!
 行学錬磨の座談会を!
 異体同心の座談会を!
 破邪顕正の座談会を!
 青年拡大の座誹会を!
 地域交流の座談会を!
 そして──
 師弟勝利の座談会を、朗らかに飾りゆこうではないか!

(随時、掲載いたします)

 ベートーベンの歌曲は「人生の幸福」(『ベートーヴェン全集6 別冊』所収)前田昭雄訳(講談社)。ソクラテスの言葉はプラトン著「ラケス」(『プラトン全集7』所収)生島幹三択(岩波書店)。ダ・ピンチは足立重訳『レオナルド・ダ・ヴインチの手帖 文学・思想篇』(六興商会出版部)。

随筆人間世紀の光 182 「青年・勝利」の回転軸〔完〕



ブログ はればれさんからのコピーです。