◇ 随筆 人間世紀の光 No189 創価の母に万歳を! ㊥2009-6-12
ブラジルは長い間、軍事政権下にあり、しかも学会への誤解から、私の入国のビザが下りず、やむなく訪泊の予定を断念したこともあった。
そのなかで、シルビアさんは決意する。〃いつの日か、必ず先生にブラジルに来ていただこう。そして、国をあげて、学会を讃え信頼する時代をつくろう!〃
真剣な決意は、必ず真剣な行動を生む。
彼女は、それを「強盛な祈り」から開始した。題目の渦を起こした。そのシルビアさんと心を合わせて、多くの婦人たちが、決然と唱題に挑み始めた。
そして、学会の正義を、仏法の真実を、師弟の道に生きる誇りを、社会で語り抜いていったのである。
婦人部のメンバーの多くは、家計も苦しく、子育てや病気など、さまざまな悩みを抱えていた。しかし、師弟不二でブラジル広布を願う、母の祈りと行動は、微動だにしなかった。
大聖人は仰せである。
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(御書一三六○ページ)
広宣流布を願い、題目を唱えることができるのは、地涌の菩薩であるからだ。
広布のために戦い、唱題する時に、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が、歓喜と希望と勇気の、充実感に満ち満ちた大生命が脈打つ。
そこに「境涯革命」があるのである。
その清らかで強い生命のによって、自身の悩みを突き抜け、乗り越えていくことができるのである。
婦人部「実践の五指針」に掲げた通り、「祈りからすべては始まる」のだ。
ゆえに、広宣流布の一つ一つの活動に、自身の悩みや宿命の転換をかけて、真剣に祈り抜き、戦い抜いていくことである。
自身の抱える悩みの克服が「自転」ならば、広布の前進は「公転」である。
また、個人の幸福は「自転」であり、社会の繁栄は「公転」である。
「自転」即「公転」であり、それらが共に成就するのが、仏法なのである。
大聖人は「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき」(同四九七ページ)と断言されている。
私たちの活動は、法のため、社会のためであると同時に、それはすべて、自己自身の崩れぬ幸福のためであることを、ここにあらためて確認しておきたい。
ともあれ、こうした婦人たちの、健気な祈りと行動が、ブラジル社会の賞讃を勝ち取っていく源泉となったのである。
常勝の歌や轟け!
三十年前のあの昭和五十四年ー私が第三代会長を辞任したあと、柱なき学会の破壊を狙う三類の強敵の烈風は、いやまして激しく吹き荒れていた。
そんな時、私の「正義」の師子吼に、雄々しき「共戦」の歌声をもって続いてくれたのが、わが大関西の同志であった。
それは〃師弟の月〃七月の十五日のことである。この日、大阪の関西戸田記念講堂で、盛大に第一回「関西記念合唱祭」の幕が開かれたのだ。
当時は、反逆の輩と陰険な宗門の圧力により、私が自由に動けず、会合で指導もできず、ほとんど表舞台から姿を消した暗い暗い時代であった。
しかし、わが関西の不二の同志は、嵐に挑み立つように決意した。〃池田先生は、学会歌のなかにいらっしゃるやないか!〃
学会精神とは折伏精神である。草創以来、その広宣流布の息吹が脈打つ歌声のなかに、師弟はあった。
前年(昭和五十三年)、私は同志のために、「広布に走れ」「青春桜」などの各部の歌、さらに関西の歌「常勝の空」などの各地域の歌を、新たに三十曲にわたって作り抜いた。
その学会歌、なかんずく「山本伸一作詞ーつまり私が作成した歌を歌うことに、誰にも文句は言わせないと、同志は立った。
その曰、大関西の共戦の友は、これでもか、また、これでもかと、〃師弟の大音声〃を轟かせ、弟子の誓いを新たにしたのだ。
大関西で生まれた「威風堂々の歌」があった。関西婦人部が熱唱した、美しき「母の曲」もあった。
この日、友が歌った歌は実に四十九曲l中でも、誕生から一周年を迎えた「常勝の空」で幕を開け、一切の暗雲を打ち払って、「常勝の空」で棹尾を飾った弟子たちの叫びー。
今再びの 陣列に 君と我とは 久遠より 誓いの友と 春の曲 愛する関西 勇み立て
この大関西の歓喜の歌声のなかへ、私の心を抱いた名代として馳せ参じてくれたのが、私の妻であった。
その後の数日間、妻は、「大阪の戦い」を私と共に戦ってくれた〃常勝の母たち〃をはじめ、関西婦人部の皆様と語り合った。家庭指導にも歩いた。
「私たちは負けません」
ー関西婦人部の目は生き生きと光っていた。報恩の誓いに燃えていた。
妻から逐一報告を聞き、私は確信した。
関西は健在なり、関西の母たちは意気軒昂なり!
関西には師弟がある!
絶対に大丈夫だ!
関西の久遠の友よ、今こそ勇み立とう!
関西から、東京を揺り動かすが如く、反転攻勢を起こそうではないか!
あれから三十星霜ー。
関西に燃え上がった「創価の魂」の火は、東京へ、曰本中へ、そして世界に燃え広がった。師弟の魂が、一切の障魔の嵐を打ち破ったのである。
常勝の「関西魂」は創価学会の永遠の宝である。
それは、いかなる劣勢もはね返す、不撓不屈の負けじ魂だ。以信代慧の肉弾となって壁を破る、雄々しき民衆の突破力だ。いかなる苦難も歓喜に変える、ダイナミックな変革の力だ。
尊き〃常勝の母たち〃が厳然としている限り、創価の民衆城は盤石である。
日蓮大聖人は、池上兄弟が迫害を受けて苦闘している渦中に、東京婦人部の先輩ともいうべき夫人たちを励まして言われた。
「一同して夫の心をいさ(諌)めば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし」(同一○八八ページ)
夫や家庭の試練にも、また社会の苦難にも、女性が毅然として、「変毒為薬」の信心で立ち上がれば、不幸に屈服することは断じてない。
満々たる勇気で立て!
そこに絶対的幸福の人生の大道蓬を、悠然と切り開いていけるのだ。
女性音楽家クララ.シューマンは綴った。
「人生では辛く苦しく思われることが、幸福へつづく道であることがよくあるものです」
「多くのものが絶えざる苦闘によってのみ、かち得る」
そのなかで、シルビアさんは決意する。〃いつの日か、必ず先生にブラジルに来ていただこう。そして、国をあげて、学会を讃え信頼する時代をつくろう!〃
真剣な決意は、必ず真剣な行動を生む。
彼女は、それを「強盛な祈り」から開始した。題目の渦を起こした。そのシルビアさんと心を合わせて、多くの婦人たちが、決然と唱題に挑み始めた。
そして、学会の正義を、仏法の真実を、師弟の道に生きる誇りを、社会で語り抜いていったのである。
婦人部のメンバーの多くは、家計も苦しく、子育てや病気など、さまざまな悩みを抱えていた。しかし、師弟不二でブラジル広布を願う、母の祈りと行動は、微動だにしなかった。
大聖人は仰せである。
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(御書一三六○ページ)
広宣流布を願い、題目を唱えることができるのは、地涌の菩薩であるからだ。
広布のために戦い、唱題する時に、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が、歓喜と希望と勇気の、充実感に満ち満ちた大生命が脈打つ。
そこに「境涯革命」があるのである。
その清らかで強い生命のによって、自身の悩みを突き抜け、乗り越えていくことができるのである。
婦人部「実践の五指針」に掲げた通り、「祈りからすべては始まる」のだ。
ゆえに、広宣流布の一つ一つの活動に、自身の悩みや宿命の転換をかけて、真剣に祈り抜き、戦い抜いていくことである。
自身の抱える悩みの克服が「自転」ならば、広布の前進は「公転」である。
また、個人の幸福は「自転」であり、社会の繁栄は「公転」である。
「自転」即「公転」であり、それらが共に成就するのが、仏法なのである。
大聖人は「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪やあるべき来らぬ福や有るべき」(同四九七ページ)と断言されている。
私たちの活動は、法のため、社会のためであると同時に、それはすべて、自己自身の崩れぬ幸福のためであることを、ここにあらためて確認しておきたい。
ともあれ、こうした婦人たちの、健気な祈りと行動が、ブラジル社会の賞讃を勝ち取っていく源泉となったのである。
常勝の歌や轟け!
三十年前のあの昭和五十四年ー私が第三代会長を辞任したあと、柱なき学会の破壊を狙う三類の強敵の烈風は、いやまして激しく吹き荒れていた。
そんな時、私の「正義」の師子吼に、雄々しき「共戦」の歌声をもって続いてくれたのが、わが大関西の同志であった。
それは〃師弟の月〃七月の十五日のことである。この日、大阪の関西戸田記念講堂で、盛大に第一回「関西記念合唱祭」の幕が開かれたのだ。
当時は、反逆の輩と陰険な宗門の圧力により、私が自由に動けず、会合で指導もできず、ほとんど表舞台から姿を消した暗い暗い時代であった。
しかし、わが関西の不二の同志は、嵐に挑み立つように決意した。〃池田先生は、学会歌のなかにいらっしゃるやないか!〃
学会精神とは折伏精神である。草創以来、その広宣流布の息吹が脈打つ歌声のなかに、師弟はあった。
前年(昭和五十三年)、私は同志のために、「広布に走れ」「青春桜」などの各部の歌、さらに関西の歌「常勝の空」などの各地域の歌を、新たに三十曲にわたって作り抜いた。
その学会歌、なかんずく「山本伸一作詞ーつまり私が作成した歌を歌うことに、誰にも文句は言わせないと、同志は立った。
その曰、大関西の共戦の友は、これでもか、また、これでもかと、〃師弟の大音声〃を轟かせ、弟子の誓いを新たにしたのだ。
大関西で生まれた「威風堂々の歌」があった。関西婦人部が熱唱した、美しき「母の曲」もあった。
この日、友が歌った歌は実に四十九曲l中でも、誕生から一周年を迎えた「常勝の空」で幕を開け、一切の暗雲を打ち払って、「常勝の空」で棹尾を飾った弟子たちの叫びー。
今再びの 陣列に 君と我とは 久遠より 誓いの友と 春の曲 愛する関西 勇み立て
この大関西の歓喜の歌声のなかへ、私の心を抱いた名代として馳せ参じてくれたのが、私の妻であった。
その後の数日間、妻は、「大阪の戦い」を私と共に戦ってくれた〃常勝の母たち〃をはじめ、関西婦人部の皆様と語り合った。家庭指導にも歩いた。
「私たちは負けません」
ー関西婦人部の目は生き生きと光っていた。報恩の誓いに燃えていた。
妻から逐一報告を聞き、私は確信した。
関西は健在なり、関西の母たちは意気軒昂なり!
関西には師弟がある!
絶対に大丈夫だ!
関西の久遠の友よ、今こそ勇み立とう!
関西から、東京を揺り動かすが如く、反転攻勢を起こそうではないか!
あれから三十星霜ー。
関西に燃え上がった「創価の魂」の火は、東京へ、曰本中へ、そして世界に燃え広がった。師弟の魂が、一切の障魔の嵐を打ち破ったのである。
常勝の「関西魂」は創価学会の永遠の宝である。
それは、いかなる劣勢もはね返す、不撓不屈の負けじ魂だ。以信代慧の肉弾となって壁を破る、雄々しき民衆の突破力だ。いかなる苦難も歓喜に変える、ダイナミックな変革の力だ。
尊き〃常勝の母たち〃が厳然としている限り、創価の民衆城は盤石である。
日蓮大聖人は、池上兄弟が迫害を受けて苦闘している渦中に、東京婦人部の先輩ともいうべき夫人たちを励まして言われた。
「一同して夫の心をいさ(諌)めば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし」(同一○八八ページ)
夫や家庭の試練にも、また社会の苦難にも、女性が毅然として、「変毒為薬」の信心で立ち上がれば、不幸に屈服することは断じてない。
満々たる勇気で立て!
そこに絶対的幸福の人生の大道蓬を、悠然と切り開いていけるのだ。
女性音楽家クララ.シューマンは綴った。
「人生では辛く苦しく思われることが、幸福へつづく道であることがよくあるものです」
「多くのものが絶えざる苦闘によってのみ、かち得る」