【第16回】 題目の大音  2009-6-4 (2)

 師匠と心のギアを



なかんずく、広宣流布の師匠と心のギアを合わせ、師弟の魂に雄える祈りを貫くならば、わが生命の奥底から、仏の力が発光していくことは間違いありません。

昭和三十二年(一九五七年)七月三日、あの「大阪事件」で、私は権力により不当逮捕されました。戸田先生の怒りはすさまじかった。

「民衆の味方である創価学会をいじめ、弾圧する。これほど卑劣なことはない!」

戸田先生は、無実の罪で獄中に繋がれた私の解放を、ひたぶるに祈ってくださった。

「権力の魔性との戦いは、題目をあげなければ勝てないんだよ」と先生は言われました。

私の拘留中、大阪に懸けつけてくださった先生は、関西本部の会長室と三階の仏間を、幾度となく往復してくださったのです。

邪悪を弾かする先生の題目の大音声が、同志の心に正義の炎を燃え上がらせたのです。

私の生涯は、この恩師への報感の二字に尽きます。師の祈りに、死身弘法でお応えする以外に弟子の赤誠はありません。

若き日、私は日記に綴りました。青春闘争の結論です。

「第一にも、題目しかない。第二にも、第三にも、宿命打開は、題目しかない。実践。ー実行。ーl勇敢に、撓まず。観念論では一分の変革もなし得ない」



「十界」の社会に歓喜の旋風を



必ずや変毒為薬と今こそ題目をあげきって、どういう結果が出るか、実践し切ろう!解決してみよう!

だれが何と言おうが、私は私なりに御本尊にぶつかってみよう!

この決心で、十万遍、二十万遍、三十万遍、五十万遍と、題目をあげて、あげて、あげ抜きました。

先生のお体だ、先生のご家族、先生の会社、そして、先生の作られた学会、先生が育てられた同志……歩いていても、電車に乗っていても、いつもいつも心で題目を唱えながらの闘争でした。

祈りが、まだまだ足りない。

まだまだ弱い。まだまだ小さい。自らを叱咤しながらの勇猛精進だったのです。

戸田先生の弟子として、御本尊に願い切っていこう!働き切っていこう!同志のために勝ち切っていこう! この一念しかありませんでした。

そして、生活の上に、境涯の上に、厳然たる解決の証拠が出たのです。「御本尊はすごい!」という大確信を、若き命に刻んだのであります。

今、未曾有の大不況にあって、全国・全世界の同志が、地域社会の一大変革のために、真剣に題目を唱えながら、人生の現実と格闘されています。

崇高なる仏の大音声が、生命を揺さぶらないわけがない。必ずや変毒為薬し、その地その国を、宝土と変えていけることを確信し抜いてください。



諸天よ弟子を護れ



大聖人は仰せです。

「各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132ページ)

湿った木から火を出す思いで、乾ききった土から水を出す思いで、私は皆の無事を強盛に祈っているー。御自身が流刑の真っ只中にあった佐渡の地から、遠く鎌倉の門下たちの身を案じられています。

法華経よ、諸天善神よ、わが弟子を断じて護りたまえ!これが師匠の祈りです。師匠とは何とありがたいものか・私はこの御文を拝するたびに、感謝と不信の念がわいてきます。

私もまた、尊き同志の皆様方、そして全世界の民衆が、あらゆる辛苦を乗り越え、晴れ晴れと幸福・栄光の勝鬨を上げられるよう、ひたぶるに祈っています。

戸田先生は断言されました。

「題目で勝ちなさい。何があっても、あげきった題目の福運は厳然と残る。絶対に消えないのだ」

勝負は、我ら自身の一念です。行き詰まったならば、それは「前進している証しだ!」と胸を張って、何ものにも負けず、堂々と歩み抜きましよう。

創価の師弟の大音声ー唱題と対話の「大風」を、縦横自在に社会へ吹きわたらせようではありませんか!



颯爽と また決然と 指揮とれる 君が動けば 勝利の天地に