小説「新・人間革命」  7月25日命宝23

山本伸一は、戸田城聖の広島行きは、命にかかわりかねないと感じていた。

しかし、世界最初の原爆投下の地・広島に赴き、「原水爆禁止宣言」の精神と使命を、一人ひとりの魂に、深く打ち込まねばならないという、戸田の思いも、痛いほどわかっていた。

 師の心を、常に敏感に、的確に感じ取ってこそ、真の弟子である。

 伸一は、悩み、熟慮した末に、戸田が広島に出発する前日、学会本部を訪れた。

 応接室のソファに横たわっていた師の前で、弟子は正座し、懇願した。

 「先生、広島行きは、この際、中止なさってください。お願いいたします。どうか、しばらくの間、ご休養なさってください」

 彼は、必死であった。

 戸田は、静かに身を起こし、じっと伸一を見て、腹の底から絞り出すような声で言った。

 「......それは出来ぬ。行く、行かなければならんのだ」

 「ご無理をなさればお体にさわり、命にもかかわります。おやめください」

 しかし、戸田は、毅然として答えた。

 「そんなことができるものか。......そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ。伸一、それがまことの信心ではないか!」

 あの時の、戸田の烈々たる声は、今も伸一の耳朶に鮮やかに残っていた。

 死をも覚悟しての広島行きであったが、出発の朝、戸田は倒れた。やむなく、彼の訪問は中止となり、急遽、代理として理事長の小西武雄が、広島に向かったのである。

 戸田は、平和記念公園に立つ広島平和記念館(現在の広島平和記念資料館・東館)での決起大会に出席し、広島をはじめとする西日本の同志と共に、平和への新たな潮流を起こそうと、心に決めていたのだ。さぞかし悔しく、無念であったにちがいない。

 その戸田の心を思うと、平和への死力を尽くした戦いなしには、弟子として、広島の地は踏めぬというのが、伸一の心情であった。