随筆 人間世紀の光 No.205  友情の道 信頼の城㊦ 2009-9-21

共生・共栄は世界平和への第一歩



「人間は孤立すると、自己を見失う。すなわち人間は、広い人間関係のなかに、自らのより大きく、より真実な自己を見出すのである」

これは、インドの大詩人タゴールの言だ。

先日、八王子の創価大学のキャンパスに、この詩聖タゴールの像が設置された。21世紀を担う学徒に、「人間の中へ! 民衆の中へ!」と励ましを送ってくれている。

折しも、わが英知の学生部・女子学生部が新出発した。新部長は、男女共にアメリ創価大学出身の俊英だ。この人材の大河から、必ず新しき希望と勝利が開かれることだろう。おめでとう!

人間は、人間を離れて人間になれない。人間の中でこそ、より大きな自分となり、より大きな喜びを得るのだ。

その意味でも、近隣友好の心がけの三点目として申し上げたいことは、「励まし合い、助け合う麗しき連帯を!」である。

人間関係には、顔を合わせる関係、あいさつを交わす関る関係、あいさつを交わす関係等々、さまざまな次元がある。その中でも、互いに励まし合い、助け合いながら向上していく絆こそ、人間世界の華であろう。

御義口伝には、「鏡に向って礼拝を成す時 浮べる影 又我を礼拝するなり」(御書769㌻)と明かされている。

地域に尽くせば、地域の方々から守られる。

深い縁《えにし》があればこそ、近隣同士として巡り合った仲であることを銘記したい。

第2次世界大戦下にパリで暮らしたフランス文学者の椎名其二《そのじ》氏が、当時の思い出を書き残されていた。

フランスにとって敵国の日本人であるゆえに、戦争末期には、幾度も身の危険に遭遇した。だが、しばしば命がけで援助してくれたのは、フランス人の友人であり、隣人であったという。

困っている人に手を差し伸べずにはいられない

──それは、慈愛とも勇気ともいうことができようが、この仏文学者は「ボンテ」(善良さ)と呼んだ。そして、ボンテとは、「ほんとうに人間の心の底から出てくるものなのだ。彼等にあっては、それは『働きかける善良さ』であった」というのだ。

味わい深い言葉である。

「働きかける善良さ」とは、積極的に他者に関わる行動を伴った善意であろう。学会精神にも通じる。

ことに、多宝会、宝寿会、錦宝会をはじめ、尊き“学会の宝”である皆様が、勇んで友と関わり、“地域の宝”と輝いている。嬉しい限りだ。

創価の誇りを胸に、地元の消防団等で活躍される壮年・婦人部、青年部の友もいる。

「団地部」「地域部」「農漁村部」「離島部」の友を筆頭に、わが同志は、高齢化や過疎化等の各地域の課題にも率先して挑んでおられる。なくてはならぬ依怙依託の存在だ。

広宣流布のモデル地帯・沖縄では、入会していない方々から、友人葬の導師を依頼されるケースもある。

毎年、沖縄戦終結の日(6月23日)の慰霊祭では、自治会等の要請で、学会リーダーを中心に法華経の方便品・自我偈の読経唱題を行う地域もあると伺った。

健気なる沖縄の友は、根強い旧習の壁も超えて、それほどまでに絶大なる信頼を勝ち得てこられたのだ。

なお、秋の彼岸に当たり、亡くなられた功労者の方々、また全同志の先祖代々の諸精霊の追善回向を懇ろにさせていただいている。

日蓮大聖人は、若き南条時光に深く打ち込まれた。

それは、苦難の時にこそ強盛なる信心を勇猛に貫き通すことだ。そうすれば、亡き父も成仏できる。これこそ、最高の親孝行となり、そして一家も、生死を超えて護られるという方程式である。〈御書1512㌻参照〉

ともあれ、「祈り」「良識豊かな行動」「助け合いの精神」を心がけながら、近隣の方々と結んだ友好は、何ものにも替え難い宝となる。

特に各地の「兄弟会」の友どちは、長年、誠実一路の交流を重ねてこられた。それは、“創価のメロス”たちが打ち立てた、勝ち誇りゆく人間の信義の旗といってよい。

        

 わが国土   はたまた社会の  柱たれ  広布の闘将  ここにあるかと

本年春、武蔵野に三鷹平和会館がそびえ立った。

「学会の会館は、明るい、芸術の薫りがする」「まさしく『平和』という名にふさわしい建物です」──近隣に住む高名な芸術家の方が来館され、述懐しておられたそうだ。

会館は、地域に聞かれた“文化の城”であり、近隣との“友情の象徴”である。

生命の尊厳を掲げ、市民の方々を厳然と守る“平和と安穏の牙城”として、信頼されていることも、わが創価の会館の誉れである。

5年前(2004年)、わが信越の新潟は相次ぐ災害に見舞われた。7月に襲った豪雨、10月の新潟県中越地震……。

私と妻も、愛する新潟の同志の安穏と、一日も早い復興を祈りに祈った。

この時、災害の対策本部が置かれたのが、前年に完成した長岡平和講堂である。小千谷平和会館をはじめ、各地の会館も市民の避難所となった。

婦人部の皆様が作ったオニギリ等の支援物資は、なんという温もりであったことか。

阪神・淡路大震災の折、その奮闘に世界が涙した青年部のバイク隊やボランティア隊は、新潟でもフル回転した。

ドクター部や白樺会・白樺グループの救護の奉仕も崇高であった。

救援の指揮を執られた市の関係者の方々からも、「創価学会が一番最初に支援の手を差し伸べてくださった」との感謝の声が寄せられている。

長い被災の苦難を乗り越えて、わが中越の友は断固として勝った! わが新潟の同志は一切を変毒為薬して大勝利した!

        

 名誉ある   正義の勲章   大勲位  偉大な権威は   庶民の中にと



我らの会館といえば、こんな思い出もある。

19年前、人材拡大の城・東北の福島県にある白河文化会館を初訪問した。

車が前庭に入る時、会館に隣接する、企業の社屋に目を向けた。社員の方々であろう、多くの人が会社と会館を隔てるフェンス越しに、こちらの様子を見ておられた。

会館の玄関前では、地元・福島の幹部たちが待ってくれていたが、私は車から降りるやいなや、隣の会社の方々の所へ、あいさつに向かった。

「騒がしくしてしまって申し訳ありません」──深々と頭を下げると、みな驚かれながら、親しみの笑顔を浮かべられた。

私は私の立場で、「白河文化会館のことを、今後ともよろしくお願いします」との思いを伝えたかったのである。

日頃、私と同じ心で、真心から近隣を大切にしてくださっている宝の友がいる。

会館守る会、香城グループ、王城会、牙城会、創価宝城会の各種グループのメンバーや、会館長、副会館長、会館運営長、会館管理者の皆様方。

さらに会合運営に毅然と携わってくれる創価班、白蓮グループ、婦人部香城会の友……。こうした陰の友の労苦ありての地域広布である。



英国の詩人ポウプは叫んだ。「友人、両親、隣人をまず抱擁し、ついで祖国を、つづいて全人類を」

近隣の方々と共に生き、地域と共に栄える──共生・共栄こそ、世界平和への第一歩なのである。

昭和32年、あの大阪事件の直後、私は戸田先生から、東京・葛飾の総ブロック長(現在の総区長など)の任命をいただいた。

それまでのタテ線から、地域に根差した新体制の模範を、人情味豊かな下町で築き上げることを、師から託されたのだ。

私は、大きな会合よりも、座談会と家庭指導を中心として、新しい拡大の大波を起こしていった。

宿縁深き同志たちのことは、わが生命から永遠に離れることはない。

昭和52年の4月、待望久しかった葛飾文化会館の誕生の折も、私は駆けつけた。そして語り合った。

「1人が、10人の本当の友人をつくっていこう! そこに実質的な広宣流布がある」

この誓いのままに、葛飾の友は、麗しき人間共和のスクラムを朗らかに粘り強く広げてくれている。

ロシアの大文豪トルストイが胸に刻んでいた、米国の哲人エマソン箴言がある。

「その日その日が一年のうちでも一番良い日だということを、深く肝に銘ずるがよい」

さあ、創価の友よ!

新たな広宣流布の前進へ、立ち上がって、打って出よう! 沈黙していないで、語りかけよう!

一日一日、友情と対話のドラマを綴るのだ!

そして共々に、使命の天地に“幸福拡大の本国土”を築きゆこうではないか!



 今日もまた   自身の心を  開きゆけ そこに新たな 不滅の軌道が



タゴールの言葉は『人間の宗教』森本達雄訳(第三文明社)。椎名其二は蜷川讓『パリに死す評伝・椎名其二』 (藤原書店)。ポウプは『人間論』上田勤訳(岩波書店)=現代表記に改めた。エマソントルストイ『文読む月日』北御門二郎訳(筑摩書房)から。