【第31回】 妙法の陰徳陽報  2009-12-18

我らは願って広布に尽くす!

師弟一体の労苦こそ必勝の力



御聖訓

 「此れ程の不思議は候はず此れ偏に 陰徳あれば陽報ありとは此れなり」         (四条金吾殿御返事、1180㌻)



 陰徳の  労苦に励みし   皆様は  必ず幸《さち》の   陽報あるかな



 朝、手にする聖教新聞から伝わってくるのは、寒風を突いて配達してくださっている「無冠の友」の真心の温もりです。

 いつ、いずこにあっても、私と妻の一念から、広布のために陰で戦われる尊き同志への感謝が離れることはありません。

 個人会場のご家庭の方々、いつもありがとうございます。

 創価班、牙城会、王城会、白蓮グループ、香城会、白樺会・白樺グループ、会館守る会、創価宝城会、サテライトグループ、設営グループなど、青年部、壮年・婦人部の皆様のご尽力にも、心より感謝申し上げます。

また、各種会合の役員の方々には、この一年も本当にお世話になりました。

 さらに新聞長、教宣部、書籍長、文化長、統監部、民音推進委員等、広宣流布を大きく開拓してくださっている皆様方。そして儀典長、儀典委員の皆様、本当にご苦労様でございます。

 未来部育成部長、21世紀使命会をはじめ、大切な大切な人材を育む皆様方が、厳しい社会情勢のなか、どれほど奮闘してくださっていることか。

 私は、各地の誉れの一人一人に、直接お会いして、御礼をお伝えする思いで、今回の御文を拝してまいります。

 「此れ程の不思議は候はず此れ偏に陰徳あれば陽報ありとは此れなり」(御書1180㌻)──これほど不思議なことはない。まったく陰徳あれば陽報ありとは、このことである──

 これは、四条金吾に贈られた御聖訓です。金吾は、正しき信仰ゆえに、讒言をされ、主君である江間氏の不興をかい、所領を没収されかけるなど、長期にわたって苦境が続きました。

 しかし、ついには、主君の信頼を再び勝ち得て、以前より所領も加増された。坊主の謀略も、同僚の妬みもはね返し、威風堂々たる大勝利を飾りました。その弟子の実証を、日蓮大聖人は「陰徳あれば陽報あり」と喜ばれ、讃えてくださったのです。

 もともとは、中国の古典『淮南子《えなんじ》』に出てくる言葉です。

 「陰徳」とは、人の知らないところで積んだ徳をいいます。

 「陽報」は、目に見える具体的な結果を表しています。

 「陰徳」を積まずして「陽報」のみを追い求める。それは人生の正道ではない。

そこには、因果律を弁えない愚かさがあり、努力を怠り、苦労を避けようとする弱さがあるからです。私たちにとって「陰徳」とは、人が見ていようがいまいが、勇気ある信心を貫き、真剣に誠実に智慧と力の限りを尽くしていくことです。「陽報」は、自ずとついてくるのです。

 いつ現れるか。それは、わからない。けれども絶対に、陰徳は陽報となって現れる。これが、「冬は必ず春となる」という仏法の法理です。

 四条金吾の過酷な逆境の冬は、5年の長きに及びました。普通であれば、へこたれ、つぶれてしまったかもしれない。

 しかし金吾には、自らの「陰徳」の一切を、見守り導いてくださる大聖人がおられた。

 御書には一貫して、金吾の「心」「心ざし」「一念」が深く強く固まるよう激励されております。

 「此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持《たも》つなり」

 「心ざし人にすぐれて・をはする」

 「心の財第一なり」

 「心の財をつませ給うべし」

 「いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ」

 「されば能く能く心をきたはせ給うにや」

 仏法の陰徳は「心」で決まる。「心」で耐え抜く。「心」で開く。そして「心」で勝つのです。まさに「心こそ大切なれ」です。

 ただ、その心というものは、すぐ縁に紛動され、揺れ動いてしまう。だからこそ、師の言われる通り仏道修行に励み、師の心にわが心を合致させていく。この不二の結合から、金剛不壊の仏の力が生まれるのです。



前へ前へ永遠に前へ

 私は、戸田城聖先生が最も苦難に立たれた時、師子奮迅の力でお仕えし、お護りしました。それは死闘でありました。当時の日記にこう記しております。

 「毎日、地味な、誰人にも知られぬ仕事。これが大事だ。自分の振る舞いを、満天下に示すのは、時代が決定するものだ」

 「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」 師弟の労苦に、少しも無駄はありません。全部、不滅の宝となり、栄光となっていきます。

 大変であればあるほど、自分が率先して祈り動く。誰よりも苦労して、勝利を開いてみせる。その決定《けつじょう》した「不惜身命」の信力・行力に、偉大な仏力・法力が現れるのです。

 広布も人生も真剣勝負です。油断や逡巡、要領や狡さがあれば、戦いは勝てません。

 昭和31年の大阪の戦いの折、私は早朝から全身全霊の指揮を執りました。

 一人一人の友を誠心誠意、励まし、大阪中を隅から隅まで駆けずり回りました。そして深夜は、ただ一人、丑寅勤行を続けました。

 もともと「絶対に不可能」と言われた戦いです。しかし「戸田先生のために断じて勝たせてください」と、私は祈って祈って祈り抜きました。打てる手は、すべて打ち尽くしました。

 丑寅勤行のことも誰も気づかなかった。だが御本尊は御照覧です。その陰徳に無量無数の仏天も応えて「“まさか”が実現」の陽報が厳然と現れたのです。

 学会活動に徹し抜いた功徳は絶大です。その功徳は、足し算ではなくて、いわば掛け算のように溢れ出てくる。これが一念の力であり、妙法の法則であり、勝利の方程式です。

広布の責任を担い立つ行動は計り知れない威光勢力を広げます。



アメリカの良心カズンズ博士

「希望こそ私の秘密兵器」



祈りの宝刀で開け!

 古来、「陰徳陽報」とは、真面目に生きゆく人々の切実な願望であったといってよい。現実は複雑であり、健気な努力が報われない場合があまりにも多いからです。

まして、人々の生命が濁った時代は、むしろ正義の行動が反発される。陽報が現れない。ここに人間社会の宿命的な矛盾がある。

 これに対して、妙法を根底とした「陰徳」は必ず「陽報」となって輝きます。仏法には「内薫外護」の法理があるからです。これも、戦う四条金吾に示された深義であります。

 「仏法の中に内薫外護と申す大《おおい》なる大事ありて宗論《しゅうろん》にて候」(御書1170㌻)、「かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり」 (同1171㌻)。

 「内薫外護」とは、私たちの生命に内在する仏性が内から薫発し、外から自分を守り助ける働きとなることをいいます。

つまり「陰徳」によって自身の仏性を輝かせることで、必ず外護の働きを招き、「陽報」を現していくことができるのです。

 妙法の「陰徳陽報」とは、自らの内なる一念の力で、外界の状況も揺り動かして勝っていく「生命の法則」なのです。

 戸田先生は言われました。

 「妙法の功徳は目に見えないうちに大きくなってくる。胸に植えた仏の種は必ず大樹になる。いったん、そうなってしまえば、その時には“もう功徳はいらない”と言っても、どんどん出てくるんだ」

 私のもとには、この厳しい不況と戦いながら、崇高なる「陰徳」を積まれゆく同志の報告が次々と届きます。

 「必ず勝ちます!」「見ていてください!」。私は妻とともに懸命に題目を送り続ける日々です。断固として「陽報」を勝ち取ることを祈っています。

 私が対談した、アメリカのカズンズ博士は「希望こそ私の秘密兵器」と語られました。

 「陰徳陽報」の妙法は、究極の希望の力です。勝利の力です。

 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(同1143㌻)

 何があっても題目を唱え抜きながら、永遠に崩れざる幸福の大境涯を開き切っていく。祈りは「宝刀」です。これに優る陰徳はありません。これが、妙法の「陰徳陽報」です。

 大聖人は、絶え間なく金吾に励ましを贈り続けられた。これが仏の振る舞いであられる。

 トインビー博士は、北海道の青年教育者に言われました。

 「人々が『ありがとう』という言葉を、昨日よりもきょう、 一回でも多く交わすような人間社会の創造に努力してほしい」

 陰で苦労する人に、最敬礼して感謝と労いの声をかける。喜びが広がり、力は倍加する。ここに、創価の世界があります。

 さあ創立80周年へ! 共々に励まし合い、偉大な「陰徳陽報」の勝利の金字塔を、痛快に打ち立てようではありませんか!



 晴ればれと  この世 勝ち抜き   三世まで  我らの生命《いのち》は   不滅の功徳と