全国各部協議会での名誉会長のスピーチ ㊥ 2010-1-23

一、ここで戸田先生の指導を紹介したい。

私の心には、いつも先生がいる。

弱い立場の人、正直な人、苦しんでいる人には、優しく温かく、大慈悲をもって励ましてくださった。慈父のような先生であった。

強い立場の者、傲慢な者、闘魂を忘れた者、庶民を見下すような者には、師子が吼えるがごとく叱咤の声を発せられた。周りも震え上がるほどであった。

戦時中、師匠の牧口先生にお供して牢獄に捕らわれた戸田先生は、出獄後、獄死された牧口先生を偲ばれ、「あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」と感謝を捧げられた。

どれほど「崇高な師弟」であったか。

その方に、早朝から夜中まで365日、お仕えしたことは、私の

誉れである。



勝つために祈れ



一、戸田先生は、婦人部の友に指導された。

「あなたが信心に立ち上がれば、必ず、すべてが軌道に乗ります。信心が強ければ、周囲が、あなたの幸福の力となる。本当に不思議なものだ。

法華経には『魔及び魔民有りと雖も、皆な仏法を護らん』とさえある。

周りの人が信心をしていなくとも(広宣流布のために驚くほど働いてくれるのである。

ゆえに自分自身の信心を強くしなさい」

要するに、「自分」である。わが一念で決まる。

状況を嘆いたり、人のせいにしても、何も変わらない。

自分が変わることだ。自分自身の信心を強くすることだ。



ゲーテ「若きウエルテルの悩み」

自分を奮起させるのだ 本当に喜びは活動の中に



戸田先生「下種」にこそ「大功徳」が ありのままに真実を語れ



その人を、諸天・諸仏も護り支えるのである。

仏典に「必ず心の固きに仮って神の守り則ち強し」(御書1186ページ)と記されている通りだ。

さらに戸田先生は語っている。

「魔が強いからこそ、勝てるのだ。信心が毅然として、そのうえで、魔が強いということは、必ず勝てるという証拠なのである。要は自分自身の信心の決心にかかっている」

魔が競い起こったときこそ、もう一歩も二歩も、大きく成長していくチャンスなのである。

大聖人は、大事な破邪顕正の戦いに挑む弟子に言われた。

「但偏に思い切るべし(同1451ページ)と。

そして、「『釈迦・多宝・十方の仏よ!来り集まって、わが身に入りかわり、我を助け給え!』と祈念しなさい」(同ページ、通解)と。

大事なのは「勝つための祈り」だ。真剣勝負の強盛なる祈りだ。

今こそ一人一人が、わが生命に、仏菩薩も、梵天・帝釈も、「入其身(其の身に入る)」させるのだ。そして仏の力、仏の智慧を思う存分に発揮していくのだ。

「私は絶対にひるまない!」



一、戸田先生は言われた。

「相手が聞いても聞かなくても、ともに仏縁を結んでいることは、絶対に間違いない。この『下種』にこそ大功徳があるというのが、大聖人の絶対の保証なのである。我々は、最も正しい実践をしている。

ありのままに、真実を語っていけばよいのだ」

一人のために祈り、一人のために語る。

この「一人」から始まり、やがては千波、万波の幸福と共感の波動を広げていく。

それが広言流布の方程式である。

やろう! 頭を使い、口を使い、手を使い、足を使い、すべてをフル回転させよう。

皆、戦い勝つ指導者たれ!

ひとたび戦いを起こしたならば、断じて勝たねばならない。

真剣に活動してくれた同志が勝って喜び、「どうだ!」と胸を張れるようにしてあげるのが、幹部の責務である。

自分が戦って勝つ。

自分が動かずして、「人を使おう」「人を動かそう」という考えは卑怯だ。

自分が動いてこそ、周りも動いてくれる。

自分が動けば、周りは10倍、20倍の力を発揮してくれるものだ。

19・20世紀のポーランド出島の女性革命家ローザ・ルクセンブルクの言葉を贈りたい。

「なすべき闘い、なすべき仕事が、たくさんたくさんあることでしょう。けれども私は絶対にひるみません」(伊藤成彦訳『友への手紙』諭剣社)

我らにも、「なすべき闘い」がたくさん語る。

何があっても恐れなく、「師子王の心」を取り出して、勇気、勇気で前進しよう!(大拍手)   (㊦に続く)