【第1回】 御書と青年 師弟請願の祈り(㊦) 2010-1-25

御聖訓 願わくは我が弟子等 大願を起こせ
広宣流布へ 師弟の誓願に生き抜け
万人の「仏の生命」開く大闘争を!
 
隣のドミニカ共和国の尊き同志も救援に尽力してくれ、復興を目指して第1回の座談会が力強く行われます。
私たちは、誓願の祈りで、深く強く結ばれている。
創価学会は「我、地涌の菩薩なり」との自覚で立ち上がった仏勅の団体です。どれほど尊いか。この「地涌の菩薩の覚悟がなければ、三類の強敵をはね返して、悪世末法広宣流布を進めることはできません。
 
熊沢 この誓願の人生を教えてくださったのが、創価学会の牧口先生、戸田先生、そして池田先生の三代会長です。経典は自身の日記。
 
名誉会長  戸田先生は「広宣流布へ戦う私たちは、皆、虚空会の儀式に連なっていたんだよ」と言われました。要するに、折伏にせよ、広宣流布にせよ、「人から言われたから」やるのではない。私たちは皆、「自分で誓い願って」、地涌の菩薩として生まれてきた。そう深めて拝読すれば、御書の内容も何重にも深く生命に響きます。法華経も同じです。「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(御書563ページ)とある通りだ。御書を一切、自分の生命のことを説き明かした経典と拝しているから、学会は強いのです。負けないのです。
 
熊沢 地涌の菩薩は、厚い大地を打ち破って、歓喜涌躍して出現しました。私たちもまた、現実の悩みに負けずに、朗らかに、自分の使命に生き抜いていかねばならないと決意しています。
 
名誉会長 地涌の菩薩は、最も大変な時に、最も大変な場所に勇み立って出現する。みんなも、そうなんだよ。今、直面している困難は、信心の眼で見れば、自ら願った使命です。そう確信して前進することが、「誓願の祈り」の証しです。仕事のこと、経済苦、人間関係の悩み、病気の克服など、目下の課題に打ち勝つために、猛然と祈ることです。自分自身が、断固として勝利の実証を示していくことが、同じような苦しみに直面する友を励ます光となる。「宿命」を「使命」に変える。これが「願兼於業」の祈りです。勇気を奮い起こして、自他共の幸福を祈ることだ。そこに深い慈悲がある。自分だけでない。人の幸福を祈る中で、自分の悩みを悠々と見下ろせる境涯が開かれていくのです。自らの悩みを抱えながら、それに押しつぶされない。「難来るを以て安楽」(同750ページ)と、広宣流布のため真剣に祈り、勇敢に学会活動に打って出る。広布の祈りは、仏・菩薩の祈りです。大きな悩みを引き受け、大きく祈った分だけ、大きな境涯を開くことができる。気がついたら、小さな悩みは全部、包まれ、乗り越えられている。ここに「煩悩即菩提」の極理があります。
 
関西の母の祈り
 
佐藤 先生は、「一生成仏」という自転と「広宣流布」という公転の絶妙な関係を教えてくださいました。
 
名誉会長 自分の人生の課題を祈ることと、人々の幸福を願う広宣流布への祈りとは、一体です。共に前進の力です。自分の勝利が、広宣流布の実証になる。広宣流布を進める創価学会の大発展を強盛に祈っている人は、どんなことにも負けない自分・自身になる。王者のような境涯を必ず開けるのです。
 
熊沢 この誓願の祈りで、三代の会長と共に、学会を守り抜いてこられたのが、婦人部の先輩方です。
 
名誉全長 その通りです。私が無実の罪で逮捕された、あの大阪事件の時もそうでした。弁護士さえ「有罪を覚悟」と言う厳しい裁判であった。しかし、関西の母たちは「負けたらあかん」と一心不乱に祈り抜いてくれたのです。昭和37年(1962年)の1月25曰、裁判は正義の大勝利の判決で終わりました。今、この日は「関西婦人部の日」として光り輝いています。
 
熊沢 この常勝の母の祈りに、池田華陽会は続きます。
 
地涌の菩薩の誇りも高く
創価の青年は 苦難に打ち勝つ庶民の英雄
 
名誉会長 地涌の菩薩は、いかなる時も「其の心に畏るる所無し」である。常に「随喜の心」を発し、舞を舞うが如く戦う。師匠のためにと、一念に億劫の辛労を尽くして勇猛精進するのです。地涌の使命に目覚めることは、汝自身の生命の本源を知ることだ。なぜ生まれてきたのか。なぜ生きゆくのか。その究極の意義を知ることです。自分の永遠の使命に目覚める以上の歓喜はない。これほどの充実はない。これに勝る誇りはありません。大聖人は、流罪佐渡の地で、愛弟子と共に「喜悦はかりなし」(同1360ページ)と宣言されました。
地涌の生命を現すことは、人間の無窮の内発注を開花させることです。これは人類の意識を根底から変革し、至上の高みへ飛翔させ、結合させゆく平和の大偉業なのです。
 
「内発性を開発」
 
佐藤 米デラウェア大学のノートン博士が、池田先生の薫陶を受けた青年への期待を語っておられました。「人間の内発性を開発していくのが宗教と教育の本来の使命です。その証しを私は、喜々として未来への情熱をたぎらせゆく学会の青年部員の瞳の中に見ました」と。
 
名誉会長 大聖人の仏法の偉大さが、世界中で証明される時代に入っています。地涌の菩薩とは、外見は現実のなかで苦闘する菩薩です。しかし、内証は仏と同じ境地に立っている。同じように、外見は市井の平凡な一青年であっても、偉大な仏の智慧と慈悲と勇気を必ず現すことができる。この「地涌の底力」を出し切っていくのが、わが創価の青年です。これ以上の「庶民の英雄」「人間の王者は他にいません。だから君たちは、絶対に負けてはいけない。
 
一遍の題目にも 偉大な功徳が
 
熊沢 はい。昨年の6月に先生と奥様を、創価女子会館にお迎えできました。この折、一緒に唱題してくださり、「師弟不二の祈り」の大切さについて教えていただきました。
 
名誉会長 大聖人は「願くは我が弟子等大願ををこせ」(御書1561ページ)と、青年に呼びかけられました。「大願とは法華弘通なり」(同736ページ)とも仰せです。広宣流布誓願とは、そもそもが「師弟の誓願」です。
師弟の一念が合致して、祈り切っていくところに、計り知れない力が出る。
 
「祈り」は即「行動」だ。
 
ゆえに広布と人生の勝利のため、一つ一つ祈り、真剣勝負で行動していくのです。
 
佐藤 仕事が忙しくて、思うように題目をあげる時間がとれないといった悩みを抱えるメンバーもいます。
 
名誉会長 心配いらないよ。窮屈に考える必要は、まったくありません。一遍の題目にも、どれほどの力があるか。御書には、「一遍此の首題(題目)を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる」(498ページ)と説かれる。真剣に、心を込めて題目を一遍、唱えるだけでも、大功力がある。それほど、すごい妙法なのです。ただ、だからといって、ずる賢くサボろうという一念では、駄目だよ(笑い)。「心こそ大切なれ」です。
今は歯を食いしばって、人の何倍も苦労しながら、堂々と信心即生活、仏法即社会の実証を示していくのです。青年部は声高らかに題目を唱え、思う存分に走り回ることだ。そして、正義を叫んで、断じて勝ちなさい。
君たち創価の青牢の躍進勝利こそが、21世紀の人類の未来を開くからです。