大白蓮華 2011年 4月号 巻頭言

創価の勇気は無敵なり

創価学会名誉会長  池田 大作


     仏法は
      勝負なりせば
        勝ちまくれ
      勇気と祈りで
         歴史 残せや

「勇気こそは、人生と人間を救うことのできる唯一のものなのである」と、デンマークの大哲学者キルケゴールは言った。

 勇気なくして、人生は開けない。
 勇気なくして、人間は救えない。

 日蓮大聖人は、青年・南条時光のお母さんに仰せになられた。
 「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり」「法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ」(御書1504ページ)
 小さな自分の苦しみに囚(とら)われていると、心は狭(せま)い地獄界に閉ざされたままである。しかし、心の奥深くには、大海原よりも、大空よりも壮大な仏界の境涯が広がっている。その大いなる仏の生命を湧現して、現実社会に寂光土(じゃっこうど)を築きゆく力こそ、信心の勇気なのだ。

 師・戸田城聖先生は語られた。
 「仏の勇気は、一切の不幸をはね返す。悪鬼魔民(あっきまみん)さえも、仏法のために働かせる。自分から勇んで躍り出れば、いまだかつてない突破力が湧いてくるのだ」と。

  わが師が誓願された広宣流布の大目標を実現するため、私は常に激戦の主戦場へ飛び込んでいった。

 若き命に持てる武器は、ただ一つ——。勇気ある信心である。

 昭和31年、関西では、けなげな同志と、未聞の民衆城の大建設に挑んだ。
 不可能を可能にせんとする勇戦のうねりの中で、一人また一人と、わが友が苦悩の宿命を打開し、生き生きと幸福勝利の実証を示していくことが、何よりの喜びであった。
 釈尊の遺言の一つに、「父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し」(御書1253ページ)とある。

 仏の慈悲に、分け隔(へだ)てはない。しかし、悩める人、逆境と戦う人にこそ、格別に深く注がれる。

 どんな人も見放さない。決めつけない。切り捨てない。信じ抜き、手を差し伸べて、仏性を呼び起こす。これが仏法の人間主義だ。

  迷える心に勇気の一歩を踏み出させる力は、真心の励ましである。励ましが勇気を生む。ここに、創価の世界の限りなき勇気の連鎖(れんさ)がある。

  昭和35年の11月、長野支部の結成大会で、固い握手を交わした忘れ得ぬ地区婦人部長がいる。実に400世帯を超える弘教をされ、病気も経済苦も克服された。
 この信越の母は語っておられる。
 「すばらしい信心ができたのです。怯んでなどいられません。何があろうと仏法は勝負です。師と共に戦い、勝つために、私は生まれてきました。勇気があれば、10倍、100倍の力が出ます」
  母の勇気に敵うものはない。偉大な母たちの頭に、わが後継の青年部は勝利の宝冠を捧げてもらいたい。

  南米アルゼンチンの友も、「全員が壁を破ろう!」と深刻な不況を乗り越えながら、4年間で座談会の参加者は5倍に広がり、本年3月の青年平和文化祭を大成功で飾られた。

 恩師の言葉が蘇る。
 「勇気が慈悲に通ずる。勇気で人を救い、社会を救うのだ。偉大な闘争をやろうではないか!」

     師弟不二
       無敵の記別を
         いま 君に
       断固 勝ち披け
          常勝創価

大白蓮華 2011年4月号)