大白蓮華 2011年 11月号 巻頭言

大白蓮華  2011年 11月号 巻頭言

新しき地涌の宝友と朗らかに!


 わが人生
   広宣流布
     立ちにけり
   悔いなく 無上の
       三世の喜び

 「哲学は人を晴れやかにし、肉体がどんな状態にあっても人を強くし、かつ喜ばしく」するとは、古代ローマの哲人セネカの言である。

 偉大な哲学に生きることは、どんな財宝を持つよりも富める人生だ。

 なかんずく、「生老病死」という根源の苦を打開できる生命哲学が、「常楽我浄」の大仏法である。

 御義口伝には、「南無妙法蓮華経と唱え奉る即ち自在なり」(御書789ページ)と断言されている。

 妙法は大宇宙の根本の法則である。ゆえに、一度、受持したならば、苦悩の渦巻く娑婆世界にあろうと、何ものにも左右されぬ、自在の幸福境涯を心広々と開いていけるのだ。

 創立の父・牧口常三郎先生が妙法の信仰を始められたのは、昭和三年(1928年)、五十七歳であった。
 先生は晴れ晴れと語られている。
 「この信仰は、何か狭い世界に入るんじゃない。自在の福徳の世界に出るんだよ!」

 今、喜ばしいことに、新たな青年学会の拡大のうねりの中で、新入会の宝の友が続々と誕生している。

 諸法実相抄には、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(御書1360ページ)と示される。

 仏法の眼から見れば、勇んで広宣流布の陣列に連なる友が、どれほど深い宿縁と使命を帯びた方々であるか。皆、久遠からの誓願の同志だ。

 大聖人は「名字即の位より即身成仏す」(御書566ページ)と甚深の仰せである。「名字即(みょうじそく)」とは初めて妙法を信受した境地だ。その初信の息吹で法のために戦う人が、尊極の仏なのである。

 十九歳で入信した私も、当初は家族も反対で、戸惑うことも多かった。

 だが、戸田城聖先生は言われた。

 「信心は、年数ではない。役職でもない。勇気だよ。勇気ある信心が、自分を変え、現実を変え、未来を変えていくのだ」と。

 だからこそ、新入会の友を励ましながら、一緒に勇気ある信心を奮い起こし、折伏行に打って出るのだ。

 まず共に実践である。人のために、祈り、動き、語る。この菩薩行の中で、言い知れぬ充実と歓喜を味わい、確信をつかみとる。これが、人材を育てる学会の誉れの伝統である。

 昭和三十一年の秋、山口開拓闘争の折に入会した萩(はぎ)の母は、自らも直ちに布教を開始された。弘教は百世帯を超える。心がけてきたのは、折伏した人を励まし続けることだ。

 「新しい同志は自分の何倍も幸福になり、何十倍も立派な人材に育ってほしい。これが私の戦いです!」

 折伏した方のお子さんやお孫さんからも、「貴女のおかげで、わが家はこんなに幸せになりました」という感謝の声が尽きることはない。

 一人から一人へ――。この触発の限りない連鎖が、世界192カ国・地域の平和の大連帯となったのだ。

 懐かしい大科学者ポーリング博士の持論は、"大学で最大に力を入れて育成すべきは新入生"であった。

 いずこの世界でも、フレッシュマンこそ発展の原動力だ。一人の新入会の友を「一騎当千」の人材へ薫陶することは、千人の拡大にも等しい。

 新しき地涌の宝友と共に朗らかに、青年学会の拡大を加速しよう!

 大福運
   積みゆく広布の
  青春は
    来る日も 来る日も
       晴れの舞台と