大白蓮華 2011年12月号 巻頭言

大白蓮華 2011年12月号 巻頭言

題目は生命の凱歌なり



 負けるなよ
  断じて築けや
    幸福城
  広布の長者に
   福智は光れり

 人間の人間たる証(あかし)とは、何か。
 タイの思想家ワーターカーンは、「それは、人生の苦難と戦うことである。勇気を持って、試練に立ち向かうことである」と結論した。 打ち続くタイの大洪水に際しても、尊き層化の同志は、勇敢に救援の先頭に立って、会館を拠点として、地域社会に貢献を貫いておられる。

 大きな自然災害や経済不況が重なったこの一年も、我ら創価人間主義の連帯は、不屈の光を放ってきた。戦後の混乱期、私は最悪の苦境にあった恩師の事業を打開する為、題目を唱え抜いて奔走した。 それだけに今も、仕事や生活で奮闘する友の苦労は深く胸に迫ってならない。

 日蓮大聖人は、「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へ」(1132ページ) と仰せ下さった。全同士が厳然と守りに護られるよう、私と妻も強盛に祈り抜いている。どんな逆境にあろうとも、私たちには、妙法がある。題目が有る。

 御聖訓には、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し、いかなる病さはりをなすべきや」「日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(1124ページ) と断言なされている。ご本仏のお約束は絶対である。ゆえに何があっても、まず題目だ。題目は「我、妙法の当体なり」と仏の生命を呼び覚ます暁鐘である。

 ありとあらゆる生老病死の苦悩を圧倒する、最強無敵の師子吼なのだ。師・戸田城聖先生は言われた。「題目を苦しみに集中砲火して打ち破るのだ。真剣に祈り切ることが、遠いようで最も確実な早道なのだ」

 なかんずく、広宣流布に徹し抜く師弟の題目ほど、強いものは無い。
日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ」(1173ページ)とは、強敵と戦う四条金吾への仰せである。

 たとえ地獄であろうと、師弟の心が一体ならば、そこに太陽が昇る。悲哀は消え去り、寂光土に変わる。蓮祖に直結する創価の三代の師弟は、最も凶悪な権力の魔性にも屈しなかった。 妙法を唱え弘めゆく学会の闘士は、一切の障魔を断じて打ち降せることを示し切ってきたのだ。

 昭和五十五年(1980年)の一月、あの「さんふらわあ7」号で、四国から神奈川まで駆けつけてくれた正義の母は微笑んでおられた。 「嬉しい時も、辛いときも題目。題目をあげ抜いて勝つ。この一歩も退かない師弟の精神が命に染み込んでいるから、怖いものなどありません」 この九十歳になる母は、先日も、二十八歳の青年に弘教を実らせた。

誓願と云うは題目弘通の誓願なり」(846ページ)。
 今、日本中、世界中で、偉大な多宝の父母たちが、広宣流布の請願の題目を、生き生きと朗々と響かせてくれているのだ。

「学会員は、唱題の実践を通し、この世で積極的に生きることの重要性、他者への思いやり、自然との共生の理念を育んでいる」―私が対談を重ねた、宗教社会学の最高峰ウィルソン博士は述懐されていた。

「身の力・心のはかり事・先々には百千万ばいこへたり」さあ、題目の生命の凱歌を轟かせ、生まれ変わった息吹で進出発だ!

 勝ちまくれ
  また 勝ちまくれと
    祈りゆく
 同志の祈りは
   世界の果てまで