小説「新・人間革命」 共戦 61 2012年 1月26日

千日尼は、日蓮大聖人が佐渡流罪中に、夫の阿仏房と共に帰依したとされている。
その千日尼に対して、大聖人は、「亡くなった阿仏房の聖霊は、法華経の明鏡に照らして見るならば、霊鷲山にある多宝仏の宝塔の中で、東向きに座っておられると、日蓮は見ている」と述べられている。
山本伸一は、この御文を通して、確信をもって訴えていった。
霊鷲山とは、インドにある山の名前で、釈尊法華経を説いた場所です。その霊鷲山の多宝仏の宝塔とは、生命論のうえから結論して言うならば、御本尊のことであります。
妙法広布に活躍するわれら地涌の勇者は、死後は御本尊にいだかれ、未来世は、ずっと、東天に朝日が昇るように、生き生きと生命力豊かに、御本尊と共に生まれてくるのであります。
つまり、広宣流布という未曾有の聖業に、尊い生涯を捧げた人の生命は、この地球上に、または、この地球と同じような国土に生まれ、大歓喜のなか、広宣流布のために活躍していけることは間違いありません。
また、戸田先生は、『亡くなった人には、題目を唱えて祈念する以外に何も通じないのだ』と、よく言われていた。
妙法とは、この大宇宙において生命と生命をつなげていく、いわば電波のような働きといえます。
この意味からも、力強い題目を唱えることが肝要です。
生命力を満々とたたえた皆さんの題目によって、諸精霊が威光勢力を増し、それによって、追善した自身の威光勢力も、増していくのであります。
この生命の交流を先祖無数の方々につなげていくのが、われわれの追善法要の意味といえます。
本日の厳粛な儀式を、先覚の同志も、心から喜んでいるものと確信いたします。
私どもは、単に哀悼の感情にひたり、故人を回向するのではなく、強盛なる信心で、妙法の不可思議なる生命の力を確信し、故人と共に、三世にわたって、勇んで広宣流布の道を歩んでまいろうではありませんか」