小説「新・人間革命」 共戦 60 2012年 1月25日

五月二十二日──山本伸一の山口訪問の最終日である。彼は、この日の午後四時に、北九州へ向かうことになっていた。
この日の午後、山口文化会館で、「山口広布功労者追善法要」が行われた。
伸一は、導師を務め、広宣流布の開拓者の方々に、懇ろに追善回向の題目を送った。
席上、故人の代表に「名誉副理事長」などの名誉称号が贈られ、伸一のあいさつとなった。
「本日、追善申し上げた功労者の方々は、日蓮大聖人の仰せ通りに、仏法にすべてを捧げ、広宣流布の礎となられた、立派な地涌の菩薩であり、まことに尊い仏であります。
ご遺族の方々は、この名誉ある道を歩んだ先覚者の遺志を、必ず継承していってください。
その意味から、ご自分を、単なる『遺族』と考えるのではなく、南無妙法蓮華経という宇宙根源の法を持った、広宣流布の『後継者』であると、強く自覚していっていただきたいのであります。
また、ただ今、故人に対して名誉称号を贈らせていただきましたが、これは、世間によく見られるような権威の象徴ではありません。
御本仏・日蓮大聖人の御聖訓のままに信・行・学を貫いた、仏法上の厳然たる証拠としての称号であります。
したがって、これを軽視することは、妙法広布に生きた、故人の尊い足跡をないがしろにすることに通じます。
ご遺族は、この称号を、最高の誉れとし、後継者として信仰の大道を歩み、故人の遺徳を証明していってください。それがまた、一家、一族に大きな功徳の花を咲かせることは間違いありません」
ここで伸一は、「広宣流布に戦い、殉じた人は、いったい、どうなっていくか。それを大聖人は端的に記されています」と言って、「千日尼御返事」の一節を拝した。
「されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもって其の影をう(浮)かべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東む(向)きにをはすと日蓮は見まいらせて候」(御書一三一九p)