大白蓮華  2012年(平成24年)11月号(No.755)

「蘭室の友」のスクラム

   創価学会名誉会長  池田大作

 今日もまた
  雄々しく生きなむ
    朗らかに
  人間帝王
    三世を見つめて

 「太陽の如く、わが心は揺るぎなし。ゆえに、我もまた常に光り輝く!」──千年の昔、シルクロードの大詩人バラサグンは叫んだ。

 日蓮仏法は、太陽の大法である。
 我らは、来る日来る朝、朗々たる題目の音声と共に、わが生命に元初の旭日を昇らせ、人生と社会を赫々(かくかく)と照らしていくのだ。

 思えば、「竜の口の法難」の折には、鎌倉・松葉ヶ谷の草庵(そうあん)に、幕府の数百人の兵士たちが襲いかかった。
 しかし、日蓮大聖人は微動だにされない。「あらをもしろや平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)が・ものにくるうを見よ」(ページ)と大高声で呵責(かしゃく)され、正義と真実を悠然(ゆうぜん)と語っていかれた。時にどっと笑いが沸(わ)き起こるほどであった。
 竜の口の刑場でも師子王の厳然たる大光を放たれた。さらに、相模の依智(えち)まで護送した兵士たちまで労われた。その御振る舞いを目の当たりに拝し、彼らは次々に念仏を捨て去る誓いを立てたのである。

 かの「立正安国論」では、皆が嘆(なげ)き悲しむ「天下の災(わざわい)」や「国中の難(なん)」にいかに立ち向かうか、主人と客の同苦の対話が重ねられている。
 そこから変革への結合を生み出す光が、「蘭室(らんしつ)の友」の交わりである。すなわち、香り高い蘭(らん)の花のある部屋に入ると、その人まで香しく感化される。それと同じように、よき友との交流によって、正しき哲学と貢献(こうけん)の行動に目覚(めざ)めることができる。

 闇夜(やみよ)を破(やぶ)る暁光(ぎょうこう)の如く、「立正安国」の大理想へ「蘭室の友」のスクラムを、民衆が立ち上がり、民衆に広げてきたのが、創価学会である。

 皆、同じ乱世(らんせ)を生きる仲間である。
 心の垣根(かきね)をつくらず、胸襟(きょうきん)を開いて、気さくに対話をしていくことが、どれほど大切か。
 どの人の生命にも、必ず仏性が内在している。その仏性に、妙法を唱える「地涌の菩薩」の勇気と誠実の声が響かないわけがない。

 師・戸田城聖先生は言われた。
 「誰(だれ)もが悩み多き衆生ではないか。かりに反発しても、命の奥底では、仏法を求めている。話をした以上、妙法と永遠の縁を結んだのだから、相手は必ず変わっていくんだよ」
 この確信の対話で、尊き多宝の友は広布の原野を開拓してきたのだ。

 あの昭和31年5月、大阪支部が1万1111世帯の折伏を成し遂げた時、その一人として入会した淀川(よどかわ)の母がおられた。
 地域の広宣流布を願い続けた。この母の心を受け継ぎ、娘さんも悪口にも怯(ひる)まず、ぬかるみの路地裏を走って法を弘めてきた。

 私は、娘さんに「蓮池(はすいけ)や 泥(どろ)より出でたる 功徳かな」と句を贈った。宿命を使命に変え、今も友の功徳の花を咲かせておられる。
 錦宝会(きんぽうかい)の年代になった娘さんは笑顔で語られる。「臆(おく)してしまえば、魔が喜ぶだけです。会う人ごとに心で題目を唱え、味方に変えてきました。信心の大歓喜を、皆にどんどん伝えたいのです」と。

 「蘭室の友」の連帯を創り広げる「仏縁の拡大」は、自他共に永遠にわたる「幸福の拡大」であり、「心の財の拡大」なのである。

 我らの「創立の父」牧口常三郎先生は、戦時中、法難の牢獄(ろうごく)にあっても桜色に紅潮された若々しい顔で、堂々と平和の仏法を語り抜かれた。
 勇気凛々(ゆうきりんりん)と祈り戦う行動にこそ、創価の太陽は輝くことを忘れまい。

 悠然と
  広宣流布
   大道を
  戦い勝ちゆく
   無辺の劇かな