【第5回】 学び続ける人が勝者  2012.9.1

――いよいよ、新学期がスタートしました。受験生の皆さんも、大切な “秋の陣” に入ります。
 
池田名誉会長 みんなが希望の道、努力の道、勝利の道を進めるように、私はますます真剣に祈っていきます。全国、全世界の創価家族も受験生の皆さんの味方です。
思えば、私が夜学に通い始めたのは、17歳の9月でした。第2次世界大戦が終わった翌月です。大空襲の焼け野原が一面に広がる中で、「ともかく今は勉強だ。何が何でも学ぶのだ」と、向学の心を奮い立たせたことを覚えています。
今も私は、勉強を続けています。世界の識者との対談も、学び語り、語り学ぶ連続です。若い皆さんからも、新しいことをたくさん教えてもらいたいと思っています。
 
──思う存分、勉強できること、それ自体が幸福なのですね。
 
名誉会長 そう。勉強は権利であり、喜びです。「学ぶ」ということは、何より楽しいものなんです。
それを若者から奪い取るのが、残酷な戦争です。その苦しさや悔しさを、次の世代には絶対に味わわせてはならないと心に決め、私は平和のために戦ってきました。
だから、私が青春時代から愛読してきた、ドイツの大文豪ゲーテの言葉を、みんなに贈りたい。
「学問のなかには、なんというすばらしい世界がひらけていることだろう」(ビーダーマン編 『ゲーテ対話録第二巻』 菊池栄一訳、白水社刊)
学問の探究に思い切って飛び込めば、発見がある。その喜びでゲーテは生命を躍動させました。
詩人、小説家、劇作家であり、そして、自然科学者としても、政治家としても大活躍したゲーテは一生涯、学び続けた人でした。
今、このゲーテを巡って私は、ワイマール・ゲーテ協会顧問のオステン博士と対談を進めています。(総合月刊誌「潮」で連載)
その冒頭、オステン博士は、ゲーテの信条について語られました。
それは「力を入れて学んだことは、誰も奪い去ることができない、永遠である」との確信です。
人は学ぶために、生まれてきました。「生きること」は「学ぶこと」といってよい。
学んだ内容は、たとえ忘れたとしても、学ぶ心は、わが生命を永遠に飾ってくれるのです。
 
──現実の学校生活の中では、「頑張ろうとは思うのですが、なかなか勉強のやる気が出なくて困つています」という声があります。
 
名誉会長 みんな、そうなんだよ(笑い)。「頑張ろう」と思っていることが偉いじゃないか。
私が対談したトインビー博士ほどの世界的な大歴史学者でも、「やる気」になるのを待っていたら、いつまでたっても研究は進まない。だから、気分が乗っても乗らなくても、毎日、決まった時間に机に向かって勉強を始めることを、ご自分に課しておられました。
「学ぶ習慣」ができれば、やる気が自然に湧く。勉強が面白くなり、努力の大切さが分かる。そこまで、あきらめないで、頑張ってほしいんです。
 
──「なぜ勉強するのか」「何のために学ぶのか」を自らに問いかけることが大事ですね。
 
池田先生は、創価大学に──
「英知を磨くは何のため 君よ それを忘るるな」と指針を贈ってくださっています。
名誉会長 「何のために学ぶのか」という問いを、生涯、持ち続けてほしい。
「自分のため」だけに勉強していると、いつか行き詰まる。「人のため」「社会のため」「世界のため」という大きな志が、勉強を楽しくする。偉大な自分をつくりあげます。
1995年、私は、釈尊が生誕した国ネパールを訪問しました。
トリブバン大学での講演などを終え、ネパールSGI(創価学会インタナショナル)の総会に出席すると、深紅の民族衣装に金色の髪飾りをまとった、5人の可憐な小女たちが出迎えてくれました。
少女たちは、その後、ご両親の励ましを胸に、「人材の流れをつくるために、まず自分が人材に」「民衆に尽くす指導者に成長を」と誓い、失敗してもあきらめずに両親と自分を信じて勉強に励みました。
17年たった今、全員が世界の大舞台で学究の道、社会貢献の道を進んでいます。ネパールの父母や同志の誇りとなり、希望となっている。そして、彼女たちに、未来部の友が続いています。
勉強は、すればするほど、夢が大きくなっていく。力がついて、人の役に立つことができる。人を笑顔にすることができる。人に喜びを与えることができる。
それは、結局、自分の周りに、素晴らしい世界を広げてくれるのです。
 
──私たち未来部担当者も「中学・高校の時、もっと、しっかり勉強しておけばよかった」と反省することしきりです。
 
名誉会長 いや、クヨクヨ振り返る必要はありません。学ぶことは、「今から」「ここから」直ちに始めることができるからです。
ゲーテの時代とも重なる女性の作家マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークは、60歳の時に、こんな言葉を残しています。
「私は学びます、学びます」「更に学ぶことができるためというこの一点でだけ私は今一度若くなりたいと思います」(シュライヘア著
『マルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク』 片山敏彦訳、みすず書房刊)
学歴イコール知識・学力ではない。まして人間の能力ではない。学び続ける心が、人間の真の実力です。わが創価大学の通信教育部では、この春、85歳と83歳の2人の女性の方も晴れ晴れと卒業を勝ち取られました。学び抜き、学び切る姿は、人間として神々しい光を放つものです。
 
──でも、若い時は、勉強できる環境にあるのに、つい後回しにしてしまいます。
 
名誉会長 まあ、後回しにするのは、それなりに理由がある(笑い)。内容が難しすぎて理解するのが大変だからとか、そろそろ机に向かおうと思った矢先に、お母さんやお父さんに「勉強しなさい」と言われて嫌になるとか(笑い)、部活が忙しいとか……。
でも、自分の好きなことだったらどうだろう。それなら、すぐに始められて、いくらでもやれる、何時間でも没頭できるという人も多いのではないかな。
「どうやったら、サッカーが上達できるか」「あの人みたいに上手に楽器を演奏するには、どうすればいいんだろう」「秋の流行の服は」などと関心を持てば、本を読んで研究したり、試したり、誰かに質問したりするでしょう。それは、楽しいし、面白いことです。勉強だって、自分なりに工夫すれば、楽しく面白くできるはずです。
 
――実際、社会のさまざまな分野で活躍している人は、例外なく真剣に勉強を重ねていますね。
 
名誉会長 その通りです。一流のスポーツ選手も、体を鍛えるだけでなく、体のしくみや栄養のことを積極的に学んでいる人が少なくない。演技の質を磨いたり、参考にしたりするために、膨大な読書をしている俳優や芸人の方を、私もよく知っています。
皆さんのお母さんの、いつどこで買い物をすればいいか、という分析力には、どんな経済学者もかなわないでしょう。生きた経済の動きを学んでいます。
すべて、立派な学問です。
だから、今の学校での勉強は、将来、それぞれの道で、好きなことを好きなだけ学ぶための「土台」と考えてはどうかな。人生、後になって、思わぬことが役に立つ。まず何かを始めてみることだ。何か努力を開始することだ。
勉強ができるできないといっても、やるかやらないかだけなんだ。
勉強すると息が詰まる思いがするかもしれないが、実は小さな自分を打ち破り、広々とした世界へと解放してくれる。人生を明るくしてくれる。「学は光」です。
何があってもへこたれず、強く朗らかに学んだ人が、勝ちです。
 
――「目の前の問題集に取り組むことが、将来の、何の役に立つのか分からない」という質問も寄せられています。
 
名誉会長 建物を建てる時、土台だけを見ても、上にどのような建物が建つのかは分からないものだ。また土台は、その上に建物が建てば、見えなくなるものです。
それでも、建物を何十年、何百年にわたって支えていくのは、その見えない土台です。
勉強も同じでしょう。君の目の前にある課題の一つ一つが、強固な土台になっていくのです。
そもそも、勉強に挑むこと自体が、偉大な人格を磨きゆく訓練の一つです。考える力を養い、頭脳を鍛え、強い心を育んでいく。今、みんなは、その
“土台作り” をしているんだよ。地道で繰り返しの作業はつまらないかもしれない。でも、地道に繰り返すからこそ、その土台は強い。崩れない。だから、毎日、自分らしく1㍉でも2㍉でも、築いていってほしい。
 
──「学校の成績が思うように上がらなくて苦しい」と悩んでいるメンバーもいます。
 
名誉会長 成績が上がれば、自分もうれしいし、お父さん、お母さんも喜んでくれる。良いに越したことはない。だけど、それが君の真価を決めるものではない。人と比べる必要もない。いわんや、自信をなくす必要もない。
だから、成績は、上手に自分の努力目標にしてほしい。少しずつ、だんだんと着実に向上していく。そういう、たくましい勉学の歴史を残してもらえたら、うれしいね。
たとえ、不本意な結果であっても、努力を重ねた分だけ、力は必ずついてくる。成長している。
長い人生を大きく左右していくのは、目先の成績よりも、「学び続けようとする姿勢」です。どんな状況にあっても「さあ、勉強するぞ!」という勢いのある人は、そこから人生を開いていける。
だから、勉強に「もう間に合わない」も「手遅れだ」も絶対にない。「自分はだめだ」と思わない限り、たとえ今がビリでも大丈夫。そこから上がっていくのは、痛快じゃないか。一番もったいないのは、成績が上がらないからといって、勉強をやめてしまうことだ。
「栄光」とは、「忍耐」です。自分が苦労し、苦しむことです。勉強も、一日では結果は出ない。大事なのは、「粘り強さ」です。ですから、受験生の皆さんには、「受験は、知性と忍耐の修行である」と贈りたい。
 
──池田先生は、戸田先生のもとで「一対一」の個人教授を受けられました。
 
名誉会長 真剣勝負でした。戸田先生の事業が困難を極める中での薫陶でした。当時、日記に次のような内容を書いています。
「朝の講義、法律学政治学、経済学、化学、漢文と進む。
先生の、身体をいとわず、弟子を育成してくださる恩──私は、どのようにご恩返しすればよいのか。今だ、力、力、力を蓄える時は。あらゆる力を、将来の準備として蓄えていこう」
戸田先生は万般の学問に通じておられました。しかも、生きた学問として教えてくださいました。
「大作、今、何の本を読んでいるか」「その本の内容を言ってみよ」と、いつでも、どこでも聞かれた。どう読んだのか、何を学んだのか、先生の追及は実に鋭い。冷や汗をかきながら、しどろもどろで答えたこともありました。
ある講義が修了した時、戸田先生は、机の上の一輪の花を取り、私の胸に挿してくださいました。
「この講義を修了した優等生への勲章だ。金時計でも授けたいが、何もない。すまんな……」
それは、師匠から授かった、世界一、誇り高い勲章です。この恩師の授業があったからこそ、世界の識者と文明を結ぶ対話も残すことができたのだと、感謝の思いは尽きません。
創価の師弟の勝利は、学び続けてきた勝利です。
ですから、私は、毎日、強盛に祈っています。
わが未来部の友が、さえわたる英知と正義の大指導者に育つように! どの分野に進もうとも、大人材として自由自在に力を発揮して活躍できるように!
そして、一人ももれなく健康で、家族も大福運に包まれ、素晴らしい勝利の人生であるように! と。
みんな、新学期も、元気に学び、前進しよう!