正義14 2014年 1月18日

戸田城聖が学会の再建に踏み出した時、組織は壊滅状態に陥っていた。
そのなかから再出発した在家の団体が、戸田の指導のもとに年ごとに力を蓄え、七十五万世帯という未曾有の大折伏を展開しようというのである。
仏法の眼を開いて見るならば、まさに、創価学会は、法滅の危機を救い、末法広宣流布のために出現した仏意仏勅の団体であり、地涌の菩薩の集いであるという以外にない。
しかし、在家である創価学会員が、喜々として広宣流布に邁進する姿を快く思わず、学会には御本尊を授与しないという寺さえあったのである。
宗門には、信徒を下に見て睥睨する、悪しき体質が温存されていたのだ。
戸田は、そうした悪僧とは敢然と戦った。
もし、その悪を見過ごしてしまうならば、それは、やがて広宣流布を破壊する元凶となり、巨悪となっていくからだ。
「されば御僧侶を尊び、悪侶はいましめ、悪坊主を破り、宗団を外敵より守って、僧俗一体たらんと願い、日蓮正宗教団を命がけで守らなくてはならぬ」(注)というのが、戸田の精神であり、弟子への警鐘であった。
事実、学会は、正法正義を貫き、広宣流布を推進するために、悪侶とは徹して戦い、宗門を守り、発展に尽くしてきたのである。
その学会にとって、忘れ得ぬ事件がある。
それは、戸田が第二代会長に就任した翌年の一九五二年(昭和二十七年)四月二十七日、宗旨建立七百年慶祝記念大法会の折の出来事であった。
戦時中、「神本仏迹論」を唱え、四二年(同十七年)秋に宗門から擯斥処分を受け、僧籍をはく奪されていたはずの謗法の僧・笠原慈行が、総本山大石寺にいるのを、学会員が見つけ出したのである。
「神本仏迹論」とは、一言すれば、神が本地で、仏は神の垂迹、すなわち仮の姿にすぎないとし、そこに日蓮大聖人の真意もあるとする妄論である。
国家神道をもって国論を統一して戦争を遂行する軍部政府に迎合し、大聖人の教えを根本から否定する邪説であった。