随筆 民衆凱歌の大行進 No.4 (2014.4.19付)

正義の言論魂
創刊63周年 今日も「聖教新聞」と前進!
希望の「声」を社会に 友の心に!
 百花繚乱の春。生き生きと伸びゆく若葉も、まばゆい輝きを放っている。
 長く厳しい冬を勝ち越えた北国の友からも、嬉しい花便りをいただく。
 4月から5月へ、心躍り生命の弾む季節である。
 「エラン・ビタール」(生命の飛躍)──これは私が青春時代に愛読した、フランスの哲学者ベルクソンの有名な言葉である。
 私が戸田城聖先生に初めてお会いした座談会に誘われた時、「生命哲学」の話があると聞いて、ベルクソンの哲学を学ぶ集いかと思ったことも、懐かしい。
 清新なる息吹で前へ! 「生命の飛躍」を体現したような躍動は、就職や進学など、新たな出発を切ったフレッシュな友の姿そのものでもあるだろう。
 新しき希望の門は、常に我らの前に開かれている。
 わが創価の青年は、若々しい活力を発揮して、自分らしく新たな価値の創造に挑んでいただきたい。
 とりわけ挨拶が大事だ。明るい、ハキハキとした挨拶の声が響くだけで、新鮮な薫風が広がる。張りのある声一つで、空気がパッと変わる。私も、新入社員の頃から、元気な挨拶を心掛けたものである。
 嬉しいことに、総本部をはじめ各地の会館を訪問された内外の方々から、創価班や牙城会、白蓮グループなどの友の清々しい挨拶と誠実な振る舞いへの感謝も、多数寄せられている。
一日の出発の挨拶
 御聖訓に「梵音声と申すは仏の第一の相なり」(御書1122㌻)と仰せである。
 衆生を救いゆくために仏が具える特性の第一は、「声」なのだ。それは何か特別な声ではない。相手を思いやる深く強い慈愛の声といえまいか。その真剣にして確信あふれる響きが、人びとを励まし、救う力を持つのである。
 「声仏事を為す」(同708㌻)である。広宣流布のため、我らは、今日も堂々と、正義を師子吼する!
 この「声の力」を文字・活字に込めて、一人また一人と、日本全国そして全世界の幾百千万の友の心に伝え続けているのが、わが聖教新聞といってよい。
 尊き尊き「無冠の友」が配達してくださる聖教を手に取れば、希望あふれる見出しや笑顔光る写真が目に飛び込んでくる。同志の多彩な活躍や不屈の体験の記事がある。そこから「さあ、一日の出発だ!」とスイッチが入るという人も、多くおられるであろう。
 「精神を覚醒させることは、ただ生きた言葉だけがなしうることである」
 これは、牧口常三郎先生も敬愛されていた、デンマークの大教育者クリステン・コルの言葉である。
 毎朝、友の心に「希望の挨拶」を!
 日々、読者のもとへ「勇気の旭日」を!
 そして、すべての人に「幸福・勝利の智慧」「平和への英知」の花束を!
 4月20日は、創価の言論城たる聖教新聞の創刊63周年の記念日である。
 聖教新聞を常に支えてくださっている新聞長をはじめ全国の同志の皆様、そして愛読者の皆様方に、心から感謝を申し上げたい。
友情結ぶ心の広場
 晴ればれと
  無冠の友の
     幸の舞
 聖教新聞の重要な柱は、信仰体験である。今や各国SGI(創価学会インタナショナル)の機関紙誌に載った世界の友の体験が、どんどん聖教本紙にも翻訳紹介される時代になった。
 いずこにいても、わが同志は感動と誓いを共有し、人間主義の言論のスクラムで結ばれているのだ。
 先日、聖教の「声」の欄に掲載された、秋田の婦人からの投稿に、妻が感銘していた。
 今年で入会50年。ご一家の誇りは「皆が聖教新聞の配達員を経験していること」。亡くなられた母上に始まり、ご本人と、姉、弟、さらに息子さんたちも配達に携わってこられた。家族が集まれば、「聖教を一人でも多くの人に読んでもらいたいね」と、夢を語り合っておられるそうだ。
 この婦人は先月の「新生・東北総会」を荘厳しようと、年頭から聖教の拡大に先駆。近隣を回り、対話を重ねられた。初めて聖教を購読された友も多かった。聖教を通して学会理解を深め、自ら進んで入会された壮年もいたという。
 その秋田の婦人のもとに、聖教の販売店を通じて、同じ東北・福島の婦人から便りが届いた。
 掲載された「声」の欄の記事を見て、「実は、私も今年で入会50周年。『無冠の友』として聖教を配達しています」との心からの共鳴を伝えるものであった。
 聖教を心の広場として、なんと麗しい信頼と連帯が織り成されていることか。
 今回、共に新たな鼎談集を発刊した、米国のデューイ協会元会長のガリソン博士は語ってくださった。
 「センセーショナルな報道や暗いニュースが多い世の中にあって、聖教新聞は、人と人とを結びつけ、そして人々の善性を引き出しておられる。素晴らしいことです」
 世界の知性と手を携え、善と希望のネットワークを広げゆく聖教の使命は、いやまして大きい。
ジャスティース?
 九州・宮崎の出身で、戦前、創価教育学会の顧問を務め、外交官また言論のリーダーとして活躍された秋月左都夫氏の逸話がある。
 秋月氏が新聞記者を志す青年に質問をした。
 「記者として一番大切なことは何か?」
 青年が即答できずにいると、秋月氏は拳で机を叩いて一言、「ジャスティース(正義)?」と叫ばれたというのである。
 わが聖教新聞は、生命尊厳の哲理を高らかに掲げた、誇り高き正義の言論城である。その正義は、そのまま民衆の幸福と世界の平和に直結している。
 “広布の使命完遂のために聖教新聞は働くのだ”と、戸田先生は、訴えておられた。そして勇んで執筆に臨まれる雄姿は、私のまぶたに焼き付いて離れない。
 弟子の私もまた、恩師の「聖教魂」を受け継いだ。
 今年は、私が1964年(昭和39年)の12月2日、沖縄の地で小説『人間革命』の執筆を開始して50年となる。聖教連載は『新・人間革命』と合わせて、6800回を超えた。
 私が古稀を迎えた1998年(平成10年) 1月、当初「随筆 新・人間革命」と題して始めた、この随筆の執筆も17年目に入り、先月11日付の掲載で通算700回を数えた。
 執筆は戦いだ。聖教の誇りである、全国の通信員の方々も、私と共に真剣勝負の心で、広宣流布の言論戦を担ってくださっている。
 1980年(昭和55年)の4月、私は、中国の作家・巴金先生を、未来部の友と一緒に静岡研修道場にお迎えした。文化大革命の迫害を耐え抜き、勝ち越えられたペンの闘士である。以来、何度もお会いし、文学観、人生観等を縦横に語り合ったものだ。
 巴金先生がペンを握り、文字を綴る時、信念とされていたのは「心を読者に献げること」であった。
 わが言論は、読者の期待に合致しているだろうか。社会の進歩に対して貢献しているだろうか──と。
 そして「人はすべて絶えず前進するものであり、人類社会はすべて不断に発展するものである」と、巴金先生は訴えておられた。
常に挑戦の新風を
 聖教もまた、常に前進、前進である。自ら前進するから、人びとに前進の力を送ることができるのだ。
 わが聖教よ! 常に新しく! 常に挑戦の心で! 常に勇気凜々と!
 広宣流布の大舞台で新風を巻き起こせ!
 私もいやまして「正義の言論魂」を燃やし抜いていく決意である。
 ギリシャの哲人ソクラテスは問いかけている。
 「自分も前より良い人間となり、友達をもますます善い人間にしてつきあえるという考えより、なお楽しいことが、またとあり得ると君は思うか」と。
 その通りだ! 聖教と共に、我らは今日も、この「人間革命」の対話の正道を、そして「立正安国」の言論の大道を爽快に切り開いていこうではないか!
 天空に
  虹を架けゆく
      今日の筆
 コルの言葉は『コルの「子どもの学校論」』清水満訳・解説(新評論)。秋月左都夫の逸話は『志賀直哉全集7』(岩波書店)から。巴金の最初の言葉は『随想録』(筑摩書房)、二つ目は『無題集』(同)から、いずれも石上韶訳。ソクラテスはクセノフォーン著『ソークラテースの思い出』佐々木理訳(岩波書店)。