随筆 民衆凱歌の大行進 No.6 (2014.6.6付)

希望の太陽・婦人部万歳!
今日も幸福の種をわが友に!
白ゆりの如く 朗らかに 笑顔輝く総会を
 母たちの
  心の種から
     幸《さち》 爛漫
 6月10日の「婦人部の日」を記念し、今、地域に開かれた「希望総会」が、日本列島の各地で楽しく、にぎやかに行われている。
 折から、二十四節気の「芒種《ぼうしゅ》」の季節を迎えた。「芒種」とは“穀物の種を蒔く”意味である。
 幸福の種、希望の種、平和の種を、一人でも多くの友に蒔いていこうと、朗らかに対話する婦人部の月にふさわしい。
 6・4「世界池田華陽会の日」を爽やかに迎えた女子部と合同の記念月間も、本当におめでとう!
 「あなたが、自分自身と未来に対し、希望をいだき続けるならば、きっと、世界をもっと住みやすい場所にすることができるはずです」とは、私たちが敬愛するアメリカの「公民権運動の母」ローザ・パークスさんの信念の言葉である。
 その通りに、いかなる試練にあっても、希望の光を自身の胸中から放ちながら、家庭を、地域を、社会を、未来を明るく照らしているのが、わが創価の女性たちである。
        ◇
 わが師・戸田城聖先生は、よく言われた。
 「二人でも三人でもいれば、御本尊の話、学会の話をして、みな、感激に満ちて帰っていく。そこから、いまの組織が発祥し、できあがっていったのである」
小さな集いから
 広宣流布は、少人数の小さな集いから始まる。婦人部の「希望総会」こそ世界広布新時代の最重要の最前線なのである。
 皆、それぞれに人知れぬ悩みとの戦いがある。
 日蓮大聖人は、「松栄れば柏悦ぶ 芝か(枯)るれば蘭なく 情《こころ》無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり」(御書934㌻)と仰せになられた。
 友の喜びを我が喜びとし、友の歎きを我が歎きとする──共に泣き、共に笑う、最も麗しく、最も強き生命の共生の絆こそ、信心の世界であり、創価の集いである。ここにこそ、苦悩を希望へ転換しゆく、生命の安全地帯があるのだ。
 いかに小さな単位であれ、一つの会合を開くには、多大な労苦を要する。
 けれども、希望を胸に灯して、帰路に就く友の笑顔こそ、何よりの報いであり、誇りであろう。友の幸せを強盛に祈り、智慧を出し、心を尽くして、誠実に動いた功徳は計り知れない。
        ◇
 「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(同1143㌻)
 これが御本仏の御断言であられる。
 題目は、究極の希望だ。題目を唱え、弘めゆく、創価の女性の生命こそ、希望の当体なのである。
 女子部時代に関西の白樺グループ(看護者の集い)で戦い、今はアメリカで夫と共に社会貢献の日々を送る女性から、貴重な発心の原点を伺った。
 それは、人生の大きな壁に直面し、信心の確信も揺らいでいた時のことであったという。
 ある夜、看護師として病室を巡っていた際、一人の重篤な老婦人が呂律の回らない口で、一生懸命、語りかけてきた。「しんじん」「なんみょうほうれんげきょう」……。
 「えっ?」。驚いて聞き返すと、「うちはこんな体になってしもうたから、私の代わりにあんたに南無妙法蓮華経あげてほしいねん」と言うのである。
 老婦人は多くの病気を併発し、認知症も患われていた。だが不思議にも、学会員と告げたこともないのに、彼女に“題目を”と語ったのだ。まるで彼女の悩みを鋭く感じ取ったかのように──。この老いたる庶民の母との約束が彼女の蘇生への力となった。
 「御義口伝」には、たとえ一句でも妙法に結縁すれば、その功徳は億劫にも失われることはない。仏の生命という最極の宝珠《ほうしゅ》を研き顕していくことができる、と説かれる(同793㌻、趣意)。
 誰人も避け得ぬ病や老いの現実にあっても、自他共に必ず生命の宝珠を輝かせていける。これが、妙法に巡りあえた宿福深厚の人生である。
 「生も歓喜、死も歓喜」という永遠の希望の力が、自行化他の題目を行ずる創価の信心にはあるのだ。
強く賢く前へ!
 本年9月に発足40周年を刻む「ヤング・ミセス」の健気な奮闘も、妻がいつも嬉しそうに伝えてくれる。
 皆、日々、家計のやりくり、家族の世話、子育て、地域友好など、目の回るような忙しい毎日であろう。しかし、それはまた、家族を、眷属を幸福の軌道へと導く、強く賢き女性に成長していく修行でもあるのだ。
 6月6日は牧口常三郎先生のお誕生日である。
 思えば、先生が獄中で最も頼りにされたのが、幼子を抱えた若きお嫁さんであった。先生は手紙の中で、常に孫のことを気遣われるとともに、何度も「留守を頼む」「身体を大切に」、そして「信仰が第一です」と励まし続けられたのである。
 ともあれ、名作『赤毛のアン』で有名な作家モンゴメリーは訴えている。
 「困難を笑いの種にし、それを乗りこえよ」
 信心で乗り越えられない苦難など、断じてない。困難が大きいほど深い信心に立ち、“先駆の太陽”として、常に笑顔で皆を照らしゆくヤング・ミセスに贈りたい言葉だ。
 未入会の家族を抱えた人もいる。だが、焦る必要はまったくない。幸福になるための信仰である。
 灯台が一つあれば、皆を正しく導いていける。ゆえに互いを尊重し、理解し、大きな心で包み込んでいくのだ。明るく、聡明に、仲の良い、笑顔輝く和楽の家庭をつくるために、忍耐強く努力していくことだ。
        ◇
 私が東北の友と心肝に染めてきた御金言に、「大悪は大善の来るべき瑞相なり」(御書1467㌻)とある。
 苦難の烈風の中でこそ、金剛不壊の「心の財」は、厳然と輝き現れる。
 私かよく知る仙台市の母も、宿命に挑む2人の息子に、「幸せは自分で開け!」と教えてきた。
 進行性の筋ジストロフィーという難病と闘う息子たちである。人生を暗く覆い尽くすような絶望の中で、一歩も退かず、親子は懸命に祈った。
 頻繁に吐き気に襲われ、背中を丸めて苦悶する我が子……。その背を、母は小さな手で夜通しさすった。ただただ祈りを込めてさすり続けた。
 母の祈りに、息子たちも応えようと闘った。負けなかった。母の笑顔が見たい!-と、苦しみの涙を感謝の涙に変えていった。やがて息子たちは、命の種火を熱く燃え上がらせて、大いなる創造の光を発揮する。
 今、兄は花の絵を描く「パソコン画家」として、弟は希望の詩を紡ぐ「五行歌人」として、堂々と活躍されている。
 「幸せは自分で開け!」と言い切れる母の強さ。その奥には、そうさせてみせるという母の断固たる一念が漲っていたに違いない。
 母の手の10本の指は、2人の息子の介護で全部曲がった。家族を支え、幾重にもシワを刻んだ手だ。その仏の慈悲の手を、私は、最大の尊敬の心で包んで差し上げたい。
勇気凜々と10年
 今年は「白ゆり長」「副白ゆり長」が誕生して10年となる。それ以前は正副のブロック担当員であったが、もう何十年も「白ゆり長」と呼んできた気がするのは、私だけではないだろう。それほど、勇気凜々と、美事に活躍してこられた。
 広宣流布の“第一線”のブロックが、意気揚々と戦いを起こすことほど、強いものはない。
 皆様が白ゆりのように「希望」を薫らせ、地域の「太陽」として輝いていけばいくほど、創価の前途は明々と広がる。
 歌人与謝野晶子も言うように、「創造は過去と現在とを材料としながら新しい未来を発明する能力」である。
 地域ごとに状況は様々であろうが、御書には「我等が居住の山谷礦野皆皆常寂光の宝処なり」(734㌻)と仰せだ。ゆえに誇り高く、“わがブロックに人材の黄金の城を!”と、真剣に祈り、粘り強く行動していくことだ。必ず道は開ける。
 その歓喜の波動の中で、一人また一人と青年部・未来部を励まし、育てていただきたい。後継の友の成長こそ創価の未来の希望であり、新時代の夜明けであるからだ。
        ◇
 「太陽万歳と叫ぼう。かくも美しい光をわれわれに与えてくれるのは太陽なのだ」と、フランスの巨匠セザンヌは言った。
 我らも、声高らかに叫び、讃えたい。
 “地域の幸福と平和の責任者”である白ゆり長、副白ゆり長、そして総白ゆり長の皆様、万歳!
 「創価の太陽」「励ましの太陽」、さらに「希望の太陽」と世界に輝き渡る婦人部、万歳、万々歳!
 今日も、愉快に晴れやかに、題目第一で満々たる生命力を! 日々、楽しく勇敢に、真心の対話で和楽と安穏の門を開きゆかれることを!
 白ゆりの
  清き祈りの
     希望道《きぼうみち》
 パークスの言葉は『ローザ・パークスの青春対話』高橋朋子訳(潮出版社)。モンゴメリーは『アンの愛情』掛川恭子訳(講談社)。与謝野晶子は『与謝野晶子評論集』(岩波書店)。セザンヌはリウォルド編『セザンヌの手紙』池上忠治訳(美術公論社)。