【第18回】  ホームラン王 ベーブ・ルース (2015.9.1)

私は、スポーツが大好きです。
私が子どものころは、戦争で、だんだんスポーツの試合や大会が行われなくなった時代でした。スポーツがさかんなことは、平和の象徴です。
ですから、未来部のみなさんが思うぞんぶん、スポーツに汗を流している様子を聞くと、本当にうれしいのです。
この夏、日本中をわかせた甲子園の高校野球でも、多くの未来部の友が活やくしました。全国高校ダンスドリル選手権では、関西創価高校が日本一に、東京校の男子が部門1位にかがやきました。みんな万歳だ!
体育は苦手という人もいるでしょう。私も体が弱かったから、その気持ちはよくわかります。
ただ、家の仕事の手伝いや新聞配達をがんばったので、自然のうちに体をきたえることができました。それが、世界をかけめぐる元気の土台になったのです。
みんなも、できることから少しずつ挑戦していってください。
「あきらめない人を、打ち負かすことはできない」
これはアメリカ・大リーグの選手で、野球ファンだけでなく多くの人に愛されたホームラン王ベーブ・ルースの信念です。
今年は、彼が生まれて120年です。
大リーグでは先月、みんなの先輩がピッチャーで大記録をつくりました。
きょうは、野球の大英雄ベーブ・ルースから「あきらめない勇気」を学びましょう。
 
ベーブ・ルースは、1895年2月6日、アメリ東海岸ボルチモアという港町に生まれました。お父さんとお母さんは、小さな酒場を開き、いそがしかったため、ゆっくりルース少年のめんどうを見る時間がありませんでした。ルース少年は、酒場でさわいでいる大人たちの悪いえいきょうを受けて、いたずらをして遊び回り、町の人を困らせていました。
ルースが立派な大人になるためにはどうすればいいのか――なやんだ両親は、セント・メリー学校という、勉強をしながら、いろいろな仕事も学べる学校に行かせることにしました。
そこでルースは、すばらしい先生と出会います。身長が2メートル近くもある、とても体の大きなマティアス先生です。先生は、子どもたちを、わけへだてなく大切にしてくれました。
野球を教えてくれたのも先生です。キャッチボールやノックをするうちに、ルースは野球に夢中になりました。一にも練習、二にも練習を重ね、日に日に上手になっていきました。
そして19歳のとき、アメリカのプロ野球チームのかんとくから、プロ選手にならないかと、さそわれたのです。夢のような話でした。
 
汽車に乗って、生まれ育った町をはなれたルースには、見るものすべてがめずらしく思えました。子どものように、はしゃいでいるルースの様子を見て、周りの人は「まったくお前さんというのは、ほんとうに赤んぼう(ベーブ)だよ!」と笑いました。
このときから、ルースは「ベーブ」というあだ名で呼ばれるようになったのです。ルースの本当の名前はジョージ・ハーマン・ルースといいましたが、みんなから「ベーブ・ルース」と呼ばれ、親しまれました。
ベーブ・ルースは、大リーグの選手として活やくするようになりました。最初はピッチャーとして登場し、やがて最優秀投手に選ばれます。バッティングもすばらしく、23歳で初めて、その年に一番多くのホームランを打つ「ホームラン王」にかがやきました。
それから、ピッチャーよりも打者として大活やくしていきます。
ベーブ・ルースは、22年間で714本ものホームランを打ちました。この大記録は、何と39年間も破られませんでした。
 
少年時代に、すばらしいマティアス先生に出会ったおかげで、ベーブ・ルースの人生は大きく開けました。その恩返しをするように、ベーブ・ルースも、子どもたち、なかでも病気で苦しんでいる子や貧しい家の子を大切にしました。
あるとき、ベーブ・ルースの大ファンの少年のお父さんから電話がかかってきました。少年が重い病気で、ねたきりになっているので、「できればサインボールを送ってやってくれませんか」とお父さんが頼んできたのです。
ベーブ・ルースは、その日のうちに少年のお見舞いに行きました。おどろいて目を丸くする少年に、バットやボールをプレゼントしました。「ぼくのために、ホームランを打ってください」という少年の願いに応えて、必ず打つと約束しました。
次の日から始まった、優勝を決める大事な試合で、約束の通り大きなホームランを何本も打ちました。勇気をもらった少年は、どんどん元気になり、やがて病気はすっかり治ったのです。
ベーブ・ルースは、子どもたちから求められるサインやあく手には、だれよりも一生けんめい応じました。
野球選手をやめて、重い病気とたたかうようになっても、たくさんのお見舞いの手紙をくれた子どもたちのために真心こめて返事を書き、はげましをおくり続けました。
「何のために」がんばるのか。ここが大切です。だれかのためにがんばろうと心が決まれば、自分でも思ってみなかった力を出すことができます。
ベーブ・ルースは、大恩人であるマティアス先生のことを、一生、忘れませんでした。
少年少女部ののみなさんの周りにも、お父さん、お母さんをはじめ、みなさんの成長を祈り、見守ってくれている人がたくさんいます。どうか、そうした人たちを大事にしてください。みなさんが力をつけて、立派に成長してくれることが、何よりの恩返しです。
そして、みなさんが大人になったら、自分がしてもらったはげましを、今度は、未来の子どもたちにおくってあげてほしいのです。
 
ベーブ・ルースはホームランの記録もつくりましたが、もう一つの大きな記録をつくりました。それは「三振」の記録です。
ベーブ・ルースは、打席に立つと、いつも全力でバットをふりました。だから三振も多かったのです。「三振をおそれていては、何もできないよ」「人間は失敗によって教えられる」と、ベーブ・ルースは語っています。
みんなも失敗をおそれる必要はありません。挑戦して、それがうまくいかなくても失敗ではない。もし失敗があるとすれば、 失敗をおそれて挑戦しないこと・だけです。
スポーツには、勝つ時もあれば、負ける時もある。勝てばうれしい。勝ったら、もっとがんばってみよう。
たとえ負けても、そのくやしさから学んで、さらに前へ進んでいけば、それは勝利です。「負けるが勝ち」なのです。たくましく、ほがらかに挑戦を続ける若き生命に、断じて失敗はない。敗北もありません。
野球の試合で何度も勝利したベーブ・ルースにとって一番の勝利とは何か。それは、多くの人がたたえたように、「自分に勝ったこと」です。
大切なのは、自分らしく目標をかかげて、何があっても、自分らしく努力し、前進していくことです。
来(きた)る9月23日は、少年少女部の結成50周年だね。本当におめでとう!
体も心も元気に、すこやかに成長していくみなさんの大挑戦を、私はこれからも見守っていきます!
 
ベーブ・ルースの言葉は、 『ベーブ・ルース自伝』 宮川毅訳(ベースボール・マガジン社)などから。一部表記を改めました。参考文献は、広岡勲著 『負けない心 メジャーリーガー 不屈の言葉』 (ディスカバー・トゥエンティワン)、赤坂包夫著 『子どもの伝記全集・28 ベーブ・ルース』 (ポプラ社)、砂岡弘著 『国際カラー版 世界の伝記 ベーブ・ルース』 (小学館)、久米元一著 『ベーブ=ルース』 (講談社)ほか。