大白蓮華 2016年(平成28年)10月号(No.804)

創価学会名誉会長  池田大作
皆が「幸福学」の博士に!


 若き日、心に刻(きざ)んだビクトル・ユゴーの一節に、「羅針盤らしんばん)さえもっていれば、嵐(あらし)もこのわたしには大したことではありません」とあつた。

“人類の精神史は、確かな哲学の羅針盤を求め続けてきた歩みであるといっても、過言(かごん)ではあるまい。
 その渇望(かつぼう)に余(あま)すところなく応(こた)え得(え)る、生命尊厳(せいめいそんげん)の永遠の羅針盤が、日蓮大聖人の「御書全集」である。

 御書には、いかなる人生の宿命(しゅくめい)にも立ち向かう勇気が漲(みなぎ)っている。いかなる悲嘆(ひたん)の人をも蘇生(そせい)させずにはおかぬ慈悲(じひ)が溢(あふ)れている。いかなる時代の試練(しれん)も打開(だかい)しゆく智慧(ちえ)が輝き光っている。
 創価家族が皆で取り組んでいる、教学部任用試験は、この最極の「幸福学」への入門といってよい。


日蓮は一閻浮提(いえんぶだい)第一の聖人(しょうにん)なり」(9741)

 これは戦時中、臆病(おくびょう)な僧(そう)らが弾圧(だんあつ)を恐(おそ)れ、こともあろうに御書から削除(さくじょ)してしまった大宣言である。

 牧ロ常三郎先生、戸田城聖先生の不惜身命(ふしゃくしんみょう)・死身弘法(ししんぐほう)の、闘争(とうそう)が示してくださっている通り、学会教学の真髄(しんずい)とは、どこまでも御書のままに、御本仏の大生命に触れれて、境智冥合(きょうちみょうぎょう)していくことだ。

 自分の小さな境涯(きょうがい)では行き詰(づ)まってしまう壁(かべ)も、大聖人の御境涯を拝(はい)すれば、絶対に行き詰まらない。 「法華大海(ほっけたいかい)の行者(ぎょうじゃ)に諸河(しょが)の水は大難(だいなん)の如(ごと)く入れども・かへす事とがむる事なし」(1448ページ)と仰せの如く、大海原(おおうなばら)のような心で悠然(ゆうぜん)と進みゆけるからだ。
 このことを証明(しょうめい)してきたのが、わが学会員である。


 宿命も
  使命に転ずる
   大仏法
  学び創れや
   無限の希望を


 御聖訓には、「須梨槃特(すりはんどく)は三年かかって十四文字を暗唱(あんしょう)できなかったが、仏になった。提婆達多(だいばだった)は、六万蔵という膨大(ぼうだい)な経典を暗記(あんき)したが、無間地獄(むげんじごく)に堕(お)ちた」(14721ページ、趣意)と厳(きび)しく戒(いまし)められている。

 読み書きが苦手な中、懸命(けんめい)に御文を心肝(しんかん)に染(そ)めて、同志を激励し、悩めるあの友もこの友も仏法に導いてくれた草創(そうそう)の父母を、私は忘れることができない。

 何のための、教学であるか。
 共に励まし、共に「一生成仏(いっしょうじょうぶつ)」するためである。
「異体同心(いたどうしん)」の団結を強めていくためである。
障魔(しょうま)に勝ち「仏法勝負(ぶっぽうしょうぶ)」の証(あか)しを示すためである。
 「立正安国(りっしょうあんこく)」の平和な社会を築(きず)くためである。
妙法を世界へ「広宣流布」するためなのである。

 日興上人(にっこうしょうにん)は、御書が外国語に翻訳(ほんやく)されて広く世界に伝えられる「広宣の日」を願(ねが)われてやまなかつた。

 うれしいことに、今、地球を包(つつ)む壮大(そうだい)なスケールで御書が学ばれる時を迎えている。民族や文明などの差異(さい)を超えて、「生命」というも最とも普遍的(ふへんてき)な共通の大地から“人類を結び合わせる宝典(ほうてん)なのである。

 心広々と縁(えん)する友と一緒に学び合い「幸福学」の博士のスクラムを拡大しょう! 恩師が御書全集の「発刊の辞」に掲げられた御金言を拝しながら!
 「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は、信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」 (1361ページ)