大白蓮華 巻頭言 2016年12月号

我らは不屈の朗らか長者なり
                           池田大作

 わが師・戸田城聖先生の事業に、次から次へ試練(しれん)が襲(おそ)いかかる中で、私が深く拝(はい)した説話がある。

 それは、熱原(あつはら)の法難の渦中(かちゅぅ)、迫害(はくがい)の盾(たて)となって、師匠をお守りし、同志を庇(かば)いながら戦い抜いていた若き南条時光(なんじょうときみつ)への御書に記された逆転劇である。

 ―― 釈尊(しゃくそん)の門下の須達長者(すだつちょうじゃ)は、幾(いく)たびも貧窮(ひんきゅう)し、そのつど起ち上がってきた。とりわけ7度目の時は、夫婦2人きりで、万事休すの窮地(きゅうち)に追い込まれた。
 しかし、それでも夫妻は何も惜(お)しまずに、師の釈尊(しゃくそん)と弟子たちへ真心の限りを尽くした。すると、その決定した一念に呼応(こおう)して、状況は劇的に一変した。
 夫婦は「五天竺(ごてんじく)第一の長者」となり、師弟の大法城たる祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を建立していったのだ、

 何度倒れようとも、起ち上がる。断じて起ち上がってみせる。この究極(きゅうきょく)の力こそ、不屈(ふくつ)の信仰なのだ。
 経済苦や仕事上の悩み、家族の課題、人間関係、病気の再発、さらには、自然災害など、人生には、これでもかと塗炭(とたん)の苦しみの打ち続く難局(なんきょく)がある。
 しかし、その時が、まことの信心が試(ため)される時だ。
「いよいよ強盛(ごうじょう)の信力をいたし給へ」(1143ページ)と題目を唱え抜き、負けじ魂で立ち向かっていくのだ。(1574ページ、趣意)

 「蘇生(そせい)の義(ぎ)」の妙法である。「絶対勝利の信心」である。打開の道を見いだせないわけがない。
 広宣流布の大願を掲(かか)げ、法のため、友のためにと、歯を食いしばって戦い切る時、「心の財(たから)」は無量に積まれ、思いもよらぬ境涯(きょうがい)が開かれるのである。

 創価とは
  負けない命の
    絆なり
  堂々 生き抜け
   いよいよ勝ち抜け


 恩師は、悩(なや)める友を抱(だ)きかかえて励(はげ)まされた。
 「どんな苦労をしていても、皆、地涌の菩薩だよ。
わが人生の劇で、妙法の偉人さを証明していくのだ。
必ず変毒為薬(へんどくいやく)して、笑って話せる時が来るよ」と。
 日々、聖教新聞に躍動する体験も、一つ一つが、何ものにも崩(くずれ)ない生命の賛歌といってよい。
      
 忘れ得ぬ北海道の丈夫(ますらお)は、信仰ゆえの職場の圧迫に怯(ひる)まず、誠実に信頼を広げた。わが子の急逝(きゅうせい)の悲しみを乗り越え、重篤(じゅぅとく)な心疾患(しんしっか)も勝ち越えてきた。
   
 夫妻で吹雪に胸を張って、「「創価学会」と書いた信心のゼッケンは、一生涯、命から離れない!」と、広布に走り続けてくれた。この誇り高き使命の襷(たすき)は、”三代城”の青年たちが受け継いでいる。