大白蓮華 2017年(平成29年)4月号(No.810)


 巻頭言
創価の女性は たゆまぬ太陽なり

 生きとし生けるものに春の喜びが訪れるのも、たゆまぬ太陽の燃焼(ねんしょう)があるからである。
 御書には、「太陽が東の空に昇れば、天の空は、 すべて明るくなる。『大光(たいこう)』を備(そな)えているからである」883ページ、趣意)と記されている。
 我ら学会の喜びは、どんな時も、中心に、たゆまぬ太陽の婦人部の信心が燃え上がっていることだ。
 日蓮大聖人は、打ち続く大難の中で、人がどうあれ、毅然(きぜん)と信心を貫(つらぬ)き通していた女性門下たちを、「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)の各(おのおの)の御心(みこころ)に入(い)り替(かえ)らせ給うかと思へば 感涙押(かんるいおさ)え難(がた)し」1126ページ)と、絶賛(ぜっさん)なされた。
 この御文は、そのまま、わが創価の母たち、女性たちへのご照覧(しょうらん)であるに違(ちが)いない。

 雨が降ろうが雪が降ろうが、毎朝必ず太陽は昇(のぼ)る。 雲を突(つ)き抜ければ、そこに悠然(ゆうぜん)と輝(かがや)き渡っている。
 何があつても変わらない、この太陽と共に、私たちも、わが使命の軌道(きどう)を揺(ゆ)るがず進んでいきたい。 「太陽の仏法」の信仰は、その最強の原動力である。

 日々の生活は慌(あわ)ただしい。何やかやと目まぐるしく課題に追われ、振り回されるのが、現実の日常だ。 年齢につれ、老いや病の悩みにも切実に直面する。
  さらに社会には「利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)」(1151ページ)という「八風(はっぷう)」が吹き荒れている。
 だからこそ、負けじ魂(たましい)の賢者(けんじゃ)の信心が光る。「人の心かたければ神のまほり必ずつよし」(1220ページ) と仰せの如く、不動(ふどう)の信心が諸天(しょてん)をも動かすのだ。

 負けないと
  誓いし慈母の
    笑顔から
  幸と勝利の
    太陽昇りぬ

 南条時光のお母さんも、最愛の夫や子息との死別、 さらに熱原(あつはら)の法難の迫害など、試練(しれん)の連続であった。
 しかし、大聖人が灯(とも)された希望の大光があった。 「この法華経を受持する人は、苦しみをも打ち返し て、地獄は寂光土(じゃこうど)となる」(1505ページ、趣意)と。
 どんな闇(やみ)も照(て)らし晴らせるのが、妙法である。

 関西のあるリーダーが女子部から婦人部へ移行してまもなく、私の妻は励ましの一文を綴(つづ)り贈った。
「絶対に変化してはいけない一念を、種々の変化の中で、益々(ますます)、強く築(きず)かれますことを祈りつつ」と。
 どういう変化があろうと広宣流布誓願に生き抜く青春の一念のまま、この母は常勝の太陽となって、 陸続と続く後輩たちを朗らかに照(て)らしてくれている。

 恩師、戸田城聖先生は、笑いながら言われた。
 「世間(せけん)には意地悪(いじわる)な顔や、ヤキモチ焼きの悪口が多い。その中で、婦人部、女子部の福運ある笑顔を見給え! 清々しい慈愛の声を聞き給え!」と。
 まさに創価の女性のスクラムこそ、地域に社会に歓喜(かんき)と和楽(わらく)と幸福を広げゆく平和の陽光なのだ。
 求道の女性へのご聖訓には、「一度(ひとたび)妙法蓮華経と唱うれば」(557ページ)と題目の功力(くりき)を明かされている。 
 すなわち、「一切衆生の心中(しんちゅう)の仏性(ぶっしょう)を唯一音(ただひとこえ)に喚(よ)び顕(あらわ)し奉(たてまつ)る功徳・無量無辺(むりょうむへん)なり」(同ページ)と。

 さあ、たゆまぬ題目の音声(おんじょう)を、いよいよ朗々と響かせて、勇気の対話に打って出ようではないか!
 縁(えん)する心に、希望の太陽を昇(のぼ)らせながら!