2017-04-08から1日間の記事一覧
巻頭言 創価の女性は たゆまぬ太陽なり 池田大作 生きとし生けるものに春の喜びが訪れるのも、たゆまぬ太陽の燃焼(ねんしょう)があるからである。 御書には、「太陽が東の空に昇れば、天の空は、 すべて明るくなる。『大光(たいこう)』を備(そな)えて…
希望の春へ勇気の劇を! 池田大作 仏法は、最もけなげな庶民(しょみん)の味方である。 日蓮大聖人の御在世(ございせ)、長く看病(かんびょう)を尽(つ)くした最愛の夫に先立たれ、まだ幼(おさな)い娘を抱(かか)えながら、熱原(あつはら)の法難(…
巻頭言 ブロックは幸福拡大の起点なり 池田大作 大地なくして、万物(ばんぶつ)の成長はない。 我ら創価の連帯には、「地区」そして「ブロック」 という、地涌(じゆ)の人華(にんげ)を咲(さ)かせ広げゆく大地がある。 その豊かな土壌(どじょう)が、…
師匠をもつことが、 どれほど尊く、ありがたいことか。 動物は師匠をもてない。 人間だけが、師匠をもつことができる。 師匠をもつことこそ、人生の最重要事である。 師弟の道を真っすぐに生きる人生が、永遠に向上できる「最高に幸福な人生」なのである。 …
師弟誓願の3月から「4・2」「5・3」へ、我ら創価は勝利のリズムで進む。総本部の青年桜も開花し、各地から集われる尊き友が笑顔で仰ぐ季節となった。 年々歳々、「冬は必ず春となる」との希望の劇を宝友と飾りながら、恩師・戸田城聖先生の祥月命日(し…
経王御前を儲させ給いて候へば現世には跡をつぐべき孝子なり後生には又導かれて仏にならせ給うべし (経王御前御書、1123ページ) 通 解 経王御前をもうけられたので、現世には、必ず跡を継ぐ孝子である。また、後生には、この子に導かれて仏に成られる…
今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり (御義口伝、712ページ) (通解) 今、日蓮およびその門下が、故人を追善する時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経…
戸田城聖の小説『人間革命』では、主人公「巌さん」の人間革命の軌跡を主軸に、広宣流布に一人立った、 師である「牧田城三郎」(牧口常三郎の仮名)の死身弘法の実践が描かれていく。 戸田は、一九五四年(昭和二十九年)の十一月、初代会長・牧口常三郎の…
八月二十日の午後、山本伸一は、東京・台東文化会館を訪問したあと、長野県・軽井沢町の長野研修道場へ向かった。 軽井沢は、戸田城聖が逝去前年の一九五七年(昭和三十二年)八月に訪れ、最後の夏を過ごした地である。 滞在中、戸田は、伸一と森川一正を招…
八月六日から八日まで、法主・日達の通夜、本葬が営まれ、山本伸一をはじめ、学会の首脳、代表も参列した。 この夏、世界四十一カ国三地域のSGIメンバー千三百人が来日していた。 伸一は、十三日に神奈川文化会館で開かれた国際親善友好の集いや、十五日…
山本伸一が法華講総講頭、学会の会長を辞任することで、若手僧らによる学会攻撃はピリオドが打たれることになっていた。 5月1日には、宗務院から「院達」として、次のような事項が徹底されている。 「御講等に於ては、御書による教義以外の説法は固く禁ずる…
山本伸一は、平和友好の対話を積極的に推進していった。 五月二十五日には、ザンビアのM・K・チーフ・マパンザ駐日大使と会談し、二十九日には、中国文芸界の指導者・周揚夫妻と語り合った。 六月も、ニュージーランドのR・M・ミラー駐日大使や、ナイジ…
山本伸一は、世界を結び、確かな平和への道を開くために、各国の識者や大使らとも積極的に交流を図っていった。 五月十九日には、親善交流のために、中日友好の船「明華」で、交流団の団長として来日した中日友好協会の廖承志会長と都内のホテルで会談した。…
山本伸一は、学会本部に行くことを、なるべく控えるようにしていた。 会長になった十条潔たちに、思う存分、指揮を執ってほしかったし、自分が本部にいることによって、ついつい皆が頼ってしまうようになることを避けたかったのである。 伸一の最大の願いは…
さあ、対話をしよう! 友の眼に秘められた 哀しみ、苦しみを見すえ、 ためらいの言葉に耳をそばだて、 勇気を奮い起こして 励ましの対話を始めよう! 同苦の腕を広げ、 弾む生命で、 希望と正義の哲学を語ろう! ほとばしる情熱と 金剛の確信をもって、 忍耐…
漆黒の空が、次第に紫に変わり、うっすらと半島の稜線を浮かび上がらせる。 やがて金の光が東の空に走り、海はキラキラと輝き、さわやかな五月の朝が明ける。 五月五日、山本伸一は、神奈川文化会館から、夜明けの海を見ていた。 この日は、「こどもの日」で…
山本伸一が峯子と共に、車で創価大学を出発したのは午後五時半であった。 彼は学会本部へは戻らず、横浜の神奈川文化会館へ向かった。 世界につながる横浜の海から、新しい世界広宣流布の戦いを、真の師弟の戦いを起こそうと、心に決めていたのである。 横浜…
山本伸一が峯子と共に、車で創価大学を出発したのは午後五時半であった。 彼は学会本部へは戻らず、横浜の神奈川文化会館へ向かった。 世界につながる横浜の海から、新しい世界広宣流布の戦いを、真の師弟の戦いを起こそうと、心に決めていたのである。 横浜…
法主・日達をはじめ、僧たちを送った山本伸一は、別室に入ると、妻の峯子に、和紙と硯、墨、筆を用意してもらった。 創価学会の歴史に大きな足跡を刻むであろうこの日の、わが誓いと、弟子たちへの思いを、書として認めておきたかったのである。 既に揮毫の…