大白蓮華 2017年(平成29年)3月号(No.809)

希望の春へ勇気の劇を

 仏法は、最もけなげな庶民(しょみん)の味方である。
 日蓮大聖人の御在世(ございせ)、長く看病(かんびょう)を尽(つ)くした最愛の夫に先立たれ、まだ幼(おさな)い娘を抱(かか)えながら、熱原(あつはら)の法難(ほうなん)にも、いさぎよき信心で同志と進んだ母がいた。

 大聖人は、「大風(おおかぜ)が草をなびかし、雷(かみなり)が人を驚(おどかす)かような激(はげ)しく揺(ゆ)れ動く世の中にあって、あなたが今まで、信仰を貫(つらぬ)き通されてきたことは、なんと不思議(ふしぎ)なことでしょうか」(1479ページ、通解)と讃(たた)えられた。また、亡(な)き夫の生命は「生も歓喜(かんき)、死も歓喜」に包(つつ)まれ、後継の一家が必ずや幸福長寿に勝ち栄(さか)えていかれることをも、約束(やくそく)なされている。

 広宣流布誓願に生きる全世界の尊(とうとき)き創価家族よ、この御本仏(ごほんぶつ)の絶対の御照覧(ごしょぅらん)に浴(よく)しているのだ。

 法華経に説(と)かれる「現世安穏(げんせあんのん)」とは、苦難(くなん)のないことではない。どんな苦難にも負(ま)けない境地(きょうち)である。

 御書に、「大難にあうことをもって『後生善処(ごしょうぜんしょ)(未来の世に必ず幸せな処(ところ)に生まれてくる)』の成仏(じょうぶつ)が決定(けつじょう)する。これこそ、真に現世(げんせ)において安穏(あんのん)であることではないか」(825ページ、通解)と仰せである。

 妙法流布のため、立正安国のため、使命を担い立つ人生に、試練(しれん)は避(さ)けられない。覚悟(かくご)の上である。
 だからこそ、仏になれるのだ。何があろうとも、恐(おそ)れず、嘆(なげ)かず、惑(まど)わず、題目を唱え、立ち向かう勇気の一念から、大いなる境涯が開かれる。そこに、今世(こんぜ)の幸福勝利はもちろん、三世永遠に崩(くず)れぬ金剛不壊(こんごうふえ)の大生命を、自他共(じたとも)に築(きず)いていけるのだ。

 永遠に
  我らは希望の
   太陽と
  誇りも高く
   未来(あす)を照(て)らせや

 創価の大地には「それでも耐(た)えて、それでも勝つ」と、つかみとった体験が無数に輝(かが)いている。

 草創期の宮城県、ある母は不自由な足で仏法対話に駆(か)けずり回り、悪口を言われ、石を投げられても、「御書の通りだよ。ありがたいじゃないか。今に一番の幸せ者になろうね!」と笑顔ではね返した。
 その息子として実証を示してきた壮年リーダーは、営(いとな)む設備会社の一切合切(いっさいがっさい)を東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)で流された。
 だが、母から学んだ「負けじ魂(たましい)」の信心で、直(ただ)ちに復興(ふっこう)の先頭に立ち上がった。青年と共に「不屈(ふくつ)の生命力こそ仏法の真髄(しんずい)なり」と奮闘(ふんとう)を続ける。

 あえて困難に挑(いど)み、乗り越えゆく、たくましき地涌(じゆ)の群像(ぐんぞう)は、世代を超(こ)えて受け継(つ)がれていくのだ。

 60年前、わが師・戸田城聖先生は「原水爆禁止宣言」で、世界の民衆の生存(せいぞん)の権利を厳然(げんぜん)と謳(うた)い上げられた。それを脅(おど)かす魔性(ましょう)の闇(やみ)は、いまだ深い。

 ゆえに、人類の心を照(て)らし晴らす生命尊厳(せいめいそんげん)の哲学の光を、我らはいやまして赫々(かっかく)と放(はな)っていくのだ。

 あの地でも、この国でも、創価の宝友(ほうゆう)は、自らの宿命を転換(てんかん)しつつ、家庭を、地域を、社会を蘇生(そせい)させゆく人間革命の挑戦を繰(く)り広げている。その一つ一つの積(つ)み重ねが、やがて、かけがえのない民衆凱歌(みんしゅうがいか)の大叙事詩(だいじょうじし)となって仰(あお)がれていくに違いない。

 障魔(しょうま)が競(きそ)い起こるのは、正しいゆえであり、必ず勝てるということなのだ。この学会精神で、希望の春へ、今日も勇気(ゆうき)の劇(ドラマ)を綴(つづ)りゆこうではないか!