池田先生がジャパンタイムズ紙に寄稿 (2017年6月14日)

市民社会の声を反映させ核兵器禁止条約の成立を
 
 アメリカ・ニューヨークの国連本部で明15日から始まる核兵器禁止条約交渉会議の第2会期に向けて、池田先生は6日付の英字紙「ジャパンタイムズ」に「禁止条約は核兵器のない世界へ可能性を開く」と題し、寄稿した。ジャパンタイムズ紙の了承を得て、日本語の全文を掲載する。
 
 核兵器禁止条約の締結に向け、正念場となる交渉会議の第2会期が、今月15日からニューヨークの国連本部で始まる。
 3月末の第1会期には、加盟国の3分の2に及ぶ130カ国近くが参加し、市民社会の代表も交えて活発な討議が行われた。
 
 人類と地球の生態系を壊滅の危機にさらす核兵器──。その脅威は一向に解消されず、むしろ増幅しかねない方向に向かいつつある。交渉会議は、こうした状況の根本的な打開を目指すものだ。
 「私たちヒバクシャは、核兵器禁止条約は世界を変革できるものであり、変革しゆくものであるという点について、少しの疑いも抱いていない」
 第1会期での被爆者のこの発言に対し、会場でしばし拍手が鳴りやまなかったように、それは、国家の違いという垣根を超えて多くの参加者に共通する思いでもあるといえよう。
 
 先月22日には、交渉会議の議長から禁止条約の草案が発表された。核兵器が引き起こす壊滅的な人道的結末を深く憂慮し、核兵器の使用はもとより、保有や開発などを広く禁じる内容となっている。
 前文には、「核兵器の犠牲者(ヒバクシャ)や核兵器実験による被害者の苦痛に留意する」との一節も盛り込まれた。
 “2度と惨劇を繰り返してはならない!”という世界のヒバクシャの強い思いが、条約の精神を刻む前文に掲げられたのだ。
 核兵器核兵器が対峙する状態は、あくまで時代状況の中でつくり出されたものであって、国際社会において絶対に動かすことができない“所与の条件”などではないはずだ。
 事実、これまで非核地帯が次々と設立される中、110以上の国々が核兵器に依存しない安全保障の道を選び取ってきた。その中には、一時は核開発を模索しながらも放棄した国も少なくない。
 “核兵器による安全保障”とは、広島と長崎での惨劇が他国で繰り返されてもやむを得ないとの前提に立った、極めて非人道的な安全保障観に他ならないという本質と向き合う必要がある。
 
 残念ながら、第1会期の討議には、核保有国をはじめ、日本を含む大半の核依存国が参加しなかった。
 しかし禁止条約の草案に記された、核兵器による壊滅的な人道的結末への深い懸念は、2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書において全会一致で示された通り、核保有国や核依存国を含め、今やどの国にも共有されているものだ。
 この共通認識に基づき、NPTの全加盟国が「核兵器のない世界という目的に完全に合致した政策を追求する」と明確に誓約したことを、第2会期での討議の土台に据えて、さらに多くの国が交渉の輪に加わる中で、核兵器禁止条約の具体的な条文として結晶させることを、私は強く呼び掛けたい。
 
 そこで重要な鍵を握るのは、核依存国の参加である。中でも、唯一の戦争被爆国である日本が果たすべき役割は大きい。
 昨年4月、広島で行われたG7(主要7カ国)外相会合で、日本は他の核保有国や核依存国と共同して、「我々は、核兵器は二度と使われてはならないという広島及び長崎の人々の心からの強い願いを共にしている」との宣言を世界に発信した。
この宣言を胸に、日本は今こそ交渉会議への参加に踏み切るべきだ。
 
 
 広島と長崎の強い願い──。そこには、“どの国も核攻撃の対象にしてはならない”との思いとともに、“どの国も核攻撃に踏み切らせてはならない”との思いが脈打っている。核兵器禁止条約は、それを人類共通の規範として打ち立てるもので、日本の使命は、その実現のために最大の努力を払うことにあるといってよい。
 核兵器が地球上に存在し続ける限り、かつてのキューバ危機のような一触即発の事態が生じる恐れは消え去ることはない。
 
 「大量殲滅の時代における“世界大戦”ではなく、我々は、この自己決定の時代にあって“世界法”を選び取る」とは、1961年の国連総会でケネディ大統領(当時)が呼び掛けた言葉であった。
 多くの国々と市民社会が協働する形で、建設的な討議が進められてきた禁止条約は、まさにケネディ大統領が提起していた“世界法”にもつながるものといえよう。
 NPTの履行を確保する重要な基盤となり、核兵器廃絶への流れを決定的なものにする核兵器禁止条約を、7月7日まで行われる第2会期で、何としても成立させるべきだ。
 そして、この歴史的な条約が、市民社会からの声を十分に反映したものとして採択されることを切に望むものである。