小説「新・人間革命」 勝ち鬨 二十五 2018年1月8日

十一月十五日昼、山本伸一は四国の高松空港から、空路、再び大阪入りした。
その後、和歌山県奈良県と回り、激闘は続いた。
二十二日には、大阪府豊中市の関西戸田記念講堂で行われた第三回関西総会に出席し、「嗚呼黎明は近づけり」の指揮を執った。
さらに、滋賀県福井県を訪問したあと、中部を巡り、静岡県でも指導と激励に全力を注いだ。伸一が、東京へ戻ったのは、十二月二日の夜であった。
男子部では、十一月二十二日、福島県郡山市で全国男子部幹部会を開催した。
彼らは、この幹部会を、紅男幹と名づけ、「紅の歌」とともに二十一世紀へと旅立つ、師弟共戦の誓いの集いとしたのである。
  
 ああ紅の 朝明けて
  魁 光りぬ 丈夫は……
  
集った青年たちは、広布の魁として、茨の道を開きゆく決意を固めたのである。
たとえ、いかなる試練の烈風が競い起ころうとも、同志のため、社会のために、険しき坂を勇んで上りゆくのが創価の丈夫だ! 負けてなるものか! われらは、老いたる父や母が命がけで築いてくれた広布の城を、断固、守り抜いてみせる!
その合唱は、宗門事件の嵐を見事に乗り越えた青年の凱歌であり、未来にわたる人生勝利の勝ち鬨となったのである。
なお、この「紅の歌」の作詞者名について、四国男子部から、「山本先生が作られたものであり、先生の作詞として、後世に残していただきたい」との強い要請を受け、後に「作詞・山本伸一」に改めることになった。
また、伸一は、二〇〇五年(平成十七年)、歌詞に手を加え、三番の「老いたる母の」を「老いたる父母の」とした。
そして、一六年(同二十八年)十月、四国での本部幹部会の折、四国青年部から、二番の「父の滸集いし」を「師の滸集いし」として歌いたいとの願い出があり、伸一はその志を汲んで了承した。