小説「新・人間革命」 勝ち鬨 二十五 2018年1月8日
彼らは、この幹部会を、“紅男幹”と名づけ、「紅の歌」とともに二十一世紀へと旅立つ、師弟共戦の誓いの集いとしたのである。
ああ紅の 朝明けて
魁 光りぬ 丈夫は……
集った青年たちは、広布の魁として、茨の道を開きゆく決意を固めたのである。
“たとえ、いかなる試練の烈風が競い起ころうとも、同志のため、社会のために、険しき坂を勇んで上りゆくのが創価の丈夫だ! 負けてなるものか! われらは、老いたる父や母が命がけで築いてくれた広布の城を、断固、守り抜いてみせる!”
その合唱は、宗門事件の嵐を見事に乗り越えた青年の凱歌であり、未来にわたる人生勝利の勝ち鬨となったのである。
なお、この「紅の歌」の作詞者名について、四国男子部から、「山本先生が作られたものであり、先生の作詞として、後世に残していただきたい」との強い要請を受け、後に「作詞・山本伸一」に改めることになった。
また、伸一は、二〇〇五年(平成十七年)、歌詞に手を加え、三番の「老いたる母の」を「老いたる父母の」とした。
そして、一六年(同二十八年)十月、四国での本部幹部会の折、四国青年部から、二番の「父の滸集いし」を「師の滸集いし」として歌いたいとの願い出があり、伸一はその志を汲んで了承した。