本部幹部会で紹介された池田先生の指針 2018年4月4日

 
永遠に崩れぬ「仏」の境涯を開け
励ましはスピードで決まる
ともに悩みともに祈る
学会こそ人生の「安全の軌道」
 
一番、偉いのは「民衆を救う人」「民衆の幸福のために戦う人」──1993年12月に開かれた本部幹部会で、同志にエールを送る池田先生(八王子市の東京牧口記念会館で)
         
「世界広布新時代第32回本部幹部会」(先月25日、札幌市の北海道池田講堂)の席上、1993年12月の本部幹部会での池田先生のスピーチ映像が上映された。
友情拡大の春を進みゆく友への指針として掲載する。
 
一、先日も、ある方が言われていた。
「何があっても、創価学会は朗らかに前進している。すごいことですね。
この何十年、全部そうですね。全部、朗らかに乗りきっていますね」と。
そのとおり、私どもは一切の波を押しのけ、乗り越えて、戦い、勝った。重ねて「よく頑張ってくださいました」と御礼申し上げたい。
「能く忍ぶ」強さを
 
一、仏の別名を「能忍」という。「能く忍ぶ」。何でも耐えていける人のことである。
何があっても恐れない。何があっても屈しない。
迫害されようが、牢へ入れられようが、全部、耐えぬいて、不平ひとつ言わない。
こういう人には、だれもかなわない。
その意味で、人間として「最高の幸福」の根底は、何があっても「能く忍ぶ」強さである。
生きて生きて生きぬく力である。それが「仏」の境涯なのである。
創価学会には、この力がみなぎっている。
ゆえに耐えぬいた。ゆえに勝った。
 
一、「仏」という三世永遠に崩れない幸福境涯をかためるのが、信仰の目的である。
そのために今世の仏道修行がある。今世を戦いぬいて、その境涯を勝ち取っていくのである。
「永遠」から見れば、30年や50年は、あっという間である。
「仏」の境涯になる「原因」を、自分自身がつくっていく。
そして、その「結実」を証明する、最高に幸福な自分自身となっていく。それが仏道修行である。
どんな世界にも「修行」はある。柔道、剣道、相撲、ピアノ、その他、修行なくして向上があるはずがない。勝利があるはずがない。
耐えて練習しぬいて、その「道」を進んでいく。技を磨き、学問を磨いていく。それで初めて上達がある。これが道理である。
「仏法は道理」であり、仏道修行も同じく、耐えて進んだ人が勝つ。
これからも、さまざまな波があるにちがいない。何があろうと、わが学会は、平然として、生きぬき、勝ちぬき、永遠に「この道」を堂々と歩んでまいりたい。
 
一、牧口先生が“最も感銘した”と言われた言葉がある。
創価教育学体系』の中で、スウェーデンの化学者であり、ノーベル賞の設立者でもあるノーベルのある言葉を引いて、「余の一生中にこれ程力強き適切なる教訓を、言語の上で受けた事がない」(『牧口常三郎全集』第5巻)と言われた。
いわば、仏法以外に“一生でいちばん共感した言葉”という意味である。
その言葉とは、「遺産は相続することが出来るが、幸福は相続する事は出来ぬ」であった。
事実、財産を相続したために堕落したり、悪人や愚かな人間となって不幸を招く場合も多い。
幸福は相続できない。「幸福」は、だれからも与えられない。だれも与えることはできない。
「幸福」は、自分自身が「創造」する以外にない。
自分自身の正しき信行で勝ち取る以外にない。これが仏法である。これが牧口先生の信条であった。
 
一、ゆえに牧口先生は、「教育」と「信仰」を通して、「自分で幸福を創造できる人間」「価値を創造できる人間」をつくろうとされた。
それ以外に、人類を幸せにする方法はないからである。
創価」すなわち「価値創造」の「価値」(美・利・善)とは、「幸福」の別名である。
その意味で、創価学会とは、「幸福創造」の学会であり、「幸福創造」の道を
学ぶ集いなのである。
「財産は相続できるが、幸福は相続できない」──「財産」を「地位」や「知識」などに置き換えても同じである。
「地位」は相続できても、「幸福」は相続できない。
「知識」は継承できても、「幸福」は継承できない。“地位イコール幸福”でも、“知識イコール幸福”でもない。これが真理と思うが、どうだろうか。
 
牧口先生の信条
 
一、牧口先生は一生涯、「どうすれば人間が幸福になれるか」を追求された。
その結論は「教育革命」以外にない、より根本的には「宗教革命」以外にない、ということであった。
人間をつくる、すなわち「人間革命」する以外に幸福はないのである。
この点、牧口先生は、「だれかの力で幸福になる」とか、「だれかに祈ってもらう」などという“おすがり信仰”とは、初めから正反対であった。これが学会の創始者である。
 
一、人生は、「生老病死」との戦いである。
しかし私どもは、妙法の「生死即涅槃」の力用によって、生死の苦しみを、そのまま悟りへ、すなわち幸福の境涯へと開いていける。
何があろうとも、大聖人の絶対の加護がある。このことを確信しきっていくことである。
私どもは凡夫である。当然、さまざまな悩みや、病気などの困難にあうこともある。
しかし、同じ苦難であっても、学会の世界では、多くの同志がともに悩み、心をこめて祈ってくれる。
これほど、ありがたい世界はない。これほど喜びの大きい、人生の“安全の軌道”を歩んでいける世界は、ほかに絶対にない。
 
一、大聖人は、あるお手紙で仰せである。
「貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん、事事見参を期せん」(御書1298ページ)
──あなたが、この病気にかかったことを、ある人が報告してきたので、私は(病気平癒を)日夜、朝となく夕となく、法華経に申し上げ、朝夕に青天に訴えてきましたが、病が治ったことを、きょう聞きました。
これ以上、喜ばしいことはありません。
くわしいことは、お会いしたときに申し上げましょう──
なんという慈愛のお言葉であろうか。病気は、その本人にとって重大問題である。
それを、ご自身の重大問題としてとらえ、日夜、祈ってくださっている。
そして、病気が治ったことを“本当によかった。これほどうれしいことはない”と、喜び、励まされている。
さらに、“くわしいことは、またお会いしたときに聞かせてください。語り合いましょう”と。
大切な会員のために真剣に祈り、守りぬく。これが創価学会である。
だからこそ、いかなる迫害にもビクともしないで、ここまで発展してきた。
 
頑健・健康・長寿で
 
一、信心の根本は「祈り」である。自身のこと、友のことを、具体的に祈っていくことである。
「慈悲」の根本も祈りである。「指導」の根本も祈りである。「
指揮」をとる根本も祈りである。
その根本を忘れると、すべて御本尊から外れた“策”になってしまう。
策は、結局、空転し、皆に迷惑をかけるだけである。
 
一、また大聖人は、“病気が回復した”という報告を聞かれると、その日のうちにお手紙をしたためられ、すぐに励ましておられる。
間髪を入れず、迅速そのもののお振る舞いであられる。
大聖人のお振る舞いを拝して、私も報告を聞いたら、すぐに反応し、手を打つよう徹してきた。
報告を聞いたなら、すぐに「反応」すること、すぐに「手を打つ」こと。
これが、リーダーの鉄則である。
この迅速な行動があるかぎり、学会は栄えていく。その人自身も成長する。その分、大勢の人を救っていける。
一事が万事である。国でも、会社でも、反応がいい組織や団体は伸びていく。
反応が悪い組織は、暗く沈滞してしまう。
まして、現代はスピードの時代である。
車のスピード違反はいけないが(爆笑)、勝負は「スピード」が決め手となる。
ある人は、“学会の発展の原因も、指導者のスピードにある”と見抜いていた。
迅速また迅速に、会員のため、広布のために行動するリーダーであってほしい。
 
一、祈りを根本に、全員が「頑健」「健康」「長寿」の生命を、御本尊からいただいてもらいたい。
また、御本尊に祈り願って、「朗らかな日々」を生きゆく「無量の智慧」を、わかせていただきたい。
そして悠々と、縦横・自在、自由奔放に行動し、広布の指揮をとっていかれるよう期待したい。