〈小説「新・人間革命」完結 記念特集〉中 小説をめぐって (2018年9.12)
民衆勝利の大叙事詩である小説『人間革命』『新・人間革命』は、世界にも大きな感動を広げている。
ここでは、『人間革命』『新・人間革命』をめぐり、テーマごとにまとめた。
海外13言語で出版
世界の諸言語に翻訳された池田先生の海外出版作品は、今や1800点を超える。
小説『人間革命』の海外出版第1号は、英語版第1巻(1972年〈昭和47年〉発刊)である。
序文を寄せたのは、20世紀最大の歴史家アーノルド・J・トインビー博士。
先生の海外出版を「世界中の同時代の人々に資する仕事をした」と高く評価した。
小説『新・人間革命』は95年(平成7年)、初の外国語版となる第1巻の英語版が発刊された。
希望送るラジオ朗読
小説『人間革命』『新・人間革命』は朗読ラジオ番組となり、希望と励ましの声を届けてきた。
一方、『新・人間革命』の放送は、2003年(平成15年)4月から15年(同27年)3月まで、3123回にわたった。
『新・人間革命』について、朗読に携わった声優たちは、次のような声を寄せた。
「人を励ましたい、幸せにしたいという『心』が脈打っています」(小野田英一さん)
「朗読を担当し、本当に多くのことを学び、それが心の財産になってきました」(沢田敏子さん)
『新・人間革命』の番組終了時、文化放送から池田先生に、ラジオ文化への貢献をたたえ、「顕彰盾」が贈られている。
日本一の連載回数
8日に完結した池田先生の小説『新・人間革命』。連載回数は、6469回となった。
小説『人間革命』の1509回を加えると、7978回。
執筆者は、作家の山岡荘八氏。先生には、この山岡氏との忘れ得ぬ交流がある。
それは、69年前の1949年(昭和24年)にさかのぼる。
先生は、雑誌の改題に伴う内容刷新の目玉として、山岡氏に連載小説の執筆を依頼した。
氏は多忙を極めていたが、編集長である先生の熱意に打たれ、「あらん限りの知恵を絞って書きますよ!」と快諾。
「紅顔三剣士」という小説をつづったのである。
世界各地に記念碑
「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」
――この小説『新・人間革命』第1巻の冒頭の一節を刻んだ記念碑が、世界各地に建立されている。
北海道・厚田の「あいろーどパーク」には、「平和への誓い」の碑がある。地元の建立委員会が設置したものだ。
碑の「由来」には、戸田先生の「原水爆禁止宣言」の精神を世界に宣揚する池田先生の行動がたたえられている。
また、SGI発足の舞台となったアメリカのグアムの公園には、「SGI発足記念碑」がある。
公園を有する市の決定によって設置された碑には、小説『人間革命』の言葉なども記されている。
各界のリーダーが愛読
小説『人間革命』『新・人間革命』は、世界の識者や各界のリーダーが称賛してきた作品である。
中国・冰心文学館の王炳根前館長は『新・人間革命』を愛読書に挙げ、「(池田先生は)塗炭の苦しみに沈む庶民に多くの光を灯してこられました」と強調する。
アメリカ・エマソン協会のワイダー元会長は「人間と人間の交流のドラマをつづった小説」と評価し、世界詩歌協会のパドマナーバン名誉会長(インド)は、先生の執筆活動を「人類愛、平和、発展という、人間にとっての精神的変革を世界的規模で促してきた偉大な功績」とたたえる。
また、同志社大学の杉江雅彦名誉教授は、「小説『人間革命』を初めて読んだ時に最も感動したのは、学会の三代会長に流れる“師弟のきずな”の強さだった」と感想を。東京大学大学院の市川裕教授は、「『新・人間革命』を読みながら、学会の未来を受け継ぐ若い青年の皆さんにこそ、この本を徹して学んでほしいとの思いを強くした」と述べている。
活字文化の振興に貢献
社会全体で「活字離れ」が進む今日。小説をはじめ、幅広い分野での執筆を通して文字・活字文化の振興に貢献する池田先生には、出版界から感謝の声が寄せられてきた。
全国にある書店商業組合からも顕彰が相次ぐ。その第1号は2006年(平成18年)11月、福岡の組合から贈られた。
賞状には、「永年にわたる執筆活動は、出版文化に携わる私達の模範であります」と記されている。
ペンネームの由来
「仏法では、妙は仏界、法は九界。妙は本源、法は現象。妙は法性(悟り)、法は無明(迷い)。
また、小説の主人公の名は、かつて先生が戸田先生の出版社で働いていた頃、自ら原稿を書く際、少年時代に愛読した作家たちの名前をヒントに、
そのペンネームを見た戸田先生は、ほほ笑みながら言った。「なかなかいいじゃないか。
山に一本の大樹が、一直線に天に向かって伸びてゆく」
そこから“郎”を取った「山本伸一」が、池田先生の小説『人間革命』の主人公の名前になった。
命懸けの執筆
1980年(昭和55年)5月3日。池田先生は関西の地で、小説『人間革命』第4巻の原稿の綴りに、こう揮毫した。
当時、師弟の絆を分断しようとする謀略の嵐が吹き荒れ、『人間革命』の連載は休載していた。
この一文を記した2カ月後、先生は優れぬ体調を押して、再び執筆を始めた。
命を懸けてでも、書き残さねばならない歴史がある――。第5巻の原稿の綴りには、こう記している。
「信心の真髄/学会精神の魂/此に存する也」